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常識のアップデート

久しぶりの更新になります。

 

実は、私事なんですが先日i pad proを購入して、あまりの高性能さにテクノロジーの進化を身をもって体感しました。

 

さすが日進月歩のIT業界、こんな便利なものがあるなら、もっと話題になってもいいのになと思ったんですが、もしかしたら知らなかったのは俺だけ?なんですかね。

 

このi pad pro一台で、ノートパソコンはもちろんテレビや本、スケジュール帳など普段持ち歩かなければいけない、ありとあらゆるものが事足りてしまいます。

 

そしてなによりも、おしゃれなカフェでi pad proをカチカチしてれば、めっちゃ仕事できそうな感じがするじゃないですか!

 

実際、私は仕事がめっちゃできるんですが、この「仕事ができそうな感じ」欲しさに秒で購入を決意し、さっそくi pad pro片手に近所のおしゃれなカフェに足を運んでみました。

 

そうです。

 

今回の更新は「仕事できそうな感じ」欲しさに近所のスタバからお届けしています。

 

さて

 

こんなおしゃれな空間でおしゃれな事をしているのに、政治について書くとイライラしてしまうので、今回は少し趣向を変えてみたいと思います。

 

ちなみに、「仕事できそうな感じ」欲しさの更新で、着地点が見えない状態から出発しますので、失敗したらごめんなさい。

 

テーマは「エンターテイメント」つまり娯楽です。

 

まず初めに、皆さんの認識を改めなければいけません。

 

あなたは、今現在が「革命期なう」の自覚はありますか?

 

将来の教科書に載るような時代の変革期を生きているのに、その自覚がなく流されて生きているのは非常に危険です。

 

いつだかの記事に、社会は年功序列ではなく時代に順応した者が「種」として優秀であり、常識のアップデートを繰り返さない者は確実に絶望を迎えると書きました。

 

一昔前に、こんなことを言う若者は非常識とされていて、教育という名の暴力を受けていたんですが、今の時代はどうですか?非常識なのは、一体どちら側なのでしょうか。

 

このように絶えず常識はアップデートされていきますが、その常識の「ど真ん中」にあるものは決して変わることはありません。そしてそれこそが「時代の正体」であると思います。

 

ここで私が、はっきりと宣言いたします。

 

現在は農業革命、産業革命に次ぐ第三の革命

 

「情報革命」

 

の真っただ中に、私たちは生きています。

 

「情報」こそが時代の正体、インターネットの爆発的な普及と進歩が、時間や距離といったあらゆる壁を溶かしていき、私たちの生活は飛躍的に向上しました。

 

そして、数え切れないほどの職業を消し去り、またそれ以上の生産性を生んでいます。

 

この「インターネットによる破壊と創造」で幕を開けた新時代は、文字通りに無限の可能性を秘めていて、10代20代30代40代と各世代横並びの状態で新時代を迎えなければいけないのは、まさに革命起きたといっても過言ではないと思います。

 

まず初めに。

 

IoTいう言葉を一度は耳にしたことがあると思います。

 

IoT化とは家電や自動車はもちろん、自転車や家、アクセサリーなどといった、身の回りにあるありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながるということです。

 

IoT化が進むと、それに関わる全ての産業の「縦の壁」が溶けていきます。

 

例えばスマホに関わる産業の「縦の壁」は完全に溶けていて、電話、カメラ、テレビ、ゲーム、がフェイスブックやLINEと同じスマホアプリのレイヤーの中で競争しています。

 

これが、時計やアクセサリーにインターネットがつながればスマホ業界との壁が溶けるし、自動車にインターネットつながって自動運転ができるようになれば、自動車の形をしている意味がなくなり、もしかしたら動くイスで十分になるかもしれません。そうなれば、必然的に自動車業界とインテリア業界の壁が溶けていくでしょう。

 

それに、腕スマホが登場すれば、腕時計が必要なくなるのは明確で、もしかしたら最終的にこの業界を制するのは、デザイン性に富んだブレスレット型のアクセサリー会社かもしれませんし、メガネ型でメガネ業界が制するのかもしれません。

 

もっと言えば、家自体にインターネットがつながればデバイスを持つ必要がなくなるのかもしれないし、人間自体にインターネットがつながれば、ほとんどの産業の「縦の壁」を溶かしてしまうでしょう。

 

このように「インターネットによる破壊と創造」こそが時代を作っていくのです。

 

そして忘れてはいけないのは、近い将来「AI」が数え切れないほどの職業を消し去るということです。

 

その時を迎えたときに、絶望の淵で嘆いていたところで何も変わりません。全て自己責任です。

 

では、確実に先細りしていく絶望の道を歩いている人は、どうすればいいのか?

