さいあくななちゃん -3ページ目

さいあくななちゃん

さいあくさいてい


生きたくなるし
死にたくなる

消えたくなる
でも生きる
この文字を今書いて
絵を描いてさ
何も見えなくても
描けばいい

描けばいい
そんな単純なことを
続ける
自分はそれが好きだ

最近ブログも書いてなかったけど
書いていきたい
小さなことでも

ロンドンでのことを文字にしたい
ずっとここ半年ぐらい調子が悪かった
ロンドンに来て一人になって自分のことを考える
友達もいない
絵と音楽がある
1日が早いな
もう3ヶ月もたった
もっと描きたい
もっと自分の絵を描きたい
ロンドンで展示もしたい
英語も話せるようになりたい

やりたいことが沢山ある
悔しいことも沢山ある
自分はまだできる

ただ描け
目の前に
名前の無い
感情を
ここにいる
ここにある
生きてるぜ
生きてるぜ


今日からロックダウンが始まった。
こっちに来て3週間もたっていないので、戸惑いもあったがシェアハウスの海外の人々が「お互いの語学をこのロックダウンでいっぱい教えあおう。12月がきたら日本語だけで会話できるようになるかも!」と笑いながら提案してくれてあたたかい気持ちに。
まだまだ日常を送るのにも失敗だらけだけど、そんな風に言ってもらえたのがすごく嬉しかった。

ロックダウンを言い訳に生きるのは嫌だと初日から思っている。今日できることを、今日描けることを今日話せることをやっていくのだ。

思えば、自分の人生「絵を描いて生きていきたい」と思った日から言い訳だけはしたくないと思ってきた。
自分の家庭がそこまで裕福ではないこともあり、美術大学に行くのが難しかったけれど(あとその時は別にそこまで美術大学に行こうとかも思ってないぐらいいい加減に生きてた)、その事もあり美大生をぶっ潰してやると、誰も知らない専門学校の片隅で密かに拳を毎日握っては描いていた。
お金がないなら、ゴミに描けば良い。道端に転がってるダンボールも、いつだってキャンバスになるんだよ。
それにだって描けると信じられるなら、ゴミだって芸術だ。そんな風に思っては、住んでたアパート近くのゴミや、学校に転がってるものを持って帰ってきた。
その時や20代前半は特に人に気がおかしいだとか、ニートとずっと呼ばれてきた日々とか、一生懸命やりたくもないバイトを頑張ったりとか、色んなことがあっても、世間がどう言ってこようと関係なんてない自分が自分の芸術を信じてきた。

そんなゴミだのクズだの言われてきた日々だったけど、気がついたら今ロンドンまで来て活動を頑張ろうとしてまた0からのスタートだ。

また誰も知らない所で描く。
自分を信じて描き続けたら今度はどこにいくのだろう。
今度はどんな絵が描けるかな。
もしもロックダウンになる後に渡英予定だったら、また延期にしていた気がする。
いつ行くかもわからないまま、なんとなくやってるかと思ったらぞっとするぜ。
言い訳してたらずっと待って死んでくんだと思う。
そんなのごめんだ。ロックダウンがあるからロンドンでの生活が不自由かつまんないか楽しいか自由か?どうかはいつだって自分次第なんだと思う。

今日も自分は自分の信じるものを描くよ。







最近 悲しいことが起こったので

絵を描くとき 涙が出るし

何もかも無駄だったのかもしれないと思う日が

続いたけど

友達が「どんな気持ちも絵にしてくれてありがとう」っと

手紙に書いてくれてたことを思い出して

全感情無駄じゃないと思えるようになった

感情全部に気づくって 大変だけど 私はそれが美しいと思うから気づきたい

可愛くない気持ちとか、汚い気持ちとかそういうのにも気づいて

でももっと違う温かな感情にも気づきたい。

まだ死ねない。

今日も生きた。

描けなくても、描きたいと思う。

ずっとこんな風に 生きるんだ。