こんにちは。

コウノトリ生殖医療センターです。

 

毎日暑い日が続いていますね。

 

今日は、快晴でもくもくした入道雲が出ている夏空の台北ですが、

台湾に台風が向かっているとのことで、明日から天気が崩れて雨雨になるようですあせる

台湾在住の皆様、お出かけの際は十分ご注意くださいねキラキラ

 

 

さて、今回は、胚盤胞移植に関する動画です。

 

体外受精治療をする多くの患者様は、こう尋ねます。

胚盤胞移植は1個か2個どっちがいいの?

2個以上移植したら、成功率は高くなるの? 

 

ご質問にコウノトリ生殖医療センターの李日升医師と培養師のLoriが回答します。

 

 

 

 

こんにちは。

コウノトリ生殖医療センターです。

 

みなさんは、「卵巣年齢」という言葉を聞いた事がありますか? 

 

実は、AMH(抗ミュラー管ホルモン)を採血するだけで、 簡単にあなたの「卵巣年齢」がわかりますひらめき電球

 

AMHの検査結果はどうやってみたらいいのでしょうか? 

また、あなたのAMHの数値は同年齢の女性に比べてどうでしょうか? 

 

今回、卵巣年齢とAMHについて李日升医師が詳しく解説いたしますウインクキラキラ

 

 

虫めがね卵巣年齢とAMHの予測はこちら 

AMH女性卵巣機能テスト-コウノトリ生殖医療センター

 

こんにちは。

コウノトリ生殖医療センターです。

 

皆さんは、自身の卵子の在庫量がどのくらいか知っていますかはてなマーク

卵子の在庫量が低い場合、不妊や更年期が早くに来る恐れがありますガーンあせる


実は、採血検査でAMH(抗ミュラー管ホルモン/アンチミュラー管ホルモン)を調べるだけで、

現在の卵子の在庫量(卵巣年齢)を簡単に知ることができますひらめき電球

AMH検査を受け、自身の数値は同年代の女性に比べてどうなのか、確認してみましょうキラキラ

虫めがねAMH女性卵巣機能テスト-コウノトリ生殖医療センター

まだAMH検査を受けたことはない方は、検査を受けてみてくださいね!

 

 

流れ星流れ星台湾(台北)で台湾在住・台湾駐在の方向けの

     妊活説明会に関する重要なお知らせ流れ星流れ星

 

 

7/31(土)に開催を予定しておりました

台湾在住・台湾駐在の方に向けの妊活説明会ですが、

新型コロナウイルスの影響により、説明会の開催を

中止とさせて頂くこととなりました。

 

説明会を楽しみにしていてくださった皆様、申し訳ありません。

 

今後の説明会開催につきましては未定ではございますが、

新型コロナウイルスの状況が落ち着いた頃に

説明会を開催することができれば、と考えております。

 

説明会の開催が決まりましたら、詳細を発表いたします。

 

 

海外での治療は様々なご不安があると思います。

当院での治療をお考えの場合、メールメール

もしくはLINE(@stork)にてご連絡ください。

安心して治療にお進みいただけるよう、サポートいたしますウインク

 

今後ともコウノトリ生殖医療センターを

どうぞよろしくお願いしますキラキラ

 

 

 

こんにちは。

コウノトリ生殖医療センターです。
 

7月になりました。

台湾は毎日暑い日が続いています。

 

今回の動画は、体外受精の採卵に関する動画です。

 

皆さんは、二段階採卵法という用語は聞いたことがありますか?

今回の動画では、王先生が分かりやすく解説いたしますキラキラ

 

ぜひ、ご覧くださいねラブラブ

 

 

【コウノトリ教室】

短期間で卵子を豊かなものに?!

卵子収集法と二段階採卵法の秘密

 

 

 

 

 

こんにちは。

コウノトリ生殖医療センターです。

 

いかがお過ごしでしょうか?

今回当院で体外受精を行い妊娠された方の患者様の体験談です。

 

 

医師に「卵子収集」方式を勧められました。
 薬物の刺激も経口排卵促進剤を主として、毎回の診察後に卵胞の状態に応じて少量の注射が必要かどうかを判断します。
 この治療方針が私の体質にあっていたのか、精神的な負担と費用を比べるとはるかに気が楽です。すぐに9個の成熟した凍結卵子が集まりました...

 

 初めてコウノトリに来たのは2016年4月、これの前にも他の病院で1度人工授精と4度の体外受精を行ったことがありますが、すべて失敗しました。

 その時の私は肉体的にも精神的にも疲れ果てていて、コウノトリを最後の目的地とすることに決心し、それでも成功しない場合は諦める!
 今思えば自分は本当に運が良かった、最後の最後で正しい選択をする事ができて。

 

 当時、W医師は私のとても理想的とは言えないAMH値を見て、私の年齢(当時40歳)を考慮し、「卵子収集」の採卵方法を提案してくれました。
 数量による最大の勝率を求める、薬物の刺激も経口排卵促進剤を主として、毎回の診察後に卵胞の状態に応じて少量の注射が必要かどうかを判断します。
 この治療方針が私の体質にあっていたのか、一度に2〜3個成熟した卵子を採集できた回数はそこそこ頻繁にありました。
 私が以前他の病院でリュープリン注射をしてから卵巣を休め、さらに補助で毎日2〜3回排卵促進の注射を打っていた時と同じくらいの効果がありました。
 ただ精神的な負担と費用を比べるとはるかに気が楽です。

 

 すぐに9個の成熟卵子を凍結して集めました。
 並びに精子の顕微授精を採用し、5個の胚盤胞(5BB * 1および5BC * 4)を取得しました。
 もともと5BB胚盤胞はPGS検査で正常染色体であることを確定後、すぐに移植したかったのですが、W医師にまず子宮鏡検査と卵管造影検査をした方がいいとアドバイスされました。
 検査後子宮ポリープと卵管浮腫をみつけ、そこから半年かけて子宮ポリープ切除術と卵管浮腫の除去、体調を整えました。
 W医師の細心な注意とこだわりのおかげで妊娠に好ましくない要因を発見し、取り除けた事を心から感謝しています。

 

