乾燥性敏感肌男のブログ



2009年の春


身重の妻と福島へ旅行に行った際、高速のSAで見つけました。


まだあんのかな?


余震は続いた。


妻や義母は全く眠れなかったようだ。



ここは内陸なので地震が起きても

津波の心配は皆無だが、

秋田県沖で大きな地震が起きると、自宅はヤバイ。


私も、地震を感じるたびにケータイでチェックしたので

ほとんど眠れなかった。




翌朝、積雪は膝くらいまであった。


貴重な燃料を使って、除雪車を動かす。




仙北市には災害時用にガソリンの備蓄があるとのことで


早速、ガソリンスタンドへ



未だ停電中なので


手動で汲み上げていた。


早朝から何十台と一人でやっている若い兄ちゃんには頭が下がる。




自宅から100kmは来たので、エンプティランプがついていた。


ホント助かった。



妻の実家は本当に山奥なので


ラジオも少々聞き取りづらい。


雪も深い地域なので尚更だ。




日中はやることもなく


ただ寝ていた。



その晩は


しゃぶしゃぶだった。


こんなに贅沢してていいのだろうか?

と思いながら、次々と肉をほおばった。



食後、九州の実家とやっと連絡が取れた。


かろうじてメールでのやり取りはできたので

友人や知人とも無事を確かめあうことができた。




電力が復旧したのは、翌日の午後9時頃だった。




その4へつづく



生協で購入した電池とロウソクもって、新築1年の我が家へ急ぐ。



自宅に着くと、妻と娘が待っていた。


携帯の充電が切れていた妻は事態を把握できないでいた。


娘は保育園の先生が連れてきてくれたようだ。



今日買い出しに行くつもりでいたので


米以外、食料はほとんど何もない。




妻の実家と連絡が取れた。


どうやら発電機や食料などは確保できているとのこと



ガソリンは片道分なら残っている。


すぐに妻の実家へ向かった。




この日は吹雪で視界は悪かった。


信号機は相変わらずどこも消えている。


一時の渋滞は解消されていた。




妻の実家は、奥羽山脈の麓。


山の中を抜ける農道だと早いのだが、余震による雪崩、土砂崩れが怖いので


遠回りだけど、国道で向かった。




カーナビのTVで観る地震や津波の映像には言葉を失った。



私は長崎県出身で、雲仙普賢岳の災害を経験しているが


あまりにも悲惨過ぎた。


ようやく事態が飲みこめた妻は絶句してた。




到着したのは深夜


発電機で明かりのなか、カセットコンロで温かいそうめんを食べて


祖父母に会えて無邪気に笑う娘をみて


ようやくほっと息をつけた。





その3に続く