ここは山の中。
やかんが枝にかけられていました。
photo by takepi「お父さんのバカ!」
男の子はお父さんとキャンプに来ました。
photo by takepiしかし、お父さんとケンカした男の子は、お父さんが大事にしているやかんを捨ててやると、山の中で見つけたちょうどいい木にかけました。
男の子は一瞬やかんを見ましたが、去っていきました。
残されたやかんは山の中で一晩を過ごしました。
明け方、その山に一匹の猿が草むらから現れました。
やかんを見つけた猿は、その木を見上げて言いました。
「君、何でそこにいるのさ」
やかんくんは言いました。
「どうやら置いていかれたみたいだね」
苦笑いのやかんくんでした。
猿は木に登り、やかんくんを木からおろしてくれました。
「猿くん、ありがとう!」
やかんくんは猿くんにお礼を言いました。
猿くんは何かを言いかけて、ゴソゴソと音のする方を見ました。
「ごめんね!もしかしたら、木の上の方が安全だったかも!じゃあね!!」
慌てて逃げる猿くんとすれ違いに現れたのは大きなクマでした。
やかんくんもこれにはびっくりしました。
やかんくんに気づいたクマはやかんくんの方へとやって来ました。
クマはやかんに鼻を近づけました。
人間と猿の臭いを感じとると、右の手を大きく振りかぶりました。
バッシャーン!!
一瞬の出来事でした。
クマはやかんを振り払ったのです。
やかんくんも何が起きたのかわかりませんでした。
ドボン!
飛ばされたやかんくんは川に落ちました。
photo by takepi「イテテテ…。」
クマの爪痕と、川に落ちた時に岩にあたった傷ができました。
クマはやかんくんのいる川にザブザブと入って魚を取り始めました。
大きな魚が次々と捕まえられるなか、小さな魚が一匹、やかんくんの方へと逃げて来ました。
すると、するりとやかんくんの口から中へ入ってしまいました。
やかんくんにはその小魚を出すことはできません。
やかんくんは小魚に声をかけました。
「ねぇ、小魚くん、君はクマから逃げてきたのかい?」
小魚くんは答えました。
「お母さんがクマに捕まっちゃった時に、やかんくんの所まで逃げなさいって。
僕、怖くてやかんくんの中に隠れたいんだ。
ダメ?」
「僕は僕自身で君を出すことは出来ないんだ。
だから、隠れていても構わないけど、僕はここから離れて行くよ、それでもいいのかい。」
「やかんくんはどこかへ行くの?」
「僕は多分、海へ行く。もう一度会いたい人もいるから、持ち主の所へ帰りたいんだ。」
photo by takepiやかんくんはもとのいた町に思いを馳せました。

photo by takepi「僕も大人になったら海へ行くんだって。
母さんが言っていた。
でも、もう母さんもいないし…。
やかんくん、僕も海に連れていって欲しい。」
「わかったよ。
じゃあ、僕の中で過ごしながら海に行くといいよ。
出入りは小魚くんの自由だ。」
ふたりは海を目指して旅に出ました。
天気が荒れて川の水が増えた時は、楽に移動ができました。
晴れて天気の良い日は、やかんくんも小魚くんとのんびり、過ごしました。
photo by takepi小魚くんは時々やかんくんの口から出て、初めて知る川の流れにワクワクしながら泳いでいました。
寝るときは、やかんくんの中でぐっすり眠りました。
海までの旅の間、やかんくんは、中にいる小魚くんと沢山の話をしました。
「やかんくんはどこで、いつ生まれたの?」
「僕は大分昔に生まれたんだ。
その頃は沢山の仲間もいてね。
綺麗に磨かれて、それぞれの主人の家にと離ればなれになった。
僕は、何代かの主人の手に渡って、今の持ち主の所に行くことになったんだよ。
今の持ち主は珍しくて、僕を丁寧に磨いてくれたんだ。
なんか、お湯を沸かすより僕の仲間を集めるのが楽しいみたいだよ。」
photo by takepi「へー、そうなんだ。」
「僕は自分で動けないから、時々考えるんだ。
動ける人間や生き物が羨ましいって。
選べるのが羨ましいって。
でも、ある日思ったんだ。
動けない僕にも、僕の人生はあるんじゃないかなって。
今の持ち主に出会ってそう思ったんだけど、今、僕は、他のやかんとは違う体験をしている。
本来の使われ方をするなら、一生コンロの上でお湯を沸かし続けて終わると思うんだ。
だけど、今の持ち主は砂浜に連れていってくれたり、山へ連れていってくれたり、色んな所に連れていってくれる。