 やっと、冬に5BB & 5BC合わせて二つの胚盤胞を移植しました、以前に他院で何度も失敗したため、私はこの移植についても楽観的になることはできず、
 妊娠発表の前にこっそり妊娠確認する勇気すらありませんでした。
 すぐに妊娠判定日になり、病院に足を踏み入れたとき、気持ちがとても落ち込んでいました。
 冒頭W医師が私に何を話していたのかも聞く気持ちになれませんでした。
 W医師が妊娠した事を祝福してくれるまで、私のHCG指数が3315であると言われました。
 
 それを聞いた瞬間私は呆然となり、涙がこぼれ出そうになるのを我慢しながら、心の中で私妊娠したんだと叫んだ!
 夫と私の遺伝子を持つ小さな赤ちゃんがやっと私の人生の中に来てくれた!
 その後、私は期待と共に妊娠期を過ごし、歓喜の中で陣痛と分娩を迎えました。
 分娩室が私の健康でとても可愛い男の子を抱かせてくれた時は本当に気持ちが昂りました。
 以前私の人生は上弦の月のようです。
 輝いてる事に変わりはないですが、それでもずっと何か欠けているように感じていました。
 赤ちゃんができて初めて円満とは何かを知りました。
 今年の中秋節は夫と赤ちゃんと一緒に過ごしました。
 空には明るい満月。優しく穏やか。私の気持ちと同じように。

 

 最後に、もう一度コウノトリのW医師とチームすべての培養師、看護師、コンサルタント及びカウンタースタッフに感謝します。
 あなた方のプロフェッショナルで私と家族が愛する子を授かる事ができました。
 そして治療中の親切で熱心なサポートは私たち母親へのストレスを大幅に軽減しました。
 私はあなた方の助けを得ることができてとても幸運です。
 これからもたくさん妊娠を希望する母親がコウノトリを選択してくれることを願っています。
 私と同じように母親でさらに幸せな女性になれるように。

 

 コメント

Angel

 Angel

 

  1. お節介な母、王婉諭さん:「人生には愚かな質問はなく、愚かな答えだけ」。
    妊娠したい人はよく質問されます:「私と同じ高齢で子どもが欲しい人いますか?」
    往々として返信に熱心な人たちが自分の経験を分けてくれます:「どう薬を混ぜたらいいか」、「花祈りはどの寺院が効果的か」など。
    最近、やっと科学精神を持つ経験者が、最新のテクノロジーの使用と正確な考え方を真剣に共有し始めます。
    高齢に達したあなた、どちらの答えがあなたにとって正しいのかを賢く判断できますか?
     

  2. 体外受精と聞いたときに最初に頭に浮かぶのは「Do IVF」?それとも「Make a baby」?
    人工生殖実験室は後者を提供するべきです。なぜなら夫婦は健康な子供を求め、Do IVFの過程に耐えることを厭わないので、生殖チームは細部をすべて処理し、
    彼女に最適な技術を1つずつ選択する責任を負う必要があります。
    最後に卵子凍結とPGS検査で彼女の手助けをします。
    高齢の困難な外的条件では、順調に健康な子供を産むことを除いて、さらに3個の胚盤胞が冷凍された状態で待っています!
     

  3. 以下40歳のコウノトリでの9サイクル奮闘治療記録:

 

こんにちは。

コウノトリ生殖医療センターです。

 

本日は国際結婚をされた台湾女性の体外受精の体験談をお送りします。

 

 

 

43歳、性格は優柔不断、いつも障害がある道を選んできた私が、

1年ほど前に5日かけてスウェーデン人の主人を説得し、チケットを買って北欧から新竹へ体外受精をしに帰ってきました飛行機

 

主人と知り合ってもうすぐ20年、気ままにお金を浪費する札束青春を過ごし、

ぐずぐずと今に至ってやっとまじめに、本当に子どもが欲しいのかどうなのかということに向き合いました。

 

恨みごとを言わないなんて嘘です。

男性は単純に、子供を持つことは簡単なことでまだ時間があると思っているからです。

特に私はアジア系特有の丸い顔をしているので、外国人はどう見ても私が25歳未満に見えてしまうのです。

でも私は自分で分かっていました。体の健康も卵子年齢も同じことだと。

 

主人は長い間気持ちを表にあらわさなかったので、私も自分の本当の気持ちに気が付かないふりをして猫猫を飼いました。

たまに主人の思いを探ってみたり、たまに人生設計が心配になったりしながら一日一日が過ぎて時計

そのまま二人でスウェーデンの産婦人科へ行き、一通りの検査をうけました。

 

医師は単刀直入に、基本的に何も問題はありません。

もし今あなた方が30歳なら、私はあなた方にこう言うでしょう。

 

このまま帰って引き続き頑張ればいつか子どもができますよ。

でも、もし今ご夫婦お二方とも40歳を過ぎているなら、早く体外受精を受けに行くべきです。

奥様の卵子はきっとまだ受精できるはずだから、と言いました。

このときAMH値は1.96、すでに不合格でした。

 

何も考えていないわけではありませんでした、自分がいつか体外受精の道を行くなんて。

年をとったいい所は、たくさんの経験談が嫌というほど耳に入ってくることです。

何人かの親友がそれを経験したことがあって、毎回私は彼女たちの体験を、あたかも自分も体験したことのように感じていました。その後、足掻いている間もなくこの歳になってしまいました。

ここで賭けないなら勝てるかどうかなんて、どうやったら分かるのでしょうかはてなマーク

 

でもこの人生は、運に賭けても毎回負けてばかりでした。

いずれにせよ手持ちの預金全てを出して全額勝利をするのだから、もう他に方法はないのだと、すぐに答えは分かりました。もし失敗したらこれから先は、大したことではありませんが、何匹かの猫を育てることにします。

残されたのはスウェーデンで治療するか、台湾に戻って治療するかという問題でした。

スウェーデンでは交通の面でも、言語の面でも不便があるということが考えられます。

また、私の父と母の家は竹北(台湾北部新竹県のある地域)にあります。

 

私は医療というのはデータをもとに話すということが分かっていました。

台湾の体外受精の成功率は全世界で2番目に高く、わずかの差でアメリカに続きます。

サービスの質は絶対にヨーロッパ圏のどの国より十何倍も良いでしょう。

それに私の知っている中で少なくとも3人の赤ちゃんがコウノトリ生殖センターから家に帰っています。

当然私の心はまず台湾に帰ることを一番に選びました。

 

