拡がり続ける自分自身とのコミュニケーションが安心感と気づきをもたらす理由? | フィーリングメッセージ

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伝えたいメッセージを紹介します

今回、

いろいろな事があり

今まで抵抗していたことが

少し出来るようになりました。

自分の最善を尽すとはいえ、

ブログで、

自分がどんなスピリチュアルなブログを読んでいるかを

公開することに抵抗がありました。

今思うと、

スピリチュアルとは

(その人の意識性などによって)

本当に幅が広く、

それは

その時その時によって変化することがないとも

言い切れないといわれてます。

更には

自分自身の考え、癖、シャドウ等と

セラピスト等の言うことの

ギャップをどう埋めるか

という部分での気づきが必要なのだと

思い知らされました。

決してセラピストの言うことが

間違いなのではなく、

私とそのセラピストとの間にどんな障害、

癖、

違い、

があるのかを認識することが

大切なのだとわかりました。

私のイメージでは

私と相手の間にある障害があるのですが、

気にしないで走っていって

転んでしまうようなイメージです。

だからこそ焦りは禁物なのですね。

本当に

真逆の事が定義されている

ように見える考えもありまして、

一体どっちが真実なのか?

と思うこともあります。

だから一方的に享受を受ける時には

自分自身との違いを認識するすべとして

その人の言う事をしてみて

その結果

目の前に現れる事象から

わかります。

だから

気づきがないと

あいつは…とか

あのセラピストは…

と言う事が起こりえます。

ある意味で

自分の理論に固執してしまう

セラピストやカウンセラー

の危険性は

どうもそこにありそうです。

「二人の間にある違いを観ていく」

ゆっくり進むもよし

様子を見るもよし

小石をどかすもよし

そこに初めて安心感があり

基本があります。

もちろん、

そんな違いを凌駕してしまう程の理論が

ないとも言い切れません。

が、

私には少なくともそういう落とし穴がある

ように感じました。

その人の言うことを

否定するのではなく

そこの違い、

自分の悪い癖を

見抜けなかったことを

反省したい。

結局は自分で気づいていくしかないと

意識を自分に戻してくれた

貴重な体験でした。

私とは

私と相手だけ観ればいいものではなく

私と相手の間にあるものも含めて

責任を持って観なければならず、

人生とは拡がり続ける自分自身との

コミュニケーションなんだと思いました。

今後もいろんなことを紹介していきますが、

私の小石(癖)につまづくことのないように

どうか足下にはお気をつけ下さい。

(掃除が日頃から大事なのはそこにあるかもしれません。)


では

皆様の

自分自身を導く力がますます研かれますように

お祈り致しております。

ありがとうございました。