《ビジネスではない違った角度からの発信》をしてみています😌🙏

たくさんの方に読んでいただいた綾子物語もいよいよ4話に突入です🌹😌

今回のお話は、満たされなかった少女性や自己肯定感の自己完結型について触れたいと思います。

置かれた生活環境によって
こんなにも違う大人が出来上がっていくということや
幼少期、こんな考え方を子供たちは持って育っていることもあると言うような新たな視点に触れていただければと思います😌

この話の中で、言いたい事は

"子どもたちは、自分の置かれた環境で、いかに頭を悩ませ一生懸命生きていっているかということ❣️"

それは手助けをしようということではなく.ギリギリの状態で何とか生き延びようとする事は、ある種の能力の開花を手助けしているかもと私は思っています😌🙏

私はある程度不自由に育ったことで
体も丈夫.生きる力を手に入れたと思っています。なので、母や父や祖父の事、家族のことをどんなふうに書いていても、結局は感謝の気持ちが土台で書きあげていきます💝

長くなりましたが🤣
スタート!

↓↓↓↓

《綾子物語〜第4話》
小学校4年生の冬お腹が痛くなった。私は1人保健室で寝ていた。

その夕方、自分の体がどんどん大人の女性になって変化している事柄に出会い、私は顔が青ざめてしまった。そう初潮が来たのである。

それから、私は毎月、毎月自分で処理をして2年間母に隠し通すことになる。

誰にもわからない様に早起きして
洗濯をしたり、ゴミ出しもする。
とても多感な小学校高学年、毎月毎月早起きをする1週間があって、一体何をやってるんだと思われたかもしれないけれど、母も何も言わなかった。

限られたお小遣いの中、一生懸命工夫をして何とか乗り切り少しずつ少しずつ大人になるって大変なことなんだなぁって感じていた。
この頃から私は一人暮らしにすごく憧れるようになっていた。

求めていたのは"自由"
甘えたいけど
甘えられないのなら
いっそ1人が気楽でいい。
やさぐれで🤣
セルフネグレクト一歩手前だけど
とにかく
普通に見せるのには工夫がいった。

お友達は、かわいいメモ帳や、お誕生会と言うものに夢中でプレゼント交換会みたいなことで盛り上がっている。私はそれを横目にちょっと羨ましいなぁと思いながらも、自分の消しゴムも買えなかったので溶け込むことができなかった。お手紙だけじゃなぁと思いながらも、お誕生日の日にはバースデーカードを作って、そこにお菓子の箱についていた真っ赤なリボンを貼り付けたりして気持ちだけは伝えていた。
毎月のお小遣いのほとんどが、マンガ本やノートに消えていた。

お金があればこんなことができるかもしれないと言うことをノートに書き、綴って半ば、現実逃避。

その頃、私の頭には、円形脱毛症がエクレアの大きさ位になり、油性ペンで隠し切れない位になっていたので
これは、母に話して、病院に連れて行ってもらおうと思っていた。
この頃、私小学校5年生。

甘え方を知らずに育った私が
どれだけ我慢強かったのか今思うとちょっと心が痛むことがあるが、そんな過去の自分がいとおしく思えるようになったので、ここに書き綴っている。

母にびっくりするよなぁと思いながら、円形脱毛症を見せることにして

夕食の片付けが終わった頃に母に声をかけ背中越しに話した。

「頭にハゲができて、大きいの」

それから、母と私の週一回の通院生活が始まった。

母との2人の時間がなんだか嬉しくて、嬉しくて、病院の後に寄ったパン屋さんのグラタン、ランチが今でも忘れられない。

お姉ちゃんだから、
体が大きくて丈夫だから、
そんなふうに育った私は
とにかく頑張ってきた。

頼られることが嬉しかった昔の私。
だから、役に立たないといけないと思い込んで生きていた。
イコール
いつも誰かの評価の中に、自分の価値を置いて生きていたのだった。

その考えは、40歳のついこの間まで続くことになる。

振り返ると
母も私も同じような
人生を辿る。

知らなかったけど
母も一生懸命に
ある夢を追っていた。

そう、起業という道

女性だけど
積極的に外に出て
人生変えたい❗️と30歳目前に願っていたのだ。

続く

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