学生に優しい先生(医者)や看護師の先輩もいた。

寿退職する先輩に、『Kは、いい看護師になるよ』と言われた。

学生の私の何を評価して言ったかは謎で(笑)

この先輩の言葉を素直に頂戴して、信じながら仕事と勉強に励んだ。

 

この病棟には病院の2トップの○先生と□先生がいて、おそらく派閥があった様に感じたけど、私は欲張りなのでどちらの先生も大好きだった。

この2トップの先生は、患者様はもちろん看護師からも人気があった。学生の私達にも優しく接してくれた。

私は3つの病院で働いたが、後にも先にもこのふたりを越える先生に会っていない。

 

研修医は色んな先生がいた。詳しくは止めておく。

素敵な女医さんもいた。先輩を含め3人で、夕飯と映画鑑賞をした事があった。緊張した。

 

懐かしい話で、本日はおわり。

 

新型コロナウイルスに負けるな。頑張ろう地球。

「学生さん、患者さんの体温と脈と血圧を測ってきて」と先輩看護師に一冊のノートを渡された。「前日と比較をして異常があったら教えて」と。

大事なバイタルサインを学生に任せるなんて、今では考えられない事ですよ、ね、先輩(笑)

と、皮肉も言いたくなる。

私は、水銀の体温計と水銀の血圧計と聴診器を持って、約40名程の患者様の血圧測定をする事が日課になった。このお陰で血圧測定のベテランにはなったが、今思うと、いかに先輩達が、楽をしていたのかが分かる。

おまけに、食事介助、オムツ交換、シーツ交換、ポータブルトイレの片付け、〆の尿量チェック、痰壺の掃除、患者様の検査送迎、リハビリ送迎、ネブライザー、物品の補充等は助手さんと学生の仕事だった。

平日は、午後から学校だから、時間までに終わらないと助手さんにお願いをして通った。また、学校が終われば残った雑用をこなす日々が続いた。

たまに、「あー、こんなことなら短大にでも行った方が良かったな」とか「看護師じゃなくて、違う仕事の方がいいのでは」と挫折しそうな時は、優しい彼氏に癒やして貰った。

そんな彼氏がいたのも忘れそうな位に、仕事と勉強の両立は簡単ではなかった。

たしか、訪問看護に所属していたのは3~4ヶ月だった。密に看護師と先生と患者様と御家族に接して、ますます看護という仕事に興味が沸いた。18歳の私は、看護師になりたいという程ではなかった。怒られるかもだけど、とりあえず資格を取ろうのスタンスだった。

 

訪問看護の次はリハビリ病棟に配属になった。そこは、看護師と介護士がいる病棟だ。一緒に配属になったMちゃんが患者様と付き合った記憶しかない(笑)たしか、ここの病棟は、学生が必要ではなかったみたい。所属していたのは2ヶ月程度だったと思う。

 

一緒に就職をした他の学生は異動が無かった。私達グループだけがもう3カ所も異動を経験していた。お陰で沢山の方と知り合いになれたし、異動に免疫が出来た。

 

4つ目の配属先は、神経内科病棟だった。始めは精神科と間違えてしまったくらいだ。無知で恥ずかしい。優しい先生、嫌いな先生、好きな先輩、優しい先輩、怖い先輩等とカテゴライズをして、女の戦いも見ながら社会の厳しさを痛感する。この後、私はこの神経内科病棟で10年近く、働く事になるのだ。

2年生になるといよいよ実習が始まる。学校での授業より好きだった。

レポートを書くことも好きだったし、総合病院で実習をし、様々な施設を見学する事が楽しかった。

中でも印象が強いのは、OPE室だった。私が見学をさせて頂いた手術は、痔瘻と堕胎だった。あまり詳しくは書けないが、19歳の私には衝撃だった。産科では、喜びの出産を見学させて頂き、OPE室では悲しみの堕胎を見学した。

 