photo by takepiコンロだったり、焚き火だったり、時にはベンチの上におかれたりして、僕の想像を遥かに越えた使い方をしてくれたお陰で、僕はここまで来た。
身体の中に魚を入れて海までの行くって、そうそうないと思うんだ。
そう思うと、僕は動けない分、全部が他力なんだよね。」
「やかんくん、他力ってどうゆうこと?」
「他の力を借りるってこと。
僕を選んでくれる人がいて、僕を運んでくれる人がいる。
木の枝から下ろしてくれたのは猿くんだし、川に放り投げたのはクマくんだ。
この移動は僕自身では出来ない事だよ。
僕はきっと、他のやかんよりも少しだけ強く望んだのかもしれない。
僕の人生を生きてみたいって。」
「だから、コンロでお湯を沸かすだけの想像を越えられた?」
「うん、動けない僕だからこそ、待つことしか出来なかったけど。」
「そうか。なんだか難しい話だけど、僕も僕の人生を生きたいな。」
人生の事。恋の事。
やかんくんと小魚くんは本当に沢山の話をしました。
やかんくんには会いたいやかんさんがいました。
それは一度だけ、海で一緒に焚き火した小柄なやかんさんの事でした。
やかんくんはやかんさんと一緒に過ごした穏やかな時間が忘れられませんでした。
photo by takepi「もう一度会えるだろうか」
星空に浮かんだ月を見ながら、やかんくんは呟きました。
ある日のこと。
カワセミがやかんくんの取っ手にとまって言いました。
「ねー、やかんくん、僕とってもお腹が空いてるんだ。
君の中にいる小魚くんを食べたいな」
ニヤリとカワセミは笑いました。
やかんくんは言いました。
「小魚くんは僕の大切な友達なんだ。
もし小魚くんが君に食べられたら、僕は僕を失ったのと同じくらい、悲しくなる。
それに僕たちは一緒に海へ行くと決めたんだ。
だから君に小魚くんを食べさせる事はできないよ。」
小魚くんがやかんくんの口から少しだけ顔を出しました。
それを見たカワセミはすかさず捕まえようとしましたが、小魚くんは素早くやかんくんの中に戻りました。
やかんくんの中から、小魚くんは言いました。
「カワセミさん、僕はまだ僕の人生を生ききっていないんだ。
僕はまだ生きたいんです。
だからどんなにあなたがお腹を空かしていたとしても、僕は僕を差し出すことはできません。
ここであなたに食べられて終わりたくないんです。」
カワセミは言いました。
「俺がここで食べなくてもお前は誰かに食べられて終わるだろうけどな」
カワセミは去って行きました。
カワセミが去っていったのを確認して、やかんくんは小魚くんに言いました。
「もう、出てきても大丈夫だよ。」
小魚くんは、やかんくんの口からするりと出て来て、やかんくんに言いました。
「もし、僕の人生が誰かに食べられて終わったとしても、今、僕は僕を生きたい。
他の小魚たちが、沢山の努力と危険を乗り越えて海に行くとしても、僕は他の誰とも違う方法で海へ行く。
それまで、誰にも食べられたりしない。
だから、やかんくん、力を貸してほしい。」
小魚くんは、改めてやかんくんに言いました。
小魚くんは他の仲間たちが、一生懸命海を目指して苦労するなか、やかんくんの力を借りてとても楽しい時間を過ごしながら海に行くことを選びました。
色んな景色をみながら、ゆっくりと海に進んでいくなかで、小魚くんは成長して行きました。
時にはやかんくんの口から外へ出て、大きな魚に遭遇したり、網に掬われそうになって慌ててやかんくんの口へ逃げたり、川の中に咲く花を眺めたり。
それでもいつも側にやかんくんがいました。
海へ近づく頃、小魚くんの身体は大きくなり、とうとうやかんくんの口から、外へ出ることができなくなりました。
それでも、やかんくんから聞かされる、外の様子に海へと近づく気配を感じてワクワクしました。
そんな小魚くんの気持ちを感じてやかんくんもワクワクしました。
だけど、やかんくんは知っていました。
海に着く事は、小魚くんとやかんくんのお別れの時だということを。
やかんくんは考えました。
海に着いたらどうやって小魚くんを出してあげられるのだろう。
頭の蓋から出してあげられるけど、どうやって蓋を取ればいいのだろう。
ついに海に着きました。
やかんくんは興奮して言いました。
「小魚くん、海だよ!とうとう海に着いたよ!!」
小魚くんは、やかんくんの口から見える景色と、川にいたときとは違う、水の味で、今、自分が海にいる事を知りました。
「やったね!やかんくん!!
