ローズマリーの花言葉は”思い出”
VLo7オーマイキィーの彼女
ポーランドの地方都市「コニャクフ」は、ポーランドとチェコの国境の近くでべスキド山脈にある小さな村で鍵編みレースで名高い、村の女のほとんどが伝統である鍵編みレースに携わっている。
1989年に共産主義と決別し西欧の市場経済が入り1991年から繊維産業はだんだんと衰退してきた。
私が訪れたのは、1985年ぐらいで、まだ、若い女性が職業としてレース編みをしている
のがみられたが、現在では職業から内職程度まで、と多くの人がレース編みをしているではないかと思う。。
町を歩くと目につくのがレースで種類は豊富で目を見張るものも多いが、市場経済が入る前に、私が店で手に取ってみた幾つかはうすく汚れたものもあった。
そういった意味での品質は日本よりも劣っている気がした。
それでも売れていくということは大陸文化と島国文化の違いであろうと少し驚いたのだが、ハンドメイドの刺繍と縫製技術もしっかりしていて値段が安いことにも驚いた。
一週間前にドイツとポーランドとチェコに、新聞とラジオに女性下着デザイナーを募集していた。
その応募が150通程きたのだが、自作の見本のショーツを20代、30代、40代、と分けて作った物を送ってもらえる方と返信をすると、30人程度になった。
それも、募集していないフランス人がほとんどで、面接ではドイツ人が2人、チェコ人2人とポーランド人1人、フランス人であった。
ポーランド人1人は、当時、ポーランドからは、交通機関が行き届いていなかったためこの子だけ私が直接、家まで行って面接することになった。
なんといっても、まだ、18歳で親に連絡すると
「アンナに、このうえにもないこと」と喜んだ。
車はベルリン近郊の南環状線、通称ベルリナーリング 10号を12号に入る前のインターから15号に入った。
道路の脇は森のヘリになっていて人家などはどこにもなく山間の森を抜けいく。
この道も道なりに進んでいけばコニャクフに着く。
ここから、コニャクフまでは340キロぐらいで中間に位置するヴロツワフで一泊し、ホテルで夕食を取りしだい、出発することにしている。
「思えば遠くにきたもんだ。」という言葉がぴったりだと思った。
ヴロツワフは第二次世界大戦におけるドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘で大半が破壊されただが、街の人々によって復興されている。
前もって予約しといたドイツ人ガイドと会い、この街には教会が多いということで教会を案内してもらった。
夕方、一軒のバーらしき店に入ると、客は一人もいなかったので入るのをやめ、ホテルに戻る途中、
「これが本当に、いないいない、バーだ。」と思った。
その町にあるホテルをでて、アンナの家まで10時間で着いた。
アンナの家はコニャクフの町のはずれにあった。
近くまで来ると、牧草で覆われたゆるやかな丘陵の裾をミシンの糸を縫うように走っていると、「どうしてこんなところへ入り込んでのか」と不安になってくる。
一軒の農家の大きい倉庫らしき建物があらわれたので、門を徐行してはいっていくと、倉庫の横にある民家から、一人の中年の麦わら帽子をかぶった男が車のタイヤで砂利の音がするのを聞いてか出てきた。
その男はBMWを眩しそうに見ながら近づいてきて、私に気づいていっそう驚いた顔をして2,3歩、後ずさりをした。
外人に初めて会ったようだ。
言葉がでないようで、ただ立ちすくしている男にアンナの家の住所を書いた紙を渡すと、急に安心した顔色になりポーランド語を話しながら、もう少し行けば右手に小さな家が見えるので、そこだと言っていることが彼の手の動きでわかってきた。
彼女の家が見えると家の外に男が一人うろうろしているが見えた。
むこうも周囲に注意していたのか、車に気づいて家に入り込んだかと思うとすぐに家族3人が出てきてこちらを見て「やっときた!」かのように何か話している様子である。
アンナの家に着き、私が車のドアを開けて出ると両親が近寄ってきてポーランド語でたて続けに何か言っている。
アンナは黙って両親の後ろから離れたところから様子をうかがっている。
身長165センチぐらいのぽっちゃり型だ。
想像とはちがったが、女性下着デザイナーに顔も体系も関係ない。
もちろん私はポーランド語なんて話せない。
あらかじめ通訳ガイドに書いてもらった用紙を渡すと父親はしばらく黙って目をとおしていた。