親友が台湾で私に代わって電話をしてくれました。

私はスウェーデンですぐにインターネットを使ってコウノトリ生殖センターのコンサルタントに連絡をして、

検査の資料を送って見てもらいました。

すぐに胚盤胞収集法を採ることが決定され、少なくとも半年のチャンスを自分に作ることができました。

 

ピンク音符第一楽章:科学の裏切り

 

 

他の人と同様に注射や採血が怖く、私が自力で注射を打つことは一度もありませんでした。

幸いにも父が苦労を厭わず2日に一回、私を乗せて生殖センターへ注射を打ちに連れて行ってくれました。

加えて、必ず遅い時間に排卵促進剤をしなければなりませんでした。

 

深く印象に残っているのは、ある晩、私は自分で真っ暗な二階に上がって行くと、検査室の外のところで電気スタンドが点いていて、培養師が私の注射薬を準備しながら電話に対応していました。

それは慌てたふためいた妊婦さんが掛けてきたものでした。

やっと妊娠に成功して、安定期に入ったと思ったら突然出血しました、と。

培養士は辛抱強く彼女にどのように処置をしたらいいか教え、彼女の気持ちを落ち着かせていました。

私は聞きながら胸がキュッとなりました。

培養士さんは優しく何度も繰り返し語りかけていましたが、このような状況で誰が安心して休むことができるのでしょうか。

デスクの上の、あの明かり以外の暗闇は、まるでこのとき私たちの寂しくて心細い気持ちのように、留まることなく出口の深いところまで伸び続けていました。

 

ひと針、またひと針、注射を打つうちに、自分では一つ、また一つと困難を乗り越えているような気がして、

いつも希望がありましたが、24時間経たないうちに、将来の道はだんだん厳しく、気が張っていくものだと分かりました。

私の心臓はそんなに強いでしょうか。耐えられるのでしょうか。

治療過程の長さは人それぞれで、妊娠に成功したとしても、まだあとどのくらいの幸運を溜める必要があって、この妊娠までの全ての過程に耐えられるのでしょうか。

 

 

この夏、続けて3回卵子を取り、総計20個、成熟卵は14個、5日目まで育った胚盤胞は9個。

コウノトリのチームが採卵と胚盤胞培養までの技術の成功率は本当に私が地元で調べたネットの文章で見た中でも一番高かったです。

それでも、普段家にいるときはつい、ネット上に上がっている辛く苦しい体験談を見ながら、自分の状況に有利に当てはまるデータを何とか探し出して自分で自分を慰めていました。

毎回の受診時に、まるで、小さい頃悪いことをして学校の先生に職員室まで呼ばれて思う、あの逃げ出したいという気持ちになっていました。

本当は分かっていました、このような状況は何とも比べる価値もないということを。

 

人によって身体の状況はこんなにも違うのだから、ある人の身体に起こったことは今度は私の身体にも現れるかもしれませんよね。本当は分かっていました、私は何も間違ったことをしてはいないということを。他の人の成功また失敗も何が原因かなんて分かりませんよね。気持ちは矛盾していて心細く、私はついに、どうしてこのような出来事に遭遇した人がみんな、神や仏に助けを求めるのか理解しました。

「これは科学の事象のようですが、どの当事者も心の裏側では、少しも科学で解決できることではないと分かっています。」

高齢だから、ただ胚盤胞のレベルだけでPGSができる私は他に何も考えないで治療を受けていました。

でも、ERAはしないの?このとき周囲の雑音が増え始めていました。

ある医師達によると、検出したときの数が大体同じで、細かい所だけ異なる場合、着床率というのは、そんなに特別大きくは影響しないそうです。

お金を払うのは同じこと、もしERAをして他の月の周期を使うなら、それは私がスウェーデンに戻る日が段々遠のくということを示しています。

 

独立することには慣れているので、自分一人で色んなことに向き合うのは実はそんなに難しいことではありませんが、これが長くなると、疎外感を生んでしまうのは避けられません。

離れた地にいる主人はたまに電話で寂しさを伝えてきて、それに私はイライラしながら、高齢になった猫のお世話をちゃんとしているのかと心配になって聞いていました。

心身ともに苦しんでいるとき、頭の中には悪魔のささやきが聞こえてきます。

こんなに長い時間帰らなければいけないと分かっていたなら、老いた猫をスウェーデンのような遠方へ連れて帰り苦しませないほうがよかった。

彼がこんなに子供を欲しがっていると分かっていたなら、最初に台湾で治療を終えてから、引っ越したほうが良かったのではないか。

今日の日が来ることが分かっていたなら、若い時もう少し無茶をしておけばよかったのではないか…

問題は、人生のどこの地点に、前もってこんなにたくさんの未来予想ができるのでしょうか。

 

ですが、勝利を決めた以上は、天命を待つ以上は、結局は私はなにもコントロールができないということです。

それなら、ただできることを一生懸命にやるしかありません

そうすることできっと、もし失敗したときに「もしもあの時…」と考えなくて済みますし、

もし最悪の状況が発生したときも後悔の念に陥らなくて済みますから。

 

そして、また1か月の時間をかけてERAを受けました

薬を飲み、子宮膜を移植時の状態にして、少し削った子宮内膜を生検・送検し、黄体ホルモンに浸透してから何時間が一番移植に適しているか調べてもらいました。

神業のようなハイテク技術は、一瞬私達に何もできないものはないという感覚にさせてくれます。

秋になって、ついに移植できる唯一の貴重な一個の胚盤胞がPGSで正常な5BBを示しました。

このとき私はもう2か月続けて移植の薬を服用しており、全身浮腫んで太ってしまい、食欲を抑えることもできませんでした。

何か月かの蒸し暑い夏で長年の鼻のアレルギーが再発してしまいました。

実家にいるとはいえ、もう私の部屋ではありません。

猫が一緒にいるわけでもなく、ピアノにも触れられず、また無職にもかかわらず、ずっと散財して、一日をただ知る由もない結果にだけ期待して過ごし、本当にこのような状態の自分が好きではありませんでした。

 

