善名称院。
山号は伽羅陀山。高野山真言宗の寺院。
別称真田庵。
寛保元年(1741年)大安上人により真田屋敷跡とされるこの地に地蔵尊を安置し創建された。
大安は岡久兵衛の子で13歳の時高野山西生院へ弟子入り、19歳の時京出て修行、32歳から
諸国の霊地を巡り、40歳で九度山に帰郷している。
また明和4年(1767年)に随心院門跡権僧正見龍師より上人号を贈られている。
安永2年(1773年)如意宝蔵の落慶の法要を行い、嵯峨御所から菊の紋付堤灯を奉納され、
以後本院にてこの紋の使用が許された。

前述の通り、当地は真田昌幸・信繁父子の蟄居時代の庵跡として伝わっており(諸説有り)、
真田氏ゆかりのものが数多くある。
境内は「真田屋敷跡」として県の史跡に、また「真田安房守昌幸墓地」が町の史跡に
指定されている。


真田庵長屋門
長屋門。
境内南側の出入口。
真田庵最寄りの公営駐車場より目指すならこの門から入る事になるはず。

真田庵六文銭
長屋門扉の「六連銭」の紋。
所謂真田六文銭は境内の至る所で見かける。

真田庵長屋門の鐘
長屋門の天井。
鐘が吊るされている。


真田庵本堂1
本堂(南側)。
安政4年(1857年)の再建。
南の本堂部分と北の庫裡部分をつなぐ相の間が構成される、権現造。
本堂部分の内陣では北向きに作法するが、外陣では西向きに参拝する特殊な形式。
また本堂の上部に二階建てのツシ(物置き場)が直交して載るという複雑な構造で、
他にはあまり例がないらしい。
県指定文化財。(H28.03指定)

真田庵本堂2
本堂(東側)。
本尊は延命子安地蔵菩薩。


真田庵開山堂
開山堂(大安上人廟所)。
県指定文化財。(H28.03指定)


真田庵土砂堂
土砂堂。
弥勒菩薩を祀る。
県指定文化財。(H28.03指定)


真田庵雷封じの井
雷封じの井。
信繁(幸村)が真田屋敷に落ちた雷を取り押さえ
井戸に封じ、里人を救ったとか。


真田庵真田権現1
真田地主権現。
寺に怒った姿の昌幸が度々見られるようになったため、
大安上人が昌幸の霊をこの地の大権現として祀ったらしい。
案内板によれば真田家重大の宝物毘沙門天と真田三代(昌幸,信繁,幸昌か)
の御霊を合祀したとある。


真田権現堂と昌幸の墓
真田安房守昌幸墓地と真田地主権現社。
昌幸は慶長5年(1600年)上田城での活躍の甲斐なく高野山へ配流、
その後間もなく九度山移りに閑居した。
昌幸は赦免され国許に帰還することを望んでいたようだが叶わず、
慶長16年(1611年)死去(享年65)。


真田庵門1
西門。
西門の南側に真田宝物資料館がある。

真田庵結び雁金
西門扉の「結び雁金」の紋。
こちらも真田氏の家紋。
六連銭は戦時色が強いため平素は結び雁金や
州浜の紋を使ったらしいが、だんだん六連銭の
使用頻度の方が多くなっていったようだ。


真田宝物資料館
真田宝物資料館内部。
真田父子ゆかりのものなどを展示。


真田庵門2
北門。

真田庵菊紋
北門には菊の紋が使用されていた。
因みに六連銭はすべての門で使っている。


真田庵本堂3
本堂遠景。
城に見えないこともない。


真田古墳1 真田古墳2
真田古墳。
北門から東に少し歩いていくとある。
真田の抜け穴と伝承されていたが、実際は古墳。
古墳時代後期(6世紀)の横穴式石室を持つ円墳だそう。



所在地  和歌山県九度山町九度山1413
境内自由(09時~16時 真田宝物資料館は¥200)
駐車場  近隣の九度山公営駐車場(無料)



