- C.A.note - コミュニケーショナル・アドバイザーのおぼえがき
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業務、及びblogの見直しについて

少し考えるところがあって、業務、及びblogを見直そうと思う。



先ずは業務の見直し。


・平日は夜のメールのみの対応へ


平日日中は、別業務に力を入れることにした。



blogの見直し。


・コミュニケーションに関する内容が自然と多くなっていたが、

 「C.A.note -コミュニケーショナル・アドバイザーのおぼえがき-」

 というタイトル通り、もっと個人的な内容へと変更する。


コミュニケーションを語る(と言ったら大袈裟だが)blogではなく、

C.A.をやっている僕個人のものと捉えていくことにした。




ということで。

作詞

いつもは曲と詞をいっしょに書く僕だが、最近はいわゆる「曲先」が 少し増えている。 しかし大スランプ状態。 全然詞が書けない。 歌って言うのは不思議なもの。 音楽、メロディに言葉が乗る。 そして最高のマッチングが起きると、最高の歌になる。 作詞活動は、いわば音・メロディとのコミュニケーションの場だ。 音・メロディが奏でる何かを、僕が知っている言葉に置き換える。 翻訳の作業に似ているのかもしれない。 とにかく頭を抱えている。

心を込める

心を込める-。 この言葉にはどういう意味があるのか? 心のこもったものは嬉しい。モノであれ、サービスであれ。 その代表格がプレゼントや料理。 しかし、実際のところ、物質やサービスに「心」を物理的に込めることなど 多分できない。それは悲しいことではない、と僕は思っている。 心を込める。 そして、心がこもっていることを伝える。 この2つの作業で、はじめて全てが生きる。 今日、すりこぎとすりばちで、母親のために玄米をすっていた。 玄米が好きなのだが、歯の都合でうまく食べられない母親は、 ここのところ毎日のようにすりばちに向かっていた。 それをふと、僕がやりたくなった。 その姿を、母親は見ている。 だからきっと、僕がすった玄米はおいしい。 恋人や家族は、おそらく、一般的に、心のこもったものが伝わりやすい。 しかし、日常生活の一瞬一瞬はどうであろうか。 心がこもっていないもの、こもっているもの、その判断はきっと難しい。 感受性の問題もある。 受け手側が、心を重んじる心。 しかし、送り手側の問題もある。 いかにして、本当の心を伝えるか。 もちろん、心がこもっていないならどうでもいい話だ。 しかし、案外心がこもっているものは多いと思う。 心、そして思い……。 馬鹿な話だと思われるかもしれないが、僕は本気だ。 心を込めたい。できるだけ。 そして伝えたい。できるだけ。 また、感じたい。できる限り。 「限り」 に立ち向かうことだ。

NINTENDO DS が生んだコミュニケーション

自宅に数名の親類が集合。 全員ではないが、それでも例年のことを思えば多い。 叔母やら従姉妹やら従姉妹の子どもやら。。 いつもはばらばらになってしまうのが、なぜか今年は日付が少しだけ合った。 家族の延長線上とも言える、血のつながりの濃い親類たち。 年齢もばらばら。 そして僕は一応田舎の長男なので、迎える方である。 身内だからこそいろんな話も出る。 話せないこともある。 共通の話題はもちろんあるが、僕クラスの年代同士では そうそう多いわけでもない。 そこで力をまざまざと見せつけられたのが、タイトルのNINTENDO DS。 携帯ゲーム機である。 新しいコミュニケーションツールとしてすさまじいものを感じてはいたが、 ここまで自らが実感するとは。。 ハードのスペックもすごい。 音声認識、文字認識、無線通信。。 別に十字キーやボタンを押せなくても問題ない。 そしてそのハードの特製を十分に活かした新世代のソフトウェア。 NINTENDOGSもそうだし、他にもたくさんある。 今回活躍したのは「脳を鍛える 大人のDSトレーニング」である。 かなり話題になったソフトだ。 ただゲームがおもしろいというだけではない。 シンプルな内容。 直感的な操作性。 「脳年齢」という存在。 もうこれらだけで、十分なほどに話題の中心になってくれる。 本当に、老若男女が一緒に楽しめてしまう。 「敬老の日にソフトとして最も売上が上がった」 という、ゲーム業界では通常考えられない(発売日からしばらく時間が経過している) 現象が起きたのも納得、である。 そこへ、 「無線通信」 という概念が加わっていることがすごい。 ハードは2台以上必要だが、ソフトはひとつあれば16人まで 対戦プレイができてしまう。 対戦内容は暗算に代表される、誰もがすぐにルールを理解できるもの。 NINTENDO DSには、C.A.としても個人としてもかなり思いがあるので、 今後ともいろいろと考えたり書いたりするだろうが。。 今日、実に10名以上の老若男女が集まって、いきなりコミュニケーションの 中心になってしまったDSはやはりすごい。