ただ、彼らは一様に、リラックスしなきゃ。

楽な気持ちでいれば成功率も上がるもんだよと言います。

それで私は必死でドラマを見つづけ、小学校に上がったばかりの姪と遊んであげて、保護猫の施設へ行き猫のお世話をしました。

できるだけ生活のリズムを作るようにして、頭の中でごちゃごちゃと考えないようにしました。

台湾に戻って数か月が経ち、生活の本質はまさに修練だということをゆっくりと体感しました。

この治療に耐えられた人は驚くべき忍耐力と決心以外に、もっと大切だったのは日常生活を維持する能力だったのではないかと思います。

結果を変えられる要素が少ないほど、もっと平常心を持って現実を迎えなければなりません。

 

初めて移植したとき、胚盤胞のグレードは正常な5BBで、子宮内膜の厚さや各項目の血液指数も全て完璧でした。

加えてERA検査で正確な移植時間のタイミングが測れたので、医師は成功率は80%に達していますと言いました。

 

食欲もすこぶる良く、甘いものでも辛いものでも全部食べたくて、お腹が張っている感じがしました。

ネット上ではそれは全部勝利を表す症状だと書かれていました。

胎児の夢を見ること以外、全て私に当てはまりました。

自信たっぷりに受けた14日目の妊娠判定は完全に破滅的で、HCG指数は1にも満たされていませんでした。

 

失望して辛い?

それより徹底的に裏切られたと言ったほうが私の感覚にぴったりでした。

数字のデータに裏切られ、科学に裏切られ、自分の身体に裏切られ、無理にポジティブにとらえていた思考に裏切られました。

まるで100点満点の全科目で落第したと宣告されるときのように、誰が私にその理由を教えてくれるでしょうか。

成功率がこんなに高いのに、私はよりによって残りの20%のほうにいました。

あのときのお腹が張る感じだとか、食欲が増す感じは全て嘘でした。

自分で自分を騙していたのです。

 

私はもう自分の身体も自分の感覚も二度と信じられません。

自分で自分を疑ってしまったのは、一連の出来事のなかでいちばん最悪なことでした。

慰めの薄っぺらい話など医師も言わず、『こんなことは家に帰って一日二日悲しんでおけば大丈夫なことですよ』、

分析が失敗した原因は恐らく今回のD-dimerの指数が高すぎたこと、ほかに子宮腔にも僅かに感染があったかもしれない、と言いました。

 

怒れる生きる屍のようになって10数日後、私は考えました。

もしO医師のように自分に対する要求が高すぎる性格だったら、この研究に専念している長い年月の間に、科学的に解明できないあの20%には毎日のように向き合っているはずです。

だったら私は自分を解放してあげるべきで、もう理由探しはやめるべきじゃないでしょうか。

太陽も毎日変わらず昇り、天は私を失ったとは思っていないはずです。

本当は僅かなくやしさを抱きながらも張り切って12月に移植してそのまま、またすぐスウェーデンに帰ろうとしていました。

医師からそれならその悔しさはゆっくり集めて、スウェーデンに持ち帰り、ご主人と猫とクリスマスを過ごしてください、と勧められました。

体外受精の第一楽章はゆったりと並べられ、激しい中に一瞬の静けさを伴い、長調で始まり短調で締めくくられました。

 

 

ピンク音符第二楽章:大きく揺れ動く情緒

 

スウェーデンの春は依然として地も凍っているような寒さです雪だるま

青春真っ只中で19年連れ添った愛しい猫の見送りを終わらせ、私は一人で桃園空港に降り立ちました。

 

去年の初め台湾に戻ってきたとき、私のおじいちゃんおばあちゃんを送り、今回は猫ともお別れしてしまいました。

本来なら速戦即決だと思っていた体外受精治療は長期戦になっていました。

まるで過去の全ての幸せが遠くの方に行ってしまい、美しい未来がまだ姿を見せず暗い影になっているようでした。

 

台湾に戻ることが一種の現実逃避になっていました。

疑いの人生の一歩は自分を疑うことから始まります。

失敗したのは私に誠意が足りなかったからでしょうか、望みが足りなかったからでしょうか。

私は失敗を認めるのが怖かったからか、子どもがそんなに欲しいのかどうなのか分からなくなってしまったからなのか、

問題から逃げ始めました。

 

これからの方向性を見失ってしまったとき、友人の一言が私の心を落ち着かせてくれました。

認めてしまいなよ。あなたはすごく子どもが欲しいんだって、あなたはただ失敗を恐れているだけ、

頭の半分はもうすっきりしたでしょう?

とことんまでやる以外に、あなたに残された選択は無いのよ。

 

愛しい猫を失ってしまった悲しみと名残惜しさが、硬く私の背中に伸し掛かりました。

消化できないことは知っています。

ただ無理やりでもしばらく見ないように、考えないようにするしかありませんでした。

前に前に進まなければ。皆は同様に、時間が答えをくれると言います。

ただ、私は昔の様々な思い出やその時の気持ちを簡単には手放せず、そんなに大袈裟に捉えることはしませんでしたが、

それがずっと私個人の問題の一つだと思っていて、解決が難しいのにそこまで抱え込まないでと自分に言い聞かせました。

彼らの存在が霞んでしまうことはなく、また何者にも代えがたい存在でした。

中年以後になり、彼らの存在は私が日々の生活を送る上で、段々と生活は容易くないという感覚になる大きな原因の一つだと気が付きました。

 

笑顔を懸命にふり絞って二回目の移植に入りました。

手中には4個のPGS未検査の5BC、私の歩留まりから言うと、1個は正常であって欲しいです。

4個から3個を選んで移植なんて、そんなに運は悪くないはずでしょう。

今回は制御監視したD-dimerの指数が依然として高すぎました。

前回失敗した経験から、全ての可能性を除去するような変化があるはずでしょう。

そして、移植後毎日ヘパリンを注射しなければなりませんでした。

今回は怖くても自分で注射を打つ方法を学びました。

ヘパリンは痛みがあり、痛みがなければ7日間お腹はどこも青痣だらけでした。

 

自分の関所を自分で突くことは簡単に克服できることではなく、終わったあとすぐに、毎朝針を打ったあとの苦しみよりももっと大きなストレスがありました。それは今日、摘まんで注射を打てる肉がどこにまだあるのか、ということでした。

