ずっと書かなくてはと思ってたまま書いてなかった記事になります。
今世間でも話題に上がっている神戸市須磨区児童連続殺傷事件の犯人少年Aが「絶歌」という本を出版しました。
そもそも私が神戸市須磨区児童連続殺傷事件(以後酒鬼薔薇事件とします)を知ったのはいまから5年程前、私も当時の少年Aと同じ14歳の時でした。
小学校6年生の頃に読んだ建築学の本に書いてあった世田谷区一家惨殺事件からいろんな事件を調べるようになり、そして一番詳しく調べたのが酒鬼薔薇事件でした。
14歳の私は図書館からこの事件関係の本を片っ端から借り読みふけりました。
被害者遺族の方が書いた本と少年Aの両親が書いた手記は自腹で購入し何度も読みました。
事件資料はネットなどのページを印刷してファイリングしたほどです。
なぜこれほどにもこの事件に没頭したのかは今もよくわかりません。ですがどこか少年Aが大人との間を彷徨っている当時の自分たち14歳となんらかわりのない少年に見え、その少年がなぜあれほどの事件を起こしたのかということを自分の中ででも結論付けたいのだと思っていたのかもしれません。
確かタイトルはイマイチ覚えてないのであっているか自信はないのですが「14」という本を読んだ時に、それが脚色は込みでしょうが少年Aの立場になって書かれた本で何処と無く少年Aが思い浮かぶような本だったのを思い出します。
そんな私が少年Aが本を発売すると聞いたのは出版日の二日前でした。
正直買うかは迷いました。迷いには二つの理由がありました。一つは世間の皆さんの声でもよく聞くように自分のした犯罪を本にして印税収入をもらうのはいかがなものか?というものでした。
これは少年Aの両親の手記「少年A、この子を産んで」を買う時にも同じことを思いました。ですが私にはお金を払えば読む権利が貰えるのだ。という風に自分を納得付けて一つ目の躊躇する理由は解決しました。
二つ目の理由。先ほど述べましたように私なりの少年Aの分析を行ってきた反面少年A本人が書いた本というのはいわば自分の分析結果がどれほど外れていたのかを示す指針になってしまうのです。
まるで模試が返ってくるかのような感覚の中、買うかどうか迷いました。
ですがやはり自分は読む必要がある。という風に思い買うことにしたのです。
本を読むうちに昔調べた資料の写真にあった、タンク山、チョコレート階段、友が丘中学校の様子がまるでその場にいるかのように、少年Aの目を通して入ってくるかのような感覚でした。
逮捕後の取り調べのシーン、少年Aの心の葛藤を初めて知りました。
両親との面会のシーン、両親の手記と同じ場面が描かれていたのですが両親に怒鳴った少年A。以前はこの事実しか知らなかったのですが少年A自身もなぜこんなことを言ってしまっているのだ?と感じていた。
無表情なイメージしかなかった少年Aが涙を流していた。
知らないことがたくさんでした。
知らないことを知った本でしたが正直読み終わった感想は疑問が残るものでした。
仕事の辛さに負けず、おとなしく真面目にいきてます。
そんなことを伝えたかった本なのか?
少なくとも後半を読んでいくとそれしか伝わってこない。
世の中の大人は誰だって辛い中働いているわけだ。
ましてや少年Aが命を奪った山下彩花さん土師淳君はそういった労働すらすることなく人生が終わってしまったのだ。
あの日少年Aにたまたま出会ってしまったために。
今生きさせてもらっている事さえも感謝し悔やまねばならないはずの少年Aがなにを仕事の辛さや対人関係の辛さを口にしているのだ?
少しずつ怒りがこみ上げてきた。
読み終わった後にこの本の印税収入が少年Aのもとへ行くのかと思うと、そこの事によって辛い仕事から楽になるのかと思うと…
もしも賠償金にあてるというのであっても私の意見はかわらない。賠償金なら事件をダシに使い金稼ぎをするのではなく被害者達ができなかった汗水垂らして働くという形で賠償金の意味を噛み締めてほしい。
この本の感想は本当に人それぞれだと思う。
だか私はこの本を決して人に進めようとは思わない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。