 

答えは一つしかありません。人生を真剣に考えることです。

 

情報革命の真っただ中、あと二年もすれば地球上のデバイスは200億を超えると言われています。単純計算でも一人3つです。

 

その意味を真剣に考えなければいけません。

 

このi pad proという文明の利器を片手に、憧れだったおしゃれなカフェでカチカチするという「仕事できる感」欲しさに書いたブログを見て、人生変えようなんて思うほど薄っぺらい人はいないと思いますが、私の経験上でアドバイスできることはあります。

 

なにか新しいことに挑戦しようとすることに一番必要なことは「勇気」だと多くの人が言います。しかし、私から言わせれば、そんなものは必要ありません。

 

未知なる場所に行く時に、未知なる物を触る時に、未知なる事をやる時に、未知なる人に会う時に、勇気があればなんとかできるという人は、私からは何も言うことがないので勝手にしてください。

 

では、一番必要なのはなにか?

 

それは「情報」です。

 

異国のスラム街だろうが、アマゾンの奥地だろうが「情報」さえあれば正常な判断することができますが、勇気だけでは確実に命を落としてしまうでしょう。

 

世の中は勝つべき人が勝つ仕組みになっています。

 

それは、情報を武器に「常識のアップデート」を繰り返した人から先に順応していく時代に生きていること意味し、それがチャンスなのかピンチなのかは全てあなた次第であるということです。

 

さて

 

本題の「エンターテイメント」にたどり着くまでに随分と時間がかかってしまいました。

 

思いのほか、おしゃれなカフェでカチカチするのは気分がいいので、また近々更新すると思います。

 

では

時代の変革期

昨日の記事を読み返してみると、ビックリするぐらい書けていなくて、こらアカンと思い、リベンジとゆう形でキーボードに指を走らせています。

 

睡魔と戦いながらでは、思うような表現や言葉が出てこなかったとゆう言い訳はしたくないので、たっぷりと睡眠をとった今、これでも書けないようであればセンスがないとゆうことを認めざるをえませんね。

 

お金もらえれば、文章の勉強して書けるようになりますけど。

 

さて

 

この朝鮮問題を扱う上で、一体どこまで遡ればいいのか正直わからないです。学校教育のように、横並びの情報を持った状態での議論が一番望ましいですが、それは現実的ではありません。ですから、自分の「正義」がどこにあるのかを熟考して、何のために書いているのかを優先することにします。

 

では、どうすれば一番伝わるのかを考えた結果、誰にでも理解できるように書かなければ意味がないんじゃないか、とゆう結論に達しました。そういえば私を含め、このブログを読んでいる全員が、低学歴の中卒であることをすっかり忘れていました。

 

まず最初に、俺がなぜこんなにも下朝鮮こと韓国を嫌っているかについて書きます。誤解してほしくないのは、個人を攻撃しているわけではなく、あくまで歴史的事実をもとに批判をしていますので、クラブで韓国人に会えば握手もするし、韓国の音楽も聞けば料理も食べます。それにこれから先も普通に韓国旅行にも行くかもしれません。

 

ただ、国のトップである大統領が、先陣をきって日本を批判していることが許せないのです。俺個人の発言と安倍総理の発言では、事の重大さが全然違うことを、日本では小学生でも理解できるというのに、彼らには全く理解ができてないみたいです。ですから、俺の文章も小学生以下の脳みそでは理解できないので、批判しても大丈夫みたいです。

 

なぜ、このタイミングで北ではなく南の話をするのかという今度は「強制徴用」という、新たなタカリツールを生み出してきたからです。これには、さすがにイラッときました。従軍慰安婦問題の虚構で、多額の賠償金を受け取り、これは賠償金なのか謝罪金なのかを説明してくださいとまで発言しました。その上で、賠償金のおかわりを続けているのです。

 

それに応じる日本にも問題がありますが(民進党のせい)、日韓基本条約で最終解決したにも関わらず、タカリを続ける意味がよくわかりません。日本が、アメリカに原爆を落としたんだから賠償しろといっているようなもので、そもそも言う権利すらないはずです。

 

従軍慰安婦の次は強制徴用。

 

ため息しか出てこない彼らの思考回路をおさらいするために、今まで何度も書いてきましたが、あらためて韓国が日本にしてきたことを総括してみます。

 

当時、世界的に時代遅れの韓国は、物を作るという能力をたいして持っていないので、技術協力という名のもとに、日本から特許や技術を盗み続けました。そして、製品の開発コストをかけることなく、日本と同じような産業構造になり、その輸出品のほとんどは日本とカブッています。もちろん、日本だけではなくアメリカも多数の訴訟を起こしますが、判決が出る前にことごとく売り切って逃げられました。