 

あまり期待しない、これは再び傷つくことを避けるための自分の心の防衛です。

それでも人生ですから、本当は大した事はないことでも、あなたにとって酷いと感じることのとき、

どうして?という原因への問いかけに答えがほしいものです。

HCG指数は339.5で着床を示していますが、数値はあまり高くなく、恐らく胚盤胞が望ましくないでしょう。

私は途方に暮れて、家に帰ってからも引き続き毎日注射を打ちました。

二日後、再検査し、もう一度数値が倍の数値にあがっているかどうかを診ました。

これは泣くべきなのか、笑うべきなのか、私はもう分からなくなっていました。

あるときはあるし、ないときはないものです。これは今まで考えもしなかった考え方です。

 

このまま期待し続けるか、または最も悪い方法を選ぶか。

毎日注射を打つ時の痛みを我慢しても、また入れ替わって何もなくなる可能性は大いにあります。

ぶら下がった心はこの上なく痛めつけられていました。

これら全ての出来事は一体私に何を学ばせようとしているのでしょうか。

2回目のHCG検査は倍の成長をしていました。

このとき、毎朝打つあのヘパリン注射は自虐的な励ましになっていました。

皮膚の痛みを借りて、自分に言うのです。私は頑張っている、やれるだけのことはやっている、諦めない…

 

それに耐えて4回目の採血検査を迎えて、HCGの数値は明らかに足りていないということが分かりました。

エコー検査をして、子宮外妊娠では無いことが分かりました。診察台の上で私はほっと息をつきました。

しかし、ついにはっきりとしない憶測の答えに我慢が出来なくなり、興奮しながら医師に言いました。

考えられる全ての可能性を教えてください!と。

そこで医師は私に薬を止めるように、またヘパリンを打たないように、そして月経を待つように、と言いました。

少なくとも結果が確定するので、私はこのように自分に言いました。

明確な答えがあれば、落ち着いて次の一歩をどのように進むか考えられる、と。

 

月経が来たあと、再診に行きましたが、血がきれいに流れていないことが分かり、また診察台の上で麻酔を打たれました。

麻酔が取れて起きたとき、私は泣きました。

体外受精を始めてから初めて泣きました。また失敗したことが泣いてしまった原因の全てではなく、

治療過程で気持ちの大きな浮き沈みがあり、メンタルをかなり早く枯渇してしまったことが原因です。

 

子供がおらず、また自分の身体がボロボロになっていくことが心配で、卑屈になるような感じがしました。

でも全ては自分で選んだことです。誰の所為にもできません。誰が責任をとるというのでしょうか。

台湾に戻ったら飼い猫を亡くした悲しみから逃れられると思いました。

運命は私を無理やり様々な別れと向き合わせました。ここはどん底でしょうか。たぶんそうです。

でも、目の前の道にまだ一つ深い穴があります。

進んでも進まなくても、下に沈み込んだどん底では、上に這い上がるという選択はありません。

私は再び、医師に早くスウェーデンに戻ったほうがいいでしょう。

メンタルの休息は身体の休息より、もしかしたらもっと重要かもしれませんから、と言われました。

家に帰っている道すがら、もう涙はでませんでした。

何も感じず、何の期待も希望もありませんでした。主人と顔を合わせ、彼の気持ちに何の感情も感じられず、

ただ追い立てられるように子供がいない人生をどうやって過ごすか、思案を巡らせていました。

第二楽章はゆっくりと、捉えにくいようなテンポで、終わりのない終わりを書き留めておきます。

 

 

 

ピンク音符第三楽章:即興コード

 

 最後に残った三個の胚盤胞、一個は5BC 未検査、一個はモザイク型、一つは外観は良いですが1PN。

考えられるのは、このような妊娠成功率がどれほど低いかということです。

完璧な1度目は全て失敗してしまい、二度目の4個に賭けたうち3個の結果が絶望的で、手元に残された3枚の使えないカードで、

ほとんど勝ち目が無い中、神様は私が直接このゲームを放棄して去りたがっているのを知ってました。

 

最初に裏切られたことで、次を期待しなくなり、今に至るまでに、完全に諦めてしまいました。

容赦なく攻撃された傷は治ることはなく、心は死んでしまい、まず徹底的に絶望に陥ってしまったあの時を思い出し、自分の心を守れる方法は直接最後の一つの選択肢を選ぶことだと思いました。

現実は体外受精に投資できるだけの費用はそんなに残されていませんでした。

里親は収入の審査がとても厳しく、私たち二人は絶対に通らないでしょう。

現実は、40歳を過ぎて何を成し遂げたわけでもなく、スウェーデンに移住して自分一人を養うのでさえ、まだ少し問題があるのに、

子供を育てるなんて、ストレスが重すぎます。

 

常に物事に対してはっきりと意見を言わない主人ですが、今回は私が早く台湾に戻って、最後の移植をすることに強くこだわりました。

「目に見えて失敗すると分かっているのに、なぜまた行かそうとするの?」と聞くと、

主人は、少なくともまだちょっとだけチャンスがあるでしょう、と言いました。

私は主人の態度が本来のこだわらないという姿勢であることに気が付きました。

または、時間もお金もたくさん費やしたので、降伏したくない感覚が出てきたのでしょうか。

もしくは、不妊治療の過程の中で徐々に、自分がこんなに子供が欲しかったことに気が付いたのでしょうか。

賭けをするような意味もこめて、少しばかり自分の役目を果たし、できるだけ早く解決すると私は主人に答えました。

しかし、変わらず胚盤胞の質は全ての基礎だと深く信じていました。

心の中の一面に厚い厚い防壁を作って、自分に子供のいない人生をよく考えたほうがいいと言い聞かせました。

 

 

 

移植の日、私はまた一人でコウノトリ生殖医療センターに着きました。

 

医師は『最後の三個です。すごくプレッシャーでしょう?』と言いました。

見慣れた手術室の天井を見つめながら、苦笑いを浮かべて、どちらにしても、もう何も残っていないので、プレッシャーもないから、早く子供の問題から卒業させてほしいと思いました。

ただ、手術の安全無事を祈り、私は元気をだして、人生の他の意義について考えました。

子宮内膜の厚さはぎりぎり標準値に達し、黄体ホルモンもギリギリ範囲に達して合格でした。

 

