松宮康生 / 新・最強格闘技図鑑VOLⅡ

Ashihara Hideyuki: The Founder of Sabaki

芦原先生が、極真時代に行なっていたサバキ技術は

四国の野村という所に行かれてから次第に形になって

いったものでした。


そのために、現在の芦原会館で行われているものより

危険度の高い技が多いのが特徴でした。


それらの技術は、現在ある技術書には残されていません

が、それはまさに天才だけが考えつく技の数々でした。


資料の整理をしていると懐かしい写真やメモが出てきます。

そうすると、芦原先生との思い出が昨日のことのように思い出

されます。次のお話はそんな思い出の一つです。


芦原先生が、大阪に来られた時には、よく道頓堀(御堂筋沿い)

の龍の大きな看板がある「天龍」というラーメン屋にラーメンを

食べに行ったものでした。ここのラーメンは、大阪でも5本の

指にはいるくらいうまいラーメンです。


今でも時々、仕事で時間ができた時には、「天龍」でラーメンを

食べることがあります。

ここでは、キムチやにんにくは入れ放題なのですが、芦原先生

の入れ方はいつもあまりに豪快でありました。

その日も芦原先生は、にんにくを山盛りいれていました。


その後芦原先生と乗ったタクシーの運転手から

「もうしわけありませんが、窓を開けていいでしょうか?」と言わ

れてしまったのでした。

真冬のことでしたが、相当ににんにくが臭かったのだろうと思います。


タクシーを降りた芦原先生から、「ちょっとにんにくを入れすぎたか?」

と尋ねられたが、


私は、「押忍」としか答えられませんでした。

懐かしい芦原先生との思い出です。


今晩は、今から「天龍」にラーメンを食べに行こうと思います。

それもにんにくを山盛り入れて・・・・・・・