西行は、吉野の桜をとても慈しんでいた。

出家してからもなお、

桜に何故こんなにも心を奪われるのだろうかと

詩に詠んでいる。


しまいには、


「ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけり」


~ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい

花たちが散り、分かれていくのが悲しく思われる~


幾度も幾度も、花を見続けているうちに

桜に対する情までも感じてしまうほど。



「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃」

                      

~願わくは、春、桜の花の咲く下で死にたいものだ。

あの釈迦が入滅した2月15日の頃に~


この詩に詠んだとおり

西行は2月16日に亡くなった。


桜は不思議な魅力と

独特の雰囲気を持っていて

心をどこか違う世界へと導きそうな

そんな深々としたぞっとするような美しさを

桜は醸し出す。



レブロンさんの「祖母と花見」 という記事を読んで

桜と死者と。

なんだかとても近いところにいるような気がした。


美しさとあの世とこの世。

結界が届かない

行き来できる世界がそこにあるのかもしれない。


そんなことを考えながら

今年も桜が咲くことを心待ちにしている。


・・・・・・・・(いつの日か)

・・・・・・・・・・桜の下で(また)逢いましょう。

              愛しくて大切な・・・人と。