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       下町風俗資料館で昭和の匂いを嗅いできました。
 「 懐かしき昭和の思い出 」

 
上野不忍池脇にある台東区立下町風俗資料館で昭和初期から30年代くらいまでの
風俗展が開催されていましたので懐古趣味で行ってきました。
以下の私のコメントは私の10~13歳ころの記憶です。
 
 
      ② 赤い郵便ポストがお出迎え。
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      ③ 長屋の中にある共同井戸・・・
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      ④ 向こう3軒両隣の住民が洗濯などしながらの憂さ晴らしの(井戸端)会議の場です。
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    ⑤ くっつくように部屋が連なる長屋。
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    ⑦ 今でいうDKですか・・・
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    ⑧ テレビと・・・
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      ⑨ 炊飯器が文明的ですね。
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田舎などには水道などあったのかなぁ、東京ではもう水道が敷けていて③の井戸は
あまり使われていなかったような気がします。
そして氷の冷蔵庫があって、毎日氷やさんが御用聞きに来ますので、氷の残り具合で
「今日は1貫目(3.75kg)下さい。」とか・・・そうすると大きな氷をのこぎりで
小分けして運んで下さいました。
醤油、塩などは酒屋さんが顔出しし支払いは定期日〆のつけ払いでした。

当時の物売りとしてはパンや豆腐、納豆、バナナ、アサリ、薬、物干し竿などが
あり路地を独特の楽器や台詞で、
例えば物干し竿売りは「竹やぁ、竿だけぇ」とか
パン売りは「玄米パンのホヤホヤ~」とか言いながら流していました。

 
    ⑩当時の公衆浴場。
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現在ある公衆浴場も経営的にそんなに儲かるものでないのでこんな感じですね。
サウナとか薬湯とか設備しているところもありますが。
 
当時では何とも思わないことでしたが今では考えられないエピソード。
実は私小学高学年までお袋や妹弟と女湯に入っていました。
私だけでなく周りがそうでしたし今みたいに性的に早熟でない世相でしたので・・・
事実電車内でも若い女性が乳児に胸はだけておっぱいあげていましたからね。
そして内湯に入れるようになり④のように薪で沸かすようになりました。
風呂焚きは子供たちの仕事でした。そのうち豆炭とかコークスで炊くようになり
楽になりましたが。
 
 
  ⑪ 当時の学校の教室だそうですが私の時代より数10年前の頃みたいです。
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         ⑫ ランドセル。貴重品でした。
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教科書は有償でしたので兄弟や知人などからのお下がりが当たり前でした。
私の家は経済的には貧しくはなかったと思いますが世間一般が倹約の風潮でしたし、
物がそう豊富でないので当たり前だったのです。
 
私の少年時代より古い展示品かなと思いましたが違和感なく拝見してきました。
この催しは93日(日)までです。