ありがとう!やかんくん!!
僕たちは海に来れた!!」
ふたりは喜びでいっぱいでした。
やかんくんは言いました。
「これから、砂浜に行って、君を僕の中から出してあげるね!!」
小魚くんはびっくりしました。
小魚くんは心のどこかで、思っていました。
(僕は、海へ着いても、ここから出られないのかもしれない。)
けれど、やかんくと話をすることが何より楽しかったから、小魚くんは、出られなくてもいいやと思っていました。
(僕は出れる方法を思いもしなかったけれど、やかんくんはずっと考えてくれていたんだ。)
やかんくんはそんな小魚くんの気持ちがよく分かっていました。
「僕に自由があるように、小魚くんにだって自由があるんだ。」
小魚くんは、やかんくんの中で静かに泣きました。
海に出たことよりも、やかんくんの気持ちが一番嬉しくて、勝手に涙が溢れたのでした。
ふたりは砂浜を目指しました。
その間も、ふたりはずっと話を続けました。
とうとう砂浜が見えてきました。
砂浜に打ち上げられる瞬間、やかんくんは願いました。
もう奇跡を願うしかありませんでした。
でも、やかんくんは知っていました。
「大丈夫。僕たちの道はまだまだ続いてるから。」
波にのったほんの一瞬。
やかんくんの身体が傾きました。
砂浜のギリギリの波のあるところで、やかんくんは横に倒れました。
「やった!」
やかんくんの狙い通りになりました。
外が見えない小魚くんは身体の向きが変わった事に驚きましたが、やかんくんを信じていました。
(やかんくんには分かっているんだ。
だから、何があっても大丈夫。)
「小魚くん!もうすぐだ!」
次の波が来るときこそ、小魚くんが外に出られるチャンスです。
(来た!)
「小魚くん!尻尾を目一杯振るんだ!!」
「わかったよ、やかんくん!!」
言われた通り小魚くんはやかんくんの中で尻尾をバタつかせました。
やかんくんは少しだけ痛いのを我慢しました。
…パタリ。
やかんくんの蓋が開きました。
勢いで小魚くんが外に飛び出しました。
「やかんくん!!」
「小魚くん!!」
ふたりは同時に叫びました。
小魚くんは外に出られなくなってから、はじめてやかんくんの身体をみました。
横に倒れたやかんくんの銀色の体にはいっぱい傷がついていました。
それは、やかんくんが小魚くんと旅した証でもあり、小魚くんを守ってくれた勲章でもありました。
「やかんくん、やかんくん!
あ、あ、ありが…とう!!
本当に…あ…り…がとう!」
声にならないながらも小魚くんは言いました。
やかんくんも、小魚くんを久しぶりに見ました。
もう、小魚くんとは呼べないくらい、立派に育った大きなお魚になっていました。
銀色の鱗がとてもツヤツヤと光っていて、やかんくんは思いました。
「とても立派な姿だ、小魚くん。」
朝日が登ってふたりの姿はますます輝きました。
と同時に、お別れの時間が迫っていました。
「さあ、小魚くん、釣り人がくる前に、君は海に行くんだ。」
小魚くんはうなずきました。
「やかんくんはどうするの?」
「僕は大丈夫。
今も僕の持ち物がここを散歩をしているなら、きっと僕を拾ってくれるから。」
やかんくんも信じていました。
自分の奇跡を。
そして、知っていました。
きっとまたやかんさんに会えると。
「そうか、じゃあまた会えるかな。
やかんくん、元気でね。」
小魚くんは、自分がいたやかんくんの中にそっと触れて、決心して、海の方を向きました。
「ありがとう!やかんくん!またね!!」
「小魚くん!元気で!!楽しかったよ!またいつか会おう!!」
小魚くんは海に消えて行きました。
横になったやかんくんは、じっと待ちました。
遠くから砂を踏む音が聞こえてきました。
小さな人影は、片手に小振りなやかんを持っていました。
おわり
photo by takepi