限定記事
      サリン事件被害者として。③
  「平成7320日~516日」
 
前号より
「いくら同姓同名でも姓はとも角名前の*****はそんなにいないぞ!」と
冷たい妻を娘も加勢して詰めよっても「地下鉄に乗るなんて。」と。
確かにいつもは東京駅から日本橋の会社まで徒歩でしたから。
まぁ命に別状なく無事に帰宅できたので、前号の笑い話で済んだことで親子揃って
遅い夕食。
 
前年(94.6)に起きた松本サリン事件の被害者に係わった医師から
「今回の被害状況は当事件と同じ。」との情報が即時にもたらされたそうです。
お蔭で適切な初期治療受け何の後遺症もない現在の私があります。
 
翌日に治療費は全員労災扱いという事を早々と政府が打ち出してくれました。
これで安心して治療に専念できたというのもあります。
 
2日後に会議再召集されることになり幹部から養生しろとの厳命でしたが
私の意向で出席、差し回しのハイヤーで出勤。
みんなの肴になって・・・小さな目を覗きこんで笑い転げること失礼千万極まり
ない扱い。関係ない部署の奴らからも表敬訪問を受けました。
日本橋と茅場町に従業員は1000人ほどいる会社ですが940分始業ですから
被災者は私含めて2名でした。
でも嬉しかったですね。
災害の大きさからすればもしかしたらこの世にいないか病院のベットでした
からね。
会議後早い快気祝いだと銀座へ繰り出しました。
昼間の銀座が暗かったという記憶があります。
 
今回の事件とオーム真理教の関係が取りざたされるようになったのはこの頃
でした。
 
4日後あたりの夜、居住地管轄のM署から2人の警官が事件の聴収のため自宅を
訪ねてきました。
 
数日後再度違う警官がやはり2名で来訪(2名の行動が基本です。)
同じような質問での受け答えをしました。
前回の聞き取りと齟齬が無いかの確かめでしょう。
最初は私を容疑者とみていたらしいようでしたので、その旨打診したところ
容疑が晴れたらしくその疑問を教えて下さいました。
 
サリンの撒かれた電車が小伝馬町駅に着いた時誰かがサリンの入ったビニール袋を
ホームへ蹴っ飛ばしたそうです。
 
     ① 小伝馬町ホーム。
イメージ 1
 
車内に一気に噴霧されたサリンとともに電車は発車次の茅場町駅で負傷者が降り
(この時点では運転手車掌は異常事態を把握していなかったのでしょう。)
築地駅でパニックになり運転中止になったのです。
で私の乗った電車は2つ後続で、前車がこんな状態で停止したので小伝馬町駅で
運転打ち切りになりました。
私は最前部2扉目から降りてどうしたのだろうとウロウロ。
その柱の陰に蹴飛ばされてサリンをばらまいているビニール袋があったそうです。
 
   ② ⇒私が降りたコース、→○前々車から蹴飛ばされたサリンの入ったビニール袋。
イメージ 2
 
わざわざ柱の陰に、ウロウロそれが容疑者みたいだったのでしょうね。
当時もう防犯カメラってあったのかなぁ。
その後は前号の通りで会社へ。
 
そして5月に上九一色村(山梨県)でのオーム真理教サティアンでの大規模捜索で
麻原彰晃が逮捕されました。