ノビル
庄下川河岸枯草の間で、小さな塊になっている草。ノビル。万葉集や古事記にも登場する草。食用可能らしい。史前帰化植物とされている。縄文・弥生の時代には日本に生えていたらしい。回りはノビルだが、中央部分のものは、彼岸花に見える。彼岸花の葉はほぼ姿を消しているが、これは彼岸花だと思う。同じように見えるが、その他のノビルより大柄なものはスイセン。この画像↑ではノビル以外はスイセンの小群落。この辺り一帯にはヒメリュウキンカの葉が密集していたように思うが、開花株はいずれも小株である。花茎は10センチに満たない。対岸に噴泉口がある辺りへ近づくとノビル以外にはヒメリュウキンカの株が目立つようになる。草刈作業との時間差がある場所では、艶のある葉を見せるリュウキンカが増えるcopilotが探し出してきた画像↓コピペ不可能。→再試行庄下川の河川敷でも、シメイヨシノが咲く頃には↑のような状態になった開花株の群落を見ることが出来る。X橋より上流で泳ぐゆりかもめ。パン屑投げたら長い時間をかけて味わっていた。数日前に国道2号線にかかる玉江橋付近では、ゆりかもめを一羽も見なかった。伊勢物語の次の一説なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。(中略)さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。特に下線部の特徴から、都鳥=ゆりかもめ という説が有力だとか。鮮明画像がないが、ハクセキレイが庄下川では増えている。川沿いの家の前の鉢植え。ゴクラクチョウカ。嚏一つ極楽坊にこぼしけり 清水利子深閑と南無極楽寺郁子の花 山村政子風のなき日は極楽と牡蛎を割る 浜川 穂仙極楽へ肘膝ついて笑いにゆく 四ッ谷 龍山の日の極楽いろに鴉の子 柴田白葉女 『月の笛』春の雲夕べ極楽いろさしぬ 柴田白葉女 『朝の木』日向ぼこ死後の極楽疑はず 田中政子極楽中心中山寺月冴えし 中島陽華吊し柿貧しき寺の極楽図 渋谷光枝蜩や堂に地獄図極楽図 石田麦水まんさくや極楽寺坂なだらかに 吉田未灰極楽へ風船逃れゆきにけり 正圓青灯黄落やひとの木戸ある極楽寺 桂樟蹊子湯あがりの極楽浄土虫浄土 阿部みどり女極楽が見ゆと蝙蝠乱舞せり 鈴木蒼穹冷し馬極楽づらをならべたり 三村哲田朝寝していま極楽にゐたりけり 片山鶏頭子極楽に行く人送る花野かな 永井荷風極楽とおもふまで雪ふるを見る 中杉隆世先生が極楽といふ花の下 藤崎久を九十五齢とは後生極楽春の風 富安風生水底の極楽冬に入りにけり 清水基吉極楽坊にて住職の毛糸帽 藤田あけ烏 赤松極楽の島つ岩根の初日の出 坪内逍遥 歌・俳集極楽の夢見て覚むる夜長かな 折井愚哉猿酒や部屋に地獄図極楽図 甲斐遊糸極楽も睦続きなる麦埃 桑原三郎生簀鮎地獄極楽うごめける 松村多美どやどやの極楽門に冬夕焼 田中英子荒れ寺の名は極楽よ蛇住めり 宮津昭彦島の御池海女の極楽雲映す 加倉井秋を曼陀羅の地獄極楽しぐれたり 細見綾子(1907-97)蓮の葉に極楽水を裹み来ぬ 尾崎紅葉路地一つ替へて花咲く極楽寺 古賀まり子春雪や極楽にまた泣く母か 今瀬剛一極楽に行く人送る花野かな 永井荷風極楽へゆきし誰彼牡丹雪 村越化石おのづから極楽へとる恵方道極楽をでてきてしまう蟇 松澤昭 面白遅桜極楽水と申しけり 芥川龍之介極楽の文学なりし蝶を見る 京極杞陽九十五齢とは後生極楽春の風 富安風生極楽の文学と別河童の忌 阿波野青畝極楽の近道いくつ寒念佛 蕪村 冬之部 ■ 感偶すゞしさや垣のとなりは極楽寺 松岡青蘿極楽にあっと行けりとろゝ汁 桃先根は切れて極楽にあり枯尾ばな枯尾花 千代尼日本4つ目の金メダル。女性の方は宝塚出身だとか。