書評『治安維持法　なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』中澤俊輔著　中公新書

　旧帝国憲法の29条は「日本臣民は法律の範囲内に於て言論著作印行集會及結社の自由を有す」と言論や集会の自由を保証している。しかし政府は大逆事件を犯し、大正デモクラシー弾圧を行った。その中で議会によって治安維持法が作られるが、政党に対しても猛威を振るいそうな法律がいかにして議会を経て作られたのか?また、横浜事件をはじめとした太平洋戦争中での言論弾圧のエンジンとなった法律についても大いなる関心があった。

　成立動機は必ずしも明確ではないが、内務省と司法省の対立が指摘されている。内務省は薩摩と長州の藩閥勢力の牙城で府県知事と警察行政を管轄していた。元々「秩序の乱れを予防する職務」を司っていて「朝憲紊乱」「安寧秩序紊乱」等の曖昧な基準で取り締まり裁判も不要だったので新しい取締法には消極的だったと言う。一方司法省は二流官庁とみなされ非藩閥の人材が集まったため、政治から司法権が確立したと言われている。社会主義者に対しても厳格な法の適用を主張したのは、犯罪を裁くには明確な法的根拠に則るべきだという思想からで、それが内務省と対立した原因だと言う。

　さらに政党が関わってくる。伊藤博文が組織した立憲政友会は原敬の内務省支配と利益誘導があったとする。一方憲政会は思想善導を提唱し、選挙権の拡張や社会政策実現を主張し言論・出版の自由を脅かしかねない取締法には反対した。

　同法制定の前段階として大逆事件があり内務省は社会主義者の監視を強化したし、ロシア革命やドイツ革命の影響で欧米では無政府主義や共産主義に対する取締法を次々に制定したことがあげられる。そして、成立の理由としてはいくつかの説がある。ひとつは「アメとムチ説」で、男子普通選挙法(25年)を認める交換条件として共産党取締法を枢密院が要求したという説。もうひとつはソ連と国交樹立(25年)するためコミンテルンの共産主義宣伝を警戒したという説である。本書では憲政会と政友会の連立政権(加藤高明内閣)が大きいとする。つまりこの二つの政党が結びつくことで衆議院の多数は当然のこととして、貴族院の協力を得ることが可能になったと指摘する。また内乱罪や大逆罪にはない「結社取締法」的性格がいずれかは必要になっただろうと歴史的必然性を説く。

　反対運動は少なくなかった。与党である革新倶楽部は「合法的に政体を改革することを認めよ」という点で反対し、その機運は労働組合、労働団体、農民組合に広まり全国で集会やデモが行われた。

　衆院での審議で問題になったのが「国体」の定義である。内務省も司法省も皇統という歴史的な意味を強調したが、政府答弁は憲法第一条にもとづく「統治権の所在」とした。これは議員と政府に国体をタブー視する空気があったのではないかと言う。懸案であった貴族院改革が抵触する可能性を考え「政体」という語を削除したり、言論を制限することと議員の政治活動を制約することも懸念された。憲政会7名、政友会3名は棄権し、野党の政友本党は賛成し可決された。この法が「(共産主義)宣伝取締法」ではなく「結社取締法」の性格が強いのは、言論の自由を重視する憲政会の意向が反映されたというのは、後を知る者としては興味深い。

　1928年の改正案は最高刑を死刑に引き上げたが、大きな効果を生んだのは「目的遂行罪」を設けた事である。日本共産党に寄与するあらゆる行為を罰することが可能となり、非党員を取り締まれる念願がかなったことでもある。これには批判らしいものがなかったが、これが後に猛威を振るうのであり、このことは現時点においても示唆に富んでいると思う。しかしこの改正案は審議未了で廃案となる。このことに対し緊急勅令というかたちで復活が謀られる。そして30年代の膨張へと繋がり41年の大改正により戦争維持のエンジンとなっていくのである。

　本書は東京裁判で同法作成者が戦犯に問われそうになったことを記している。また、当初結社を取り締まろうとした同法を総括する意味で、暴力から保護されるべき言論へ手を広げたことが多くの悲劇を生んだと指摘する。そして、政党は共産主義思想より不法な誹謗中傷を含めた暴力を排除すべきだったとする。そこには国家主義運動によるテロリズム

が視野にある。「国体」はあまりに漠然としており、政党は何を守るかを明確にすべきだったと言う。

　政党政治全盛だった時代に、さらに反対や廃案があった中で成立した治安維持法を見ることは現代においてこそ意味があると思う。

書評『治安維持法 なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』

書評『治安維持法　なぜ政党政治は「悪法」を生んだか』