書庫 伝統もの・神輿
              「 懐かしさいっぱいの立花大正民家園 」  


前号の続きです。


墨田区の有形文化財の立花大正民家園(旧小山家住宅)
私の子供時代住んでいた家はここまでは古い感じではありませんでしたが、
共通点がいっぱいありました。
 
この住宅は大正6年(1917)に建てられ、関東大震災や東京大空襲の災害もまぬがれて、
これまで改造されながらも旧態を今に伝えています。
 
  ①  広い敷地にこじんまりしています。 床面積約34坪。
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  ② 主人・客人用と通用口用と二つの玄関があります。  
昭和10年頃茅葺きから瓦に替えられたそうです。
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  ③ 主玄関、格式の高さが伺われる広い玄関と間。
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農家でありながら東京の住宅ということもあって専業農家のような造りでもなく
いわゆる都市近郊の農村住宅の特徴をもつ文化的、歴史的な価値がある建物
そうです。
 
  ④ 普及したばかりの板ガラスの入った当時では珍しいガラス戸。
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          ⑤ 今の若者何だか分かるかな?
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  ⑥ 汲み取り式のいわゆるボットン便所。これは水洗式に替わっています。
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私の実家今でも当時と同じ目黒にあり今でこそ人気な町になっていますが、
山の手の高台ということで水洗便所用の下水管設置が東京でも一番遅れた
地域だったのです。
(昭和60年ごろに水洗になったと記憶するのですが。)
ですから⑥の汲み取り式便所なんて随分長い付き合いです。
バキュームカーなどが来た時の匂いときたら等々このトイレというより
便所には多くのエピソードがあり、苦笑しました。
 
 
  ⑦ 台所。
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  ⑧ それまでの五右衛門風呂を昭和10年頃改造した風呂場だそうです。
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さすがに我が家は薪で沸かす風呂で、兄弟で風呂番していました。
一度消えちゃったら大変ですので付きっ切りでの仕事でした。
まもなくコークスになり多少楽できました。
  
 
  ⑨ 障子。
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障子の張替えも子供たちの仕事でした。
雨の日に表に障子を並べ濡らし紙を剥がれ易くしたものです。

最近は障子の部屋も少なくなりました。

 
      ⑩ 太い柱。ここは低地でしたので浸水時には屋根裏で生活できるように
なっていたそうです。
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私の実家さすがに建て替済みですが、それまでの家は④⑤や⑥とかの雰囲気を
もっていましたので懐かしかったですね。
 
あの頃の思い出が走馬灯のように巡って楽しい訪問でした。