6月19日
明石市長との懇話会に出席。
中学・高校の先輩でありながら公式の場での話を聞いたのは初めてに近かった。
ビールを飲みながらのフランクな話し合い、参加者の小難しい質問から、しょーもないご提案まで熱心に耳を傾けておられました。
民間企業出身の市長らしく、「地域経営」という言葉を盛んに使っておられたのが印象に残っています。
地域産業の振興や社会福祉の充実などトータルなガバナンスを会社経営に見立てた造語のようですが、おそらく行政の中での流行語というのものだろうと思われます。
昔は「公僕」という言葉が使われていましたが、今は流行らないようです。
公(おおやけ)の僕(しもべ)、確かにそこには市民に「使われる」といったニュアンスが含まれます。
かといって「地域経営」なる言葉が良い言葉かというと、そうとも思えません。経営という言葉が入ると、やはりどうしても会社的なヒエラルキー(階層社会)を想像してしまいます。「公僕」とは逆に、市民を部下として「使う」というニュアンスを感じます。
社長(市長)がいて、役人がいて、その下に市民がいる。そんなイメージでしょうか。
市長も言っておられましたが、地域振興や産業活性化なんかは本来は市民一人一人や企業の仕事ですが、それができていないから、市役所がきっかけ作りをしている とのこと。まさにその通り。
本来市長も役人も市民も平等で、それぞれの役割を分担しているだけにすぎません。ただ、市民が自らの役割を放棄しがちだから、その穴埋めを市役所がやっているのでしょう。
市民一人一人が自らの役割を意識し、それを実行に移していけば、「公僕」という言葉も、「地域経営」という言葉も適切ではなくなるでしょう。たとえば、「地域パートナーシップ」や「地域組合」といった互いの関係性や平等な立場をイメージできる言葉が適切になるのではないでしょうか。
6月16日
組織活動はよくスポーツに例えられることがあります。
そういった場合、よく対比されるのがラグビーとアメリカンフットボールです。
ラグビーは組織の構成員即ちプレイヤーが皆一緒に走り、ボールを右へ左へパスしながら一団となってゴールに到達するという性格を持つことから、非セクショナリズムや有機的組織構造の例として挙げられることが多く、逆にアメフトは高度に専門分化されたスポーツとしての性格を強調される傾向にあるように思います。
どちらが良い、悪いというのはその時々の文脈で異なる訳ですが、知識創造という意味においてはラグビーのような互いの役割をオーバーラップさせ冗長性を持たせた組織の方が有効であるという研究結果があります。
しかし、分業が進んだアメフトであっても、一つのプレイを作りあげる中では、極めて有機的な連携が必要とされます。この場合の連携は単に動きの連携だけではなく、思考やイメージの連携をさします。
もちろん、自分自身のアサインメント(仕事・役割)を果たすことが第一ではありますが、良いプレヤー、良いチームであればあるほど、自分以外のプレイヤーの動きをイメージしながら、最良の動きをとることができます。
「全体の中の個」という意識
組織を俯瞰して今自分が何をすべきかを知るという能力は、経営者であろうがミドルマネージャーであろうが新入社員であろうが、組織人に求められるもっとも重要な能力の一つであると思います。
6月15日
建築設計という仕事に携わり初めた頃、随分と違和感を覚えたことがあります。
建築という仕事は、対法人においては(設備)投資と密接な関係があるわけですが、(設備)投資というものはその規模が大きくなればなるほど経営的な判断が必要とされます。
それは、設計者自身が建築についてのみならず、財務や法務、生産システム、組織論など様々な知識を獲得せねばならないことを意味します。
ましてや、大きな投資案件になれば社長をはじめとする経営陣との直接的なやり取りが発生します。
しかしながら、多くの設計者は経営者と語る言葉を持っていないように感じました。
それが違和感の原因だったのです。
億からの投資を行うのに、事業計画についての話もできない、投資効率の話も分からない・・・では話になりません。
そのあたりの部分で多くの経営者、発注者が歯がゆい思いをされていることだと思います。
当社が設計事務所でありながら、コンサルティングファームとしての業務を開始したこともそういった「必要に迫られて」、また「ご要望にお応えするために」、といったところを起点としています。
