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定めなき浮世にて候へば一日先は知らざる事に候

良い事・悪い事「一つの事象が原因で今日とは全く違う明日を迎える」なんてことを感じてます
「常識(定説・通説)」に対して???と思うことが多い昨今、自らの思いを記することもあります

そんな事を感じながら日常生活の中での思うところを記していきます

習近平が掲げた一帯一路

それに迎合する動きもあれば

債務の罠による借金漬けだと非難する声もある

 

そして中国・武漢で発生拡散され

パンデミックとなった新型コロナウイルス感染症(武漢肺炎)

 

何かと中国への批判が日に日に増している昨今

 

さて、普段から普通に中国って言ってますが

公に「中国と呼んで」と言ったのは中華民国です

 

後期(19世紀後半)にヨーロッパの文明国から次々と

「おたくは世界の中の一部なんだよ」と突きつけられると

主権国家の概念が取り入れられるようになり

国家として中国を自称し始めた

 

これまでは、王朝の概念はあったが国家の概念が無かった

それは中華思想が示している

 

天子が天下(世の中)の中心

 

(文明)のにある人」若しくは

(文明)そのもの」と自称する自民族中心主義の思想で

それ以外はすべて(禽獣、鳥やケダモノと同様、非文明)として

自らを美化した

 

自らを華夏中国と美称

は、はなやか

は、さかん

華夏は、優れた文化を持つ人

それぞれ古代中国の呼称で中華華夏から転じた呼び名

 

中華思想

東周春秋時代から前漢にかけて形成されていった

民族アイデンティティー

 

西周から東周春秋戦国時代にかけて編集された

詩経書経では地理的中心部真ん中の国と言った意味で

中国と記載されている

 

もとは黄河文明が興った黄河中流域で

(西周・東周)の都があった地域の平原を

中原(ちゅうげん)と呼んでいたが

前漢にかけて黄河下流域まで拡大していった

 

以降、征服した中原天子(皇帝)が支配する領域として

中国と称するようになりそれが後期まで続いたということ

 

そして、先にも言ったように国家の概念

取り入れた中華民国が「中国と呼んで」という流れ

 

1946年から全面対決となった国共内戦

1949年10月1日に共産党による建国宣言によって

興った中華人民共和国国際的に承認されていた中華民国の事を

示す中国を使い始め今日に至っている