丹生官省符神社。
祭神は丹生都比売大神・高野御子大神・天照大御神・大食都比売大神・誉田別大神・
天児屋根大神・市杵島比売大神 。

弘仁7年(816年)、空海により慈尊院の鎮守社として創建されたといわれる。
慈尊院は、弥勒仏を祀る慈氏寺の壇と丹生・高野明神を祀る神通寺の壇からなっており
この神通寺の壇に祀られていた丹生高野明神社が現在の丹生官省符神社。
社号は創建以来、慈尊院丹生高野明神社、丹生七社大明神、丹生神社、丹生官省符神社と
変遷している。
(官省符荘とは太政官符と民部省符によって税を徴収されない権利を得た荘園。)

もとは慈尊院と同じく北の紀ノ川近くにあったが、洪水により現在地に移転。
その際丹生都比売神社に倣って大食都比売大神と市杵島比売大神を勧請した。
さらに当地に古くから祀られていた天照大御神・誉田別大神・天児屋根大神を合祀して
七社明神となった。
天保年間(1830~44年)には多くの社殿等が立ち並び荘厳を極めたというが、明治の神仏分離令
によりその多くは取り除かれた。

高野山町石道の出発点で、境内へ上る石段の中ほどに最初の町石である百八十町石がある。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。(本殿)


丹生官省符神社石段
石段。
109段あり幅は約4m。
高さ約20m、角度は約30mで斜面が約45m。
下の12段は延享5年(1748年)田村伝助による寄進、
他は宝暦3年(1753年)多くの人々の寄付によって
建設されたとのこと。
町指定文化財。

丹生官省符神社鳥居1
石鳥居(一ノ鳥居)。
宝永2年(1705年)岡久兵衛により建立。
当初は槙尾明神社の参道にあったが、
大正10年(1921年)に現在地へ移築。
町指定文化財。


丹生官省符神社町石道1
高野山町石道の百八十町石。
町石は文永9年(1272年)建立。
高野山町石道は高野山へ続く7つの参詣道の1つで、
慈尊院から高野山へ通じる高野山の表参道。
高野山開山直後に建設され、全長約23km。
一町(約109m)ごとに町石と呼ばれる五輪卒塔婆形の
石柱が建てられている。
現在も道中に180基、高野山の大塔から弘法大師廟
までの間に36基の、合計216基が建ち、
殆どが建立当時のまま現存している。
開山当初は木製の卒塔婆であったらしいが、鎌倉時代以降
天皇や貴族らによって石製の卒塔婆が寄進された。

高野山町石道は国の史跡、
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部でもある。


丹生官省符神社鳥居2
二ノ鳥居。


丹生官省符神社拝殿
拝殿。


丹生官省符神社本殿1
拝殿から見る本殿。
向かって右から第一殿、第二殿、第三殿。
第一殿の祭神は丹生都比売大神(丹生明神)・高野御子大神(高野明神)
・天照大御神。
第二殿の祭神は大食都比売大神(気比明神)・誉田別大神(八幡大神)・
天児屋根大神(春日大神)。
第三殿の祭神は市杵島比売大神(嚴島明神)。


本殿。
第一殿・第二殿は永正14年(1517年)の再建で旧社地より移築されたもの。
第三殿は天文10年(1541年)に再建。
いずれも1間社春日造、桧皮葺。朱色と極彩色が施されている。
当初は4棟あったようだ。
国重要文化財。


丹生官省符神社高野山上
境内から望む高野山上。


丹生官省符神社町石道2
高野山町石道の百七十九町石。
文永6年(1269年)建立。
丹生官省符神社の駐車場脇にある。



所在地  和歌山県九度山町慈尊院835
境内自由
駐車場  有(無料)





慈尊院。
山号は万年山。高野山真言宗の寺院。
創建は弘仁7年(816年)、空海が高野山開創の際に参詣の要所となる当地に表玄関として
伽藍を草創したことに始まるとされる。
また高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所や冬期避寒修行の場としたという。

承和元年(834年)、高齢であった空海の母が息子の開いた高野山を一目みようと尋ねてきたが、
高野山は七里四方女人禁制としていたため当院に迎えられた。
空海はその際月に9度は必ず高野山より母を尋ねてきたので、当地名が「九度山」と称された
と伝わる。
翌承和2年(835年)空海の母が死去した際、空海は母が崇拝していた弥勒菩薩の霊夢を見たため
廟堂を建立し、弥勒菩薩像を安置した。