今回の状況は前回二回より数値がよくありませんでした。医師は二日ごとにプロゲステロンを打ってください。

今回のD-dimerは前回2回より高くないですが、念のために打ったほうがいいでしょう、と言いました。

 

おなかの皮に自分で注射を打つことはできますが、おしりにプロゲステロンを打つには、

自分の体をねじって垂直に針を刺さなければならないので、少し面倒くさいです。

まさか保護猫の施設職員の方が注射を打つのを手伝ってくれました。

彼女は毎日年老いた猫に生理食塩水を注射しており、また半年続けてFIP薬を打ち、二匹の猫を救っているそうです。

慣れているので、プロゲステロンはFIP薬よりすごく打ちやすいわと直接言いました。

私は正当な理由のために朝早く保護猫の施設に到着し、一日をそこで過ごしました。

二週間後、HCGは1373で妊娠が確定しました。

 

少し信じられませんでしたが、喜びづらかったです。

結局あの3個の胚盤胞の状況は途中でダメになる可能性が少し高かったからです。

一週間が過ぎ、生殖センターの電話を受けました。

培養士と医師の説明のあと、ヘパリンを多めに打つことが決まって、毎日一本になりました。

 

皆さんの戦々恐々とした信じられないという感じが伝わってきて、私はそれを考えたくなくて、わざと自分に何も感じさせないように、毎日恒例の注射と薬以外、保護猫の施設の猫たちと一緒に過ごしていました。

 

率直に言って、人生でどのくらいのことが自分でコントロールできるのでしょうか。

人事を尽くして天命を待つという言い方は古臭いですが、本当にその通りだと思います。

このときはただ、自分の気持ちをしっかり守ることだけしかできません。うっかり落ちてしまったら、パラシュートを開いて、少なくとも自分が地面に打ち砕かれないようにしてください。

もし余力があれば、頭をあげてこの道の風景の眺めを楽しめれば一番いいのですが。

 

第七週、私は冷静に超音波室に入り、二つの心音ラブラブを聞きました。

ケータイで2回録音したものを主人に送りました。

主人は私がふざけていると思ったようです。BPM=176,Bebop曲目でよく使う拍子の速さです。

私はまた冷静に診察を終え、数日間、訳が分からないまま過ごし、まだこれが本当のことだと信じられませんでした。

今回のようなことが発生する確率はどう考えても宝くじに当たるより低いと思います。

「最も科学的なことは、生命の奇跡が起きても謙虚にまた謙虚にそれに向き合わなければなりません。」

人類の抱く傲慢さは時に巨大でそれは自分の眼を遮ってしまいます。

私はそれは片手で空を遮られようなもので、状況をコントロールして、起こることはいつも字面どおりに進むものだと思っていました。計画的にすればするほど空虚になります。軌道設計を緻密にすればするほど、脱線する可能性も大きくなります。

そして二つの小さな心音がもたらす大きな大きな共鳴は、私に服従させ、認めさせました。

 

この一年ちょっとの旅路は決してでこぼこ道ではありませんでした。

たくさんのひどく辛い経験が耳に入ってきました。

どの経験も私は全て自分の心に留めて、彼女たちの経験に心を痛めました。

 

私はとてもマイナス思考の人間で、私には人の心を動かす資格はありませんが、いま不妊で苦しんでいる女性たちを励ましたいです。お金を払って宝くじを買うことと同じです。

買えば当たるチャンスがありますが、買わなければ当たることもありません。

勇気をもって自分と向き合い、一歩を踏み出しましょう。

 

体外受精の治療過程は本当に長く、映画で上映されるようなロマンチックでサプライズのあるようなものではありません。

二本の線が見えたときが全てではないし、必ずしも、心音が聞こえた瞬間でもありません、

喜びの後ろには、喜び以上の不安を含んでいます。しかし、幸せは最後にはやってきます。

 

もしかしたら、あなたが考えもしなかった方法でやってくるのです。

それは治療過程の中の小さな積み重ねのときかもしれません、だんだんとしっかりとした生命の本質が分かってきたときかもしれません、自分が何者かに気がついたときかもしれません、心の向きが定まったときかもしれません。

体外受精第三楽章は、テンポは176のジャズ即興で、コードは不意をつかれるように、強調したビートも沿えて。

なんて幸せなのでしょう。私と主人の大好きな音楽スタイルで作曲することができました。

 

コメント

Sylvia

Sylvia

  • 以前受けた治療過程を知っているので、三回目の移植治療を手配したとき、付き添いの身分である私はとても緊張していました。今回は絶対に成功しますようにと、ずっと祈っていました。奥様の気持ちは如何ばかりであったかと、察するに余りあるものがありました。胚盤胞の外観は参考にはなりますが、妊娠率を表すものではありません。毎回の胚盤胞は一つの希望です。ご主人の励ましと支えがありましたから、お二人は諦めることなく最後の「見るからに」勝算が低めの三個の胚盤胞が望みどおりの赤ちゃんたちになって家に帰ることができました。

 
  • 懐妊成功は最初の一歩があればこそです。最初に失敗を経験したあとで、二回目は着床に成功して懐妊された方でも、あとの妊娠継続率が伸び悩み、子宮内膜掻爬術で流産を促さなければならない経験がありました。心も体も大きなショックを受けてしまいました。お客様にお休みしていただいている間、当院のプロジェクトチームはこの案件について討論をしていました。重複移植が失敗する原因について分析し、体内の免疫システムや血栓問題を疑いました。最後の一回移植するとき、薬を強くして、免疫をコントロールし、血栓数値調整用の薬も併用して、ついにあなたに人生で最も美しい鼓動を聴いていただくことができました。

 
  • あなたの文章を受け取ったとき、その文章を院内で共有させていただきました。あなたを知っている仲間たちは皆感動していました。

 
  • 以前台湾であなたが勤めたところでも次々にあなたの話は共有されました。あなたのいい知らせが届くように皆さんも祈っていらっしゃったようです。子を求める道はとても辛く困難で、そしてとても孤独です。コウノトリグループは誠心誠意、お客様が一日でも早く赤ちゃんを迎えて家に帰れるように全力を尽くします。あなたが諦めなければ、私たちグループはあなたと一緒にこの辛く困難ですが、しかし幸福を迎えるための旅路を共に進みます。

