前回、前々回と歴代の王のあだ名(有名なもの)を取り上げましたが、中でも圧倒的な知名度と人気なのは3代目の【大王】こと、フリードリヒ2世です。

就任当初は人気でも、老人になって老王となって尚人気衰えずは、なかなか珍しい。

 

で、次を継いだ4代目フリードリヒ・ヴェルヘルム2世は大王の甥。

【デブの女たらし】←ひどいあだ名汗

 

この二つの肖像画を描いたのはアントン・グラフというスイス生まれの肖像画家です。

フリードリヒ2世の描かれた作品に憧れて、甥も似たような服装をあえて着て依頼してます。

 

そんなにデブか?という顔立ちだけど、別の肖像画ではこう。

ああ・・・お腹がすごいやあせるビール腹?

 

たとえデブで女たらしであろうとも、いい王様ってのもいるはずだから、あだ名だけで決めつけちゃいけないよね・・・ってことで、二人の王の事を深堀りします。

 

まず、大王の方から。

大王は、父親の兵隊王からむちゃくちゃ厳しく当たられます。

性格が違うし、一番大事にしてるものが違うんでしょう。

 

じゃあ、大王のお母さんはどんな人かというと、イギリス王女ゾフィ・ドロテアという方。

出ました、ゾフィという名前。

以前調べました⇒過去記事 皇妃エリザベート

 

もうね、ゾフィばっかで誰が誰だか分かんないですわ。

だって、兵隊王の母親(父方祖母)もゾフィで、母方の祖母にいたっては、ゾフィ・ドロテアって名前なんですよ。ドロテアまで一緒とはどういうことか。

ドロテアというのは、どうも聖女の名前から来てるっぽくてドロシーとかドーラとかは同じ意味みたいです。

 

同じ名前で、混乱しかない。

肖像画で区別しましょう。

 

父方の祖母 ゾフィ・シャルロッテ

猫背のフリッツでお馴染みの初代フリードリヒ1世の妻。

性格は違えど、夫婦仲は良かったらしいですし、芸術に理解もあって教養も高かった様子。

なにゆえ、息子(兵隊王)は真逆に育ったのか。

 

母方祖母 ゾフィ・ドロテア

かわいい・・・お願い 本の表紙候補がまた増えたw

見て分かる通り、美女なんですけど、なぜか夫からDVを受けて、逃げようとしたら捕まって、離縁された挙句、その後32年も幽閉生活をさせられて子どもにも会わせてもらえないという、悲劇の王妃です。

夫、イギリス王ジョージ1世って、どういうやつなんだ・・・

(ちなみに、ジョージ1世の母もゾフィなのよ。もう何が何やら。)

 

ジョージ1世が妻と離婚してからお気に入りになったのがこの方なんだって。

まあ・・・好みはそれぞれですから何とも。

 

母 ゾフィ・ドロテア

母が幽閉され、幼いころから死ぬまで会えなかったけれど、芸術を好んで教養深いところは受け継いでおります。

なのに、嫁いだ兵隊王の夫は真逆で、芸術も理解しないし学問にも興味を示さない。

武骨で粗野な感じ。

政略結婚とはいえ、母親ゾフィ・ドロテアとともに、とんだ外れくじです。

 

そして、生まれたのが大王です。

こちらは、芸術を愛し、学問好き。

これは母は溺愛するに決まってます。

 

逆に、父親(兵隊王)は、そんな息子が徹底的に気に入らない。

フランス風のオシャレをして、フルート吹いて、読書家で・・・

なんだろう、自分は教養が高くないことへの劣等感なのかなぁ。

 

このインテリチャラ男が!!根性叩き直してやる!!とばかり、教育という名の虐待まがいのことをします。

書物は焼き捨て、楽器は壊し、殴る蹴る、食事を与えないなど。

おやじ、最低です・・・

 

ついに、大王は18歳の時に当時の恋人(男性)と家出するのですが、捕まってしまう。

そして、あろうことか、息子の目の前で恋人を死刑にします。

悪魔です。。。暴君。

 

兵隊王は、怒りのあまり息子も廃嫡、もしくは殺す勢いですが、臣下や妻やハプスブルグ家からの猛反対もあって思いとどまります。

 

父の後を28歳で継いで大王は、拷問の廃止、検閲の廃止、オペラ座の建設、貧民の救済、アカデミーの復興など、啓蒙主義的な改革を行います。

さらに、軍備の拡張。その後オーストリア継承戦争などいろいろあります(←省略)

 

老後も、経済復興に力を注ぎ、国内の視察、鉄鋼業・絹織物業などの産業を成長させます。

資源の少なく、植民地もないプロイセンを強い国にするには、産業を起こして国民一丸になることだと考えていたようです。

日本で言うと、渋沢栄一のような感じがします。

 

さて、お次は≪デブの女たらし≫ことフリードリヒ・ヴェルヘルム2世。

大王は後継ぎを作れないといことは周知の事実だったので、次は大王の弟が継ぐことになってたんだけど、亡くなってしまう。

そこで、息子が継ぐことになったんです。

 

Wikipediaによると、わがままにしつけもロクにせずに育てられ・・・とあるんだけど、そんなことあるかね。次はお父さんが継ぐと思ってたとしても、長男なんだからいずれ王になるわけじゃん。

14歳の時に次の後継者に決まり、42歳で即位してるんですよ。

 

その間、何してたんだよ・・・

女漁り・・・?アセアセ

≪肉の機械≫というあだ名まであるの。どういう意味ですか?

もう数えるのが面倒くさいからしないけど、次々と女の人に手をつけて、子どももいっぱいいるの。子どもの数を数えるのも面倒だからわたしはしないw

 

.ルイ15世みたいな状態ですな。

愛妾にどんどん地位を与えて、享楽的な宮廷世界へようこそ爆  笑みたいな。

 

大王の時って言ってみれば、宮廷がちょっと硬派だったんですよね。

わたしの勝手なイメージだと、フリードリヒ大王って三島由紀夫なんですよ。

教養深くて、芸術肌、ロマンチックで硬派な男たちのサロン。

しかし、大王が亡くなると・・・

新理事長就任となりまして、知的で硬派な男子校が、急にキャピキャピの女子が加わって共学になります!!と。

マドンナみたいなアイドルみたいな華やかでカワイイ女の子が一気に仲間入り。

そうなると、やっぱり大抵の男子は、なんだかんだ言っても嬉しいでしょw

でもね、フリードリヒ・ヴェルヘルム2世は、ただの女好きのデブってