かおる

 

右矢印かおるのストーリー

 

年齢:1974年生まれ、現在43歳

 

出身地:横浜、社会人になってからは東京

 

現在はマレーシア クアラルンプール在住

来年4月には日本に戻る予定

 

男児二人の母

 

大学まで横浜で育ち、電気メーカーの就職を機に東京で一人暮らし

見栄を張って履歴書に「プログラム作って解析してました」と書いてしまったばっかりに

専門外のソフトウエアエンジニア採用となり、「ソースってなんですか?」

と質問しててしまうような基本的な事も分からない状態から1から勉強する。

 

先輩達に恵まれどうにかソフトウエアエンジニアとしてやっている中

日本モデルだけではなく、海外モデルも担当することになり、

イギリスから出張してきたメンバーと慣れない英語でコミュニケーション

する事になる。

「Can you help me?」とのお願いによくわからず「I can't」と答えてしまった事も。。。

 

自分のエンジニアとしての限界を感じている中、

ある小規模モジュールのリーダーを担当する事になり、

リーダー職が自分の適性にあっているのではと考え始める。

 

その後海外の会社と共同してモデルを出す事になり、

リーダーの一人としてアメリカに1か月出張する機会を得る。

オフィス内に犬を連れてきたり、好きな食べ物食べ放題の某会社の素敵な環境に感動する。

技術も英語力もない中

はったり力、皆様の強力なサポートで、モデルを出すことができた。

 

そうした中、夫のマレーシア赴任が決まり

会社辞めるのに躊躇している中、長男妊娠が発覚、

産休、マレーシア帯同、マレーシアで長男出産。

 

仕事で英語でやりとりしていたので、最初どうにかなるかと思ったら

出産するという単語が分からなかったり、技術英語と生活に必要な英会話は

全く異なることを再認識する。

 

長男半年頃に一時保育に預けて英語学校に通い始める。

 

育休が終わる月に会社が新しい休職制度を作り

ラッキーなことに最長5年休職できることができた。

 

その間に次男をマレーシアで出産、現地の産褥ナニーさんのヘルプを頂きながら

マレーシアで子育てに明け暮れる。

 

長男は2歳からローカルナーサリー

次男は1歳半から長男と同じナーサリーに通う。

2人は夕方までナーサリーなので

私は優雅にお友達とランチや運動など楽しんでいます。

 

4歳の長男はまだうまく話せませんが、英語を理解できています。

 

大した特技がない中、周りのお友達や同僚に恵まれて

いい経験をし、日々楽しく過ごしてきました。

 

現在の休職が来年に切れてしまうので日本に戻る予定です。

しかし日本の保活事情の厳しさに唖然としてます。

今の趣味は日本の保育園探し!

 

経験豊富な皆様と色々と情報交換できましたら幸いです。

 

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