 
  • 以下、お客様のコウノトリでの懐妊までの旅路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台湾(台北)で台湾在住・台湾駐在の方に向けの妊活説明会 2021年7月31日(日)に関する重要なお知らせ


今後の新型コロナウイルスの影響により、説明会の延期もしくはオンライン説明会に変更となる可能性がございます。

どうぞご了承ください。

 

詳細が決まり次第、こちらで発表いたします。

 

ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

 


 

 

本日は5/17(月)にお届けした動画のご夫婦のインタビューをお届けします。

 

前回の動画はこちらキラキラ

 

 

 

 

彼女は当時とても無力だったことを思い返し、心の中で問いました。

どのような出来事も努力があってこそ結果がついてくる。

一生懸命セリフを覚え、きちんと記憶していれば間違えることはない。

 

ですが、出産に関してはそうはいきません。

明らかに病気にかかっていなく、あらゆる方法を何度も試し、科学的療法や民間療法を試しても、なぜ妊娠できないのでしょうか?

 

 

 

ロマンチックなドラマは、男女どちらの主人公ともにお互いのことを知らずに始まります。

知り合って数回デートして徐々に良い印象を与え、いくつかの紆余曲折を経て、誤解や喧嘩、馴れ合いを通し、

最後には全ての困難を克服して結婚に至ります。

そして、みんなが羨むような可愛い子どもを産み、幸せな生活を送る...

 

 これはテレビドラマの一般的なストーリーですが、実際の生活においてきっと誰もが期待する理想的な台本でしょう。

俳優の狄志杰さんと顔嘉楽さんにも同じことが言えます。

長い間演者として過ごし、人生というものは、脚本のように愛する人と結婚し、子供を産み、一緒に幸せに過ごすという思いがあり、それが彼らにとっての完璧な家庭像でした。

 

 

 

流れ星舞台劇での出会い

 

二人とも演劇学校の出身で、初めての出会いは舞台劇でした。

舞台が大好きな志杰と嘉楽は、一方はコメディのリズムをマスターするのが得意で、もう一方は感情を細やかに表現することが得意、互いの演技スタイルに深く感銘を受けていました。

「初めの演技は全然違いましたが、彼女の中には自分が尊敬する表現があり、そこに大きく惹かれました。」

ですが、当時は互いに恋人がいて、良い友達という関係だった。と、志杰は言いました。

その数年後、テレビドラマで夫婦役として共演し、当時は二人とも恋人がいなかったため、ドラマが終わってからもその愛情は続きました。

 

交際時の二人の年齢は結婚適齢期であり、その関係は7年間続きました。

周りのが二人の結婚を後押ししていましたが、志杰は結婚後に嘉楽が妊娠に対するプレッシャーを感じてしまうのではないかと心配していました。

もともと二人とも子どもが欲しいという考えで、嘉楽は一度それを拒否しました。

自分は伝統的な考えだから、お互い認め合っているのだから先に結婚してから子どもを作ろう。と、言いました。

何度か話し合いをし、ついに2014年に入籍しました。

 

 

 

流れ星ゆっくりと理想の家庭を築き上げていく

 

結婚してしばらくすれば自然に子どもができるはずだと思っていましたが、その通りにはいかず、

結婚2年目まで妊娠することはありませんでした。

「私たちは妊娠は当たり前のことだと思っていた。」と、嘉楽は素直に言いました。

彼らは自宅に「出産」を意味する金色のシャベル、妊娠を助けることができる貫通石、さらに赤ちゃんの写真も置きました。

西洋医学の医師の診察を受け、漢方薬を飲み、色んな治療法を試しました。

その後、人工受精や体外受精も試しましたが、良い結果には至りませんでした。

 

多くの人が、「焦らないで。自信を持って。楽しい気持ちで過ごして。」と、言いますが、失敗の数が増えるにつれて、挫折感がますます深くなります。

志杰は、目を真っ赤にしてトイレから出てくる嘉楽を見て、どうしたのかと尋ねると、生理が来て再び失敗したことを知り、この場面は彼の心の中でとても辛い思い出だったと言いました。

「私の子どもが欲しいという思いが強すぎるの。」と、彼女は当時とても無力だったことを思い返し、心の中で問いました。

どのような出来事も努力があってこそ結果がついてくる。一生懸命セリフを覚え、きちんと記憶していれば間違えることはない。

ですが、出産に関してはそうはいきませんショボーン

明らかに病気にかかっていなく、あらゆる方法を何度も試し、科学的療法や民間療法を試しても、なぜ妊娠できないのでしょうか?

 

妻がこんなに傷付いている姿を見て、志杰も胸が痛みましたが、彼は寄り添う以外に何もできなかったのです。

ある日、董至成と一緒に撮影している時に不妊治療に苦しんでいると話していると、コウノトリ生殖医療センターを紹介されました。

そこから、この旅が始まりました。

 

 

 

 

流れ星問題に向き合い、支えあって困難を乗り越える

「初めてコウノトリ生殖医療センターを受診した時は、クリニックじゃなくて画廊やカフェに来たような感覚でした。」

以前に受診した他のクリニックや病院は、伝統的でマニュアル化されていて、医師や看護師は多くの不妊症患者の診療に慣れていて、常に無表情であると感じました。

でも、コウノトリ生殖医療センターのすべての医療スタッフはとても親切で、診察に来ていることを感じなかったので

プレッシャーもそれほど大きくなかった。と、嘉楽は言いました。

 

以前に診察に行った時は、医師の時間を邪魔してしまうのではないか、時間を使いすぎてしまわないかと気にして、頭の中が真っ白になって何から質問して良いか分からず、早々に切り上げてしまうことがありました。

質問をしても、医師と看護師の態度が「高齢なのに、まだどうにかしたいの?」と言われているように感じました。

コウノトリ生殖医療センターでは、医師が積極的に分析をして、あらゆる解決法やコウノトリの資料についてとても詳しく提案してくれて、とても印象に残りました。

 

「今までのどの医師とも違って、コウノトリ生殖医療センターは私に衝撃を与えました。」


 

