6月2日、ある用事があって本年2回目に横須賀線で向かいました。

横浜より先の知り合いもいないし、なかなかいかない場所。

用事が終わって、帰る反対とは逆の北鎌倉へ。

中2の遠足以来なので駅へ降り立つのは25年ぶりでした。

でも北鎌倉だってのは覚えていました。

 

19時を回っていたので当然大仏様を拝めるどころの時間帯ではなかったのですが、

当時の遠足のグループとそりが合わなくてあの時も1人で帰ったし、今も1人で回ってるから変わりない自分だったけど

その当時と比べて今が全く予測できていなかった自分、その後その中学を辞めたり、25年色々あったことを、

門の前で報告出来た感じがして、勝手に悠久のロマンを感じてしまいました。

そういういいおじさんのナルシズムはからかわれるんでしょうか?

これから25年後は、もう60歳過ぎだと言うことを考えると、感傷的にもなりつつ

喫煙のためにふらっと寄ったファミマで部活帰りの子、

赤いポルシェのような高級車?で同い年くらいの女性を待ってる20代くらいのカップルと

自分のたどってきた旅を感じました。でもかっこいですね。街も人も。

その反面、煙草をポイ捨てするながらスマホで歩く大学生くらいの男の子とすれ違いましたが、

どこにでもいるんだなぁと思いつつも、こじれるのも面倒で注意する気にはなれず、

かといってそのまま火が付いたままの

吸殻を見過ごすことも出来ず、手で拾ってもみ消して、自分の煙草のケースにしまいました。その人の唾液が嫌だったけどw

彼はこの街に住んでることの有難さがわかるにはまた時間がかかるのかもしれない。

25年もかかった僕より愚かでないにしても、大切なものに気付くのは、手遅れになったとき、そう感じた時かもしれない。

お寺の名前は忘れたけど、西田幾多郎や小林秀雄が眠っているお寺の門まで暗がりの中歩いていくと、

香りの良いすもものようなものが、コロンと落ちて音がしました。出入り口にも転がっていました。

旅の記念がないので持ち帰ろうかとしたけど、やはり、そのままその場に返しました。

そういう自然と長いこと接していない自分に気付けただけでも思い出です。

大仏が開いている日中は暑いだろうけど、6月の鎌倉、旬のアジサイも見たいし、寒くならないうちに拝んでおきたいが

交通費は往復2500円もかかるし、長距離移動や今の体調がそれに耐えうるかどうか。

何にも残さなかった学生時代だけれど、体調体力やどこでも1人で出かけていた精神力、そこだけは青春時代に戻りたい。

誰もがそうですが月日の風雨にさらされて、大人は傷つき、背負うから色々もろいです。

だから、お寺にこがれます。