 

これで終わらないのが朝鮮人と呼ばれる所以であります。

 

露骨なまでのダンピング攻撃は、世界中から批判されますが、彼らにとっては全く関係なく、現在の北朝鮮のように我が道を突き進みます。

 

さすが同類、殺しあって滅亡すればいいのに。

 

明らかな為替操作を行って、意図的に異常なまでのWON安が起こすということは、日本製品によく似た韓国製品が、極めて安価に海外で販売されてボロ儲けしたということです。

 

このダンピング攻撃をモロに受けた日本の経済損失は計り知れないものがあり、企業のシェアは著しく喪失して雇用は失われました。

 

為替攻撃で、原価面での圧倒的不利となった日本企業は、原価と人件費を抑える方針しか打ち出すことができず、未来ある若者を機械の部品のように扱うか、工場自体を海外に移転するしかありませんでした。そして、国内生産にこだわった多くの企業が倒産しました。

 

実は、この一連の流れに民主党政権時代も含め民進党も大きく関わってきます。その話も入れると、恐ろしく長くなりますが、私たち世代が経済的に安心して生活できないのは、日本の若者の未来を、当時の民主党に意図的に売り払われ、朝鮮人に奪われ続けてきたからです。

 

それでも、世界的には高水準の生活レベルを保てているわけですから、戦争を起こすほどの殺意は芽生えませんが、そろそろ現実と向き合い、一人ひとりが「正義」というものを考える時期なのではないかと思います。

 

私たちは砂上の楼閣に、まやかしの平和を享受していることを忘れてはいけません。

 

さて

 

なぜ、またこのような話をするのかというと、現在の年金問題や福祉財源の枯渇といった問題の元凶はここにあると思っています。私たちの知らない間に、若者の未来は売り払われ奪われ続けていたのです。

 

今は時代変革の真っただ中。

 

ゲームやSNSというオモチャで遊んでるあいだに、自分と子供の人生が決められているようでは、一体どの世代までが子供なのかわかりませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、気が向いたら次は、静岡県と同じぐらいのGDPである北朝鮮について書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから「正義」の話をしよう

おはようございます。

 

毎度のことながら久しぶりの更新ですね。

 

今回は本題のカリアゲネタにいく前に、少し「正義」について考えてみましょう。

 

おそらく、これを読んでいるほとんどの人が「正義」とゆうものを真剣に考えたことはなく、もしかしたら、その存在すらも見て見ぬふりをしながら、大きな流れの中で生きているんではないでしょうか。

 

ですが、別にそれが悪いことだとは思いません。むしろ幸せなことだと思います。なぜならば、日本もアメリカも北朝鮮もCHINAもロシアも、己の「正義」を振りかざして対立していますから、個人レベルでいちいち「正義」の対立をしていたら、考えただけでも恐ろしい世の中になってしまいます。ですが、それを見て見ぬふりをした結果、もっと恐ろしい状況に日本は追い詰められていることを否定できません。

 

ですから、今回の解散総選挙、さらに言えば国家防衛危機のタイミングで真剣に考えてはいかがですか。

 

以下コピペ

 

暴走する電車  

 

あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
 ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
 どうすべきだろうか? ほとんどの人はこう言うだろう。「待避線に入れ! 何の罪もない一人の人を殺すのは悲劇だが、五人を殺すよりはましだ」。五人の命を救うために一人を犠牲にするのは、正しい行為のように思える。