コウノトリの診察は決まった流れではなく、自分にとって最適な方法やメリット、予算と体状況に適した方法を医師と相談することができます。「とても自然に、安心して話すことができる。」嘉楽の年齢での成功率は20~30代と比べて大幅に低下すること。ただし、まだチャンスはあるから諦めないで。と、医師が正直に伝えてくれたと嘉楽は言いました。

 

通常は、採卵後すぐに卵子を培養して母体に移植して着床が成功するかどうかを確認します。医師は志杰と嘉楽の状態を考慮し、何度か採卵してから培養後にPGT-A/PGS検査を行い、移植に適する胚盤胞を確認することを提案しました。

この方法は、移植しても胚が着床せずに失敗して、また移植を繰り返すことでとても時間がかかり、自信もみるみる失っていく。ということを避けることができます。

 

この治療過程を繰り返した後、嘉楽は6個採卵でき、初めて着床に成功することができました。

この結果を聞いたとき、二人は喜びに満ちていていましたが、ある採血結果が少し異常だということが分かりました。

その後も再検査を行いましたが、結果、妊娠できませんでした。

「あの時、次も失敗するのなら、卵子提供を受けるか他の方法を考えなければならないかもしれない。ということを、すでに二人で話し合っていたの。」

この1回目の失敗を踏まえて、2回目の着床が成功してコウノトリに再診検査に行くときの気持ちは複雑で言葉にできないものだった。と、志杰は言いました。

しかし、赤ちゃんの心拍音が聞こえたとき、二人はとても興奮し、志杰は携帯電話を取り出して録音しました。

看護師からさらに嬉しい知らせがあり、心拍が二つ確認でき、双子だと言われました。

「一人の健康な赤ちゃんを授かることもとても難しいのに、双子ができるなんて!」

志杰はとても嬉しくてその場で飛び跳ねそうになり、希望を捨てなかったことに感謝しました。

「あの瞬間の出来事は本当に忘れられません。」と、嘉楽は笑顔で言いました。

 

「コウノトリ生殖医療センターのとても良いところは、何か気になることがあればすぐに問い合わせができること。」

嘉楽は、診察時間以外でも、質問があればコンサルタントにメッセージを送ることができたと言いました。

妊娠約2か月後、ある日の寝る前に突然出血して二人ともパニックになり、すぐに担当のエミリーに連絡しました。

エミリーはオンラインで対処方法を教えてくれ、黄体ホルモンを注射し安心しました。

「これは他院にはないサービスです。特に、深夜に問題が生じたときに診てもらえるところなんてありません。」

当時の状況を思い出すと、妊娠中は気を付けないといけないことが沢山あるので、すぐにサポートしてくれるコンサルタントがいれば、心配し過ぎる必要がありません。

 

多くの時間と労力がかかりましたが、幸いにも妊娠後の状態は良好で、つわりや浮腫などはありませんでした。

また、妊娠前の子宮収縮も気になるほどではなかったです。

「何の症状もないので、本当に妊娠しているの?と、自分に問いかけていました。」

嘉楽は、双子が生まれてくるのがとても楽しみだったため、少しの症状があっても特に気にならなかったのかもしれません。

子どもに会えるというよろこびは、身体的反応にも勝ります。

 

帝王切開の前夜、二人は医師と兄妹と姉弟のどちらがいいのかを話し合っていましたが、生まれてくる順番は自然に任せよう。と言い、伊兄、伊姉(一兄、一姉)とあだ名をつけました。これは二人が家族の中で年長であることを意味します。

出産したとき、小さくてやわらかい赤ちゃんを抱いて手を震わせている志杰は、疲れきった嘉楽のそばに寄り添い、双子たちに「僕の子供になってくれてありがとう」と言いました。この一言で長年の願いを叶えることができました。

 

流れ星劇の完璧な結末に向けて

 

「私は人より遅く、46歳でやっと2人の子どもを授かりましたが、この時期に出産したことはとても良かったと思っています。」

嘉楽は治療・妊娠・出産を経て、仕事のためでなく、子どもたちとの時間を大切にするために、更に家庭を重視するようになりました。

「子供どもたちが少しでも声を発すると、すぐに抱っこしてあやしてしまうの。」

また、双子であるため、志杰と嘉楽は毎日睡眠不足で「今はゆっくり座ってきちんとご飯を食べる時間もない。」と言っていましたが、二人ともとろけそうなほど甘い笑顔でした。

 

 

この過程を振り返り、コウノトリ生殖医療センターの支えに感謝するとともに、互いにもとても感謝しています。

苦しんでいる妻の身体的負担とプレッシャーのために、志杰は毎日彼女に冗談を言って笑わせています。

嘉楽も、忙しくて疲れていてもこのような思いやりのある献身的な夫にとても感謝しています。

共に努力し、支えあってきた道のりは、今の全ての幸せをより大切にして過ごすことに繋がっています。

 

「台本を読んで今までの過程を振り返ってみると、とてもおもしろい。」

 

二人は困難に直面し、一緒に解決策を見つけ、その過程で傷つき何度も挫折を感じて、まるで修行のようでした

最後にはついに解決策が見つかり、幸運にも妊娠に至りました。

 

しかし志杰は、「できることはすべてやってきたので、失敗していても後悔はない。」と、はっきり言いました。

 

「今の私にとって、家はこの軒であり、私たちは軒の下で一緒に暮らしています。楽しい時は、子どもを抱いて踊り、歌を口ずさみます。子どもたちが楽しいと、私たちもとても楽しいのです。」

伴侶がいて、二人の可愛い子どもがいる。

これはドラマの完璧なハッピーエンドのようで、人生の新しい幕開けは始まったばかりです。
 

 

46歳の顔さんとご主人は友人の紹介でコウノトリ生殖医療センターを訪れました。

 

 希望を捨てなかった彼女は、18ヶ月かけ、旧正月も休まず、合計23回の採卵を行いました。 

 

6個の胚盤胞までの道のりはそう簡単ではありませんでした。

 IVF3.0+を行い、正常な胚盤胞を正しい時間に移植し、 彼女は「幸せ」を掴むことができましたキラキラ

 

「幸せ」の意外な結末とは...?

 

 

 

 

 

実際のご夫婦の体験談はこちらウインク