弥勒菩薩は別名慈尊とも呼ぶため、「慈尊院」と呼ばれるようになったという。
女人の高野参りは当院までということも相俟って、子宝・安産なども祈願され、これにより
女人高野とも呼ばれるようになった。
また高野山詣りはまず高野山の玄関である慈尊院弥勒菩薩と縁を結び罪業を流してから
山上へ登るのが本参りとされていることから高野山の結縁寺とされている。

当初の慈尊院は現在地より北東に位置していたが、承安元年(1171年)火災により全焼。
その後文明6年(1474年)、近くを流れる紀の川の水害を予測し廟堂(弥勒堂)は現在地へ
移転されたが、天文9年(1540年)紀ノ川の氾濫が起き境内の半分は河となった。
その際に残った堂宇は弥勒壇へ縮小移転、政所や什宝は山上へ移された。
天文13年(1544年)にも再び氾濫が起きており、旧伽藍はみな流されてしまっている。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部。(弥勒堂)


慈尊院築地塀と北門
北門(表門)。
切妻造、本瓦葺。
16世紀頃の建立。
天文9年(1540年)の洪水の際には既に建てられていたようだ。
県指定文化財。

慈尊院築地塀 
北門横の築地塀。         
築地塀は三方延長約116m、    
棟高2.9m。            
北門と同じく16世紀頃の建立。
県指定文化財。

 慈尊院下乗石
下乗石。
北門左付近に立つ。
もとは旧慈尊院南門にあったようだ。
保延2年(1136年)とも刻まれており、
県下最古の金石文ともいわれる。
町指定文化財。


慈尊院境内1
境内。
突き当たりの石段を上ると丹生官省符神社がある。


慈尊院鬼子母神堂と西門 慈尊院大師銅
鬼子母神堂(左写真)と大師堂(右写真)。
大師堂では本尊弘法大師とその脇に四国八十八ヶ所の本尊が祀られている。

慈尊院多宝塔1
多宝塔。
東向きに建つ。
寛永年間(1624~43年)の建立。
高さ約15m。銅板葺。
下層部は室町時代後期の様式で、古記録には寛永元年(1624年)完成と
記されていたため約100年を要して竣工されたと考えられていたが、
平成24年(2012年)の解体修理の際に、室町時代後期では下層部は
三重塔初層として組まれたが中断し、仮屋根をかけた建掛塔の状態で
存続させ、寛永元年にこの初層を多宝塔の下層部として改築し、
新たに上層を多宝塔として新築したと判明。
県指定文化財。


慈尊院多宝塔2 慈尊院多宝塔3
多宝塔。
本尊は大日如来、脇仏として阿閦・宝生・不空成就・阿弥陀如来を安置。(五智如来)
創建当初のものは承安元年(1171年)に焼失、後(同年?)に田所氏が再建している。
それらが多宝塔であったならば、室町時代後期の再建時にはなぜ三重塔に変更しようと
したんだろうか。


慈尊院弥勒堂1
弥勒堂。
空海の母親が居住したところ。
方3間(6.39m)、宝形造、桧皮葺。
建立は鎌倉時代後期とされるので創建当時のものではなく、
承安元年(1171年)の火災以後の建築と思われる。
また庇部分には天文9年(1540年)の墨書があるので、
洪水による堂宇移築の際に庇部分を建立したものと考えられている。
格子に囲まれているので全体は見えにくい。
国重要文化財。

慈尊院弥勒堂2
弥勒堂正面。
本尊木造弥勒仏坐像は国宝に指定。
作者は会理仏師といわれる。
21年に1度開帳される。

慈尊院お守り
乳房型の絵馬が奉納されている。


慈尊院石塔
五輪石塔二基。
弥勒堂西側の玉垣内にある。
承安元年(1171年)の慈尊院全焼の後
灰塚として建立された。
洪水の際に現在地へ移されたと思われる。
町指定文化財。


慈尊院本堂
本堂(拝堂)。
当初のものは承和2年(835年)に真然僧正により建立されたといわれる。
現存の堂は大正13年(1922年)の再建。
昭和63年(1988年)増築。
堂内には弥勒菩薩母公と弘法大師の画像が祀られている。