寝ても覚めてもコミュニケーション

謹賀新年。 C.A.(コミュニケーショナル・アドバイザー)と名乗りだしてはじめてのお正月。 田舎には両親、祖父、親戚、いろんな関係者、etc...と日常生活とはまたひと味違う人たちがいる。 そして大自然。 コミュニケーションのことを考えるのは何も苦ではない。どう表現しようか、どうしたら伝えられるか等、 2次的なことでは苦労ばっかだけど。。 寝ても覚めてもコミュニケーションのことを考えている。 もっともっと考えを広くもしたいし深くもしたい。 「先例がないなら自らが先例になればいい」 これは僕自身が高校の時から想い続けていること。 まぁとにかく今は、田舎のコミュニケーションを存分に。。

距離感

コミュニケーションの場における距離感というのは、非常に重要である。

先日、とある団体の集まりに参加した際、現役メンバーである僕と、

しばらくぶりにゲスト的に参加された方との会話ややりとりの中で、

互いの状況による違いから生まれる距離感、というものをまた実感した。


こういったことを大切に受け止めながら、話を聞かなければならない。

論文採点の難しさ

論文指導なんて格好つけてやっていたりするのだが、

クライアントからの要望で、とてもシンプルで大切なことに気が付いた。


「採点=点数化するならば、その根拠を明確に」


ということである。深く反省。



コミュニケーション全般がそうなのだが、文章などを点数化するのは実に難しい。

世間には「論文偏差値」というものもあるのだが、まだまだ信憑性が乏しいように思っている。


僕が現在用いている手法は、自分が約10年前から指導を受けたこと、

文章校正の仕事をし、文字校正だけでなく、文章そのものの校正作業を仕事として

やってきたこと、そして自らが「成功」したと思えるこれまで書いてきた文章を

自分なりに分析して、最終的には「感覚」で採点する、という方法だ。


しかし、この手法は、「採点」するには、説得力が乏しいことに気付かされた。


考え方を修正しなくては。。

C.A.の基本

C.A.の基本。 それは、まず、受け止め、感じることである。 もちろん結果には個人差が出るが、それでいい。 問題は、妙な先入観だとか、意味のない固定概念だとかを 捨てることにある。

生協の白石さん より

同書は、コミュニケーションというテーマで見ても、 非常に素晴らしい本である。 その姿勢、テクニック、そして努力。 そういったものがあふれ出んばかりにつまっている。

信じていれば願いは叶うのか

友人たちがこの話題でちょっと盛り上がっている。 結論から言うと、「その人次第」で、「7~8割ぐらいは叶うのでは」と思っている。 ビジネス書なんかでも、自己啓発だとか夢を叶えるだとか、「必ず」というキャッチ とともに溢れている。 僕もいろいろ考えて、本も読んでみたし、それからさらに考えている真っ最中ではある。 しかし、やっぱり以前から変わらないのは、 「才能とは、あると信じていればあるかもしれない。けれど、自分で無いと  信じてしまったら絶対に無い」 ということと、 「本気で願って、信じて、『努力、行動、継続』ができれば、  全部は無理かもしれないけれど、7~8割ぐらいは叶うのでは」 ということ。 まず、やっぱり自信を持つことや、確固たる意志を持つことは重要だと思う。 そして、たとえば「NO.1の歌手になりたい!」と思っていても、 それだけでは実現はかなり困難だ。 ただ、必死で努力して、動き回って、それをずーっと継続できれば、 NO.1は無理かもしれないが、歌手になることはできると思う。 この辺の考え方は、時を経て、いろいろ考えて、やはり思うことだ。 偏ってはいけない。 これだけやってれば大丈夫、ということはないと思う。 それがきっかけになったり、ヒントになったりすることはたくさんある。 しかし、どこかで独自性を見いださなければならない。 理論やデータだけでもダメだし、心だけでもだめなのだ。 その辺の組み合わせを、バランスを保って考えていくことが、僕のテーマのひとつだ。