耳鼻科の実習中に、立ちくらみとめまいを起こして倒れてしまった。これで2回目。低血圧と緊張から午前中の実習が辛かった。追加実習を受けて単位を取った。

正看の学生達も同じ総合病院で実習をしていた。准看の学生よりも凜とした姿が印象的だった。

 

実習中のグループは始めは苦手な人は居なかったけど、グループワーク中に意見を盗んで発表したり、みんなのレポートをまとめて提出を請け負った人が、自分のレポートが終わらずに期限を過ぎてから講師に提出して受け取って貰えなかったりと、とんだ迷惑な奴がいた。

今となっては大したことでは無いが、人間の汚さを実感して学んだ。

私の立ちくらみ転倒もとんだ迷惑だったのだろう(笑)

氏名、年齢は控える。20年以上も前の出来事で記憶が曖昧。

 

寝たきり G様 男 【バイタルサイン、清拭、陰洗、更衣、オムツ交換、体位交換、吸引、      

            経鼻栄養チューブ管理、経管栄養管理、内服管理、仙骨部褥瘡処置、

            エアーマット管理】

 

褥瘡処置(生食洗浄、イソ綿消毒、ユーパスタ、滅菌ガーゼ、滅菌オムツ、テープ固定)

       ステージⅣ、大きさ、深さのチェック(当時はDESIGN評価無)

       往診時デブリ施行

 

介護者は奥さんとお嫁さん。自動ベッドだった。初めて褥瘡を拝見して驚いた。なんて痛々しいひどい傷なんだろうと。G様はたしか、入院時に発生。それを在宅で処置をする家族はどんな思いなのか。頭が上がらない。あたしと褥瘡との関わりが始まった日なのだ。

 

歩行困難 H様 女 【バイタルサイン、清拭、更衣、入浴介助、内服管理】

       

       認知症進行の予防

       入浴介助のお手伝い

 

主な介護者は家政婦さん。H様の機嫌で入浴だったり、清拭だったりした。刺激になると主にコミュニケーション。印象的だったのは、立派なお屋敷とベテランの家政婦さんだった。

 

寝たきり I様 男 【バイタルサイン、清拭、陰洗、オムツ交換、更衣、体位変換、吸引、

            経鼻栄養チューブ管理、経管栄養管理、内服管理、エアーマット管理】

 

       るいそう著明 褥瘡予防

       吸引頻回、誤嚥性肺炎予防

 

介護者は奥さん。I様が人生初の経鼻栄養チューブ交換の患者様だった。奥様は「未来の看護師さんならどうぞ主人で練習をしてね」と快く承諾をしてくれた。先輩看護師が、説明と手技を丁寧に教えてくれた。何回も手技を見学しているのに、実際はうまくいかず、2回目で成功した。吸引もI様が初めてだった。貴重な経験をさせて頂きありがとうございました。

 

寝たきり J様 女 【バイタルサイン、清拭、更衣、両腸骨褥瘡処置】

 

褥瘡処置(生食洗浄、イソ綿消毒、カデックス、滅菌ガーゼ)

      ステージⅡ、大きさ、深さのチェック(当時はDESIGN評価は無)

 

介護者は息子。ゴミ屋敷に遭遇。J様は、瓶ビールカゴに、寝ていた。体臭もひどかった。

人生で初めての体験だった。いつもニコニコしているJ様。先ずは、生存確認が1番だったのだろう。食事は食べている様子だった。トイレは歩行困難の為に垂れ流し状態の様子。

徐々にADLが低下して、至るのだろう。もっと早く介入出来ていれば・・・。

たしか、このJ様は、元気な時にご近所付き合いがあったみたいだ。

最近姿が見られないと言うことで民生委員が面談をして発覚した患者様だった。

 

現代はどうだろうか?ご近所付き合いが乏しくなっている。

高齢者の孤独死は、増えているのだろう。

家族が年金欲しさに、死亡を隠したりと怖い事例もある。

全国民の生存確認が必要なのではないのかな?

出生届けがされていない方の問題もあるけどね。

色々と振り返ったら、将来が不安になってきた。