慈尊院稲荷弁天 慈尊院鐘楼
稲荷弁財天堂(左写真)と鐘楼(右写真)。


慈尊院境内2
境内東側。

昭和60年代(1985~88年)、慈尊院付近に住み着いたゴンという名の野良犬がいたが、
(この野良犬が慈尊院の鐘の音を好んでいたためゴンと呼ばれたらしい。)
なぜかゴンは高野山への参詣者の道案内をするようになった。
最初は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけだったが、その後慈尊院をねぐらに
高野山町石道(参詣道)20km以上の道のりを朝慈尊院を発って夕方高野山上の大門まで案内し、
夜には慈尊院に戻るという毎日を送っていた。
弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があるようで、ゴンはその案内犬の
再来とか、お大師さんの犬とか呼ばれて親しまれていたようだ。
ゴンは平成14年(2002年)に亡くなったが、境内にはゴンの碑が弘法大師像の横に建てられた。




所在地  和歌山県九度山町慈尊院832
境内自由
駐車場  有(無料)



成就院。
山号は五智山。真言宗智山派の寺院。
天正年間(1573~92年)僘宥(しょうゆう)阿闍梨により創建され、
慶長年間(1596~1615年)に竣工されたと伝わる。

その後の享保14年(1729年)、芳宥和尚の代に現存している三重塔が建立。
塔内部には忍城主阿部忠秋拝領とされる葉衣観音が安置されている。
昭和56~57年(1981~82年)に解体復原工事が実施された。

埼玉県内には三重塔が3基現存しているが、当三重塔はそのうちの1つ。
(他の2基は吉見町安楽寺・川口市西福寺)


成就院山門
山門。


成就院
境内。


成就院本堂
本堂。
本尊は不動明王。


成就院三重塔1
三重塔。
正面は東向き。
享保14年(1729年)建立。
高さ11.18m。
間口奥行は2.24m、相輪高は2.29m。
銅瓦棒葺。
県指定文化財。

成就院三重塔2成就院三重塔3
三重塔。
内部壁板には有川藤原興信筆の牡丹唐獅子が描かれている。
葉衣観世音菩薩を安置。



所在地  埼玉県行田市長野7618
境内自由
駐車場  有(無料)






正福寺。
山号は金剛山。臨済宗建長寺派の寺院。
創建年は不詳だが、鎌倉時代中期に建長寺の僧石渓心月を請じ北条時頼或いは時宗が創建した
とも伝えられる。

寺伝では北条時宗が病気の際、夢枕に現れた地蔵菩薩がくれた丸薬を飲むと病いが治った
ことから、弘安元年(1278年)地蔵堂を建立したとあるそうだが、
実際は昭和8~9年(1933~34年)の改修工事の際に発見された墨書銘により、
応永14年(1407年)の建立と判明している。
 

正福寺山門
山門。
元禄14年(1701年)建立。
四脚門、切妻造。
昭和48年(1973年)の修理の際に茅葺から
茅葺形銅板葺に改修された。
市指定文化財。


正福寺板碑1 正福寺板碑2
貞和の板碑。
板碑の全長は285cmで都内最大級。
この板碑はかつては橋桁として使われていたが、
江戸時代からこの橋を動かすと疫病が起きると伝えられ、
昭和2年(1927年)に改修のため板碑を撤去したら付近に赤痢が
発生したためこの境内に移したらしい。
市指定有形民俗文化財。


正福寺地蔵堂1
地蔵堂。
正面は南向き。
桁行3間、梁間3間 、一重裳階付、入母屋造、杮葺、裳階銅板葺。
応永14年(1407年)の建立。
国宝。

正福寺地蔵堂2
地蔵堂。
以前は茅葺であったが、昭和8~9年(1933~34年)の改修工事の際に
建築当初の杮葺に戻された。
内部は本尊地蔵菩薩のほか多くの小地蔵が安置されている。
本尊、小地蔵は共に市指定文化財。

正福寺地蔵堂3
地蔵堂。
堂内に奉納された小地蔵にちなみ「正福寺千体地蔵堂」
とも呼ばれる。
また堂内は、8月8日、9月24日の午前11時~午後3時、
11月3日の午前10時~午後4時に拝観できるようだ。


正福寺鐘楼
鐘楼。


正福寺本堂
本堂。
本尊は千手観音菩薩。



東京都東村山市野口町4-6-1
境内自由
駐車場  有(無料)