雑多な話題のすたこらブログ
続 3/20 サリン事件30年
「死亡でも全盲でもおかしくない被害者でした」
30年前の3月20日のサリン事件のある被災者の辿った境遇の21日の
朝日新聞記事について
皆さんは共感できないかもしれません。
「病気がうつるから近寄るな」とか「遅刻されたら示しがつかない」と
この方のように退職を諭されたなど私の会社ではなかったし皆さんに
励まされながら数日後には仕事をする始末でした。
旧ブログに書いた通り、サリンの入った破けた新聞紙のすぐ前に数分も
いたのに。(だからそういう環境でしたので刑事さんたちが3回も自宅へ
事情聴取に来たのでしょう。)
確かに地下鉄に乗るのは嫌でしたので10日ほどハイヤー通勤、その後
日本橋本社での仕事になりました。
私は縮瞳にはなりましたが、この方ほど重症にならなかったのは幸いでした。
もし私が重症でしたら「亡くなった方がいる中、生きているだけ感謝しないと」
とこの方のように強い気持ちになれないと思います。
この方の前向きに生きていく勇気に感動です。
昨夜のフジテレビの”事件発生直後の発声記録の全容初公開”もいい番組でした。
ただ原因がサリンというのを墨東病院で気づいたというのは当時の様子と
違う感じでした。
松本でのサリン事故を担当した長野県の医師が、地下鉄事件中継報道を見て
自分の所の症状と似ていると各病院に連絡したのでした。
それを聖路加病院院長が確かめ通常診察をストップし、サリン対応の薬を
あらゆる薬剤会社に依頼し、多くの点滴柱を都内の病院に借りる指示を
したり、休暇中の医師や看護師の出勤をさせたりの命令などする
あわただしい様子を廊下内での多くの被災者が診察受けながら祈る思いで
見ていたのを思い出しました。
30年の年月で同テレビ番組見ることができました。
地下鉄の社員や消防・警察並びに病院関係者が一人一人懸命な働きをして
下さった当時の中継テレビ画を見て感謝、感謝の私です。