 さて、もう一つ別の物語を考えてみよう。今度は、あなたは運転手ではなく傍観者で、線路を見降ろす橋の上に立っている(今回は待避線はない)。線路上を路面電車が走ってくる。前方には作業員が五人いる。ここでも、ブレーキはきかない。路面電車はまさに五人をはねる寸前だ。大惨事を防ぐ手立ては見つからない──そのとき、隣にとても太った男がいるのに気がつく。あなたはその男を橋から突き落とし、疾走してくる路面電車の行く手を阻むことができ
る。その男は死ぬだろう。だが、五人の作業員は助かる(あなたは自分で跳び降りることも考えるが、小柄すぎて電車を止められないことがわかっている)。
 その太った男を線路上に突き落とすのは正しい行為だろうか? ほとんどの人はこう言うだろう。「もちろん正しくない。その男を突き落とすのは完全な間違いだ」
 誰かを橋から突き落として確実な死に至らしめるのは、五人の命を救うためであっても、実に恐ろしい行為のように思える。しかし、だとすればある道徳的な難題が持ち上がることになる。最初の事例では正しいと見えた原理──五人を救うために一人を犠牲にする──が二つ目の事例では間違っているように見えるのはなぜだろうか?
 最初の事例に対するわれわれの反応が示すように、数が重要だとすれば、つまり一人を救うより五人を救うほうが良いとすれば、どうしてこの原理を第二の事例に当てはめ、太った男を突き落とさないのだろうか。正当な理由があるにしても、人を突き落として殺すのは残酷なことに思える。しかし、一人の男を路面電車ではねて殺すほうが、残酷さが少ないのだろうか。
 突き落とすのが間違っている理由は、橋の上の男を本人の意思に反して利用することかもしれない。何しろ、彼は事故にかかわることを選んだわけではない。ただそこに立っていただけなのだ。
 しかし、待避線で働いていた作業員にも同じことが言えるだろう。彼もまた事故にかかわることを選んだわけではない。ただ仕事をしていただけで、路面電車が暴走した場合に自分の命を捧げると申し出たわけではない。鉄道作業員は傍観者がとらないリスクを進んでとるものだという意見があるかもしれない。しかし、緊急時に自分の命を捨てて他人の命を救うことは職務記述書に書かれていないし、自分の命を投げ出す気があるかどうかは、橋の上の傍観者であろうと作業員であろうと変わりはない。

 

この文章を完ぺきに理解するまで、何度でも読み返してください。

 

これを、功利主義だの自由至上主義だの、リベラルがどうのこうのとゆう難しい話はなしで、シンプルに考えてみてください。

 

おそらく全員が五人の作業員をひき殺すより、退避線にいる一人を殺したほうが良いと考えるはずです。

 

それは、なぜですか?

 

五人を救うために一人を犠牲にする。

 

これ以上の答えを出せないなら、それがあなたが出した「正義」です。迷うことなく、橋の上の太っちょを突き落として、早く五人を救ってください。

 

なぜ突き落とさないのですか?

 

無関係の人間を殺してまで五人を救うのは、あなたの「正義」ではないからですか?

 

でも、よく考えてみてください。

 

電車を運転しているあなたは、五人の作業員を救うために、退避線にいる一人を犠牲にするとゆう「正義」で「殺人」を選択したのです。もっと意地悪なことを言えば、そのまま直進すれば「事故」待避線に曲がれば「殺人」。これは責任問題に大きくかかわってきます。なぜなら、直進を選択したあなたには、何一つ責任がないからです。

 

それに、五人の作業員は、この線路には電車が走っていることを知っています。例えるなら、車を運転している人は、多少なりとも交通事故に遭う覚悟はありますが、歩道を歩いている子供には、事故に巻き込まれる覚悟なんてほとんどないとゆうことです。

 

これ以上、意地悪なことは言いませんが、少なくてもここまで想定しなければ到底「正義」にまでたどり着けません。

 

五人を救うために一人を犠牲にするとゆう耳触りのいい言葉で「正義」について考えることを拒絶していませんか?

 

登場人物の人数を変えたり、両親や恋人、老人や赤ちゃん、悪人や医者に変えても揺ぎ無いものがあなたの「正義」です。ですが、そこまで考えて「正義」をもっている人は多くはいないのかもしれません。

 

このブログもそうですが、答えのないものに意見や批判をするとゆうのは、自分でいうのもなんですが、なかなかできることではないと思います。それをドヤ顔で更新ボタンを押せるのは、俺なりの揺ぎ無い「正義」があるからです。

 

ですが、この国には「正義」を持っている人を叩くクソみたいな風習があり、特にネットの世界では思慮の浅いクソがウヨウヨしています。

 

それでも、発信を続けるのは、0から1にすることに大きな意味や価値見出し、例えそれがその先で10になろうが100になろうが、どうでもいいと思っているからです。ですから、俺の文章を読んで、興味持とうが不快になろうが知ったこっちゃねぇーよとゆうお話です。

 

そういえば、五年前に書いた記事に、二年前から考えてるって書いてあったので、俺は七年前から「正義」について考えてるみたいです。たぶん、韓流ブーム真っ只中でテレビがおかしいと思い始めた頃だと思います。当時はガラケーだったので、調べるのに苦労したのを覚えてます。

 

さて、本題の朝鮮問題にたどり着く前に疲れてしまいました。一回の更新で情報を詰め込みすぎると、なかなか入ってこなくなるので、次回に持ち越します。

 

とりあえず、世界を巻き込んだカリアゲのチキンレースは自爆とゆう結果になりました。

 

また気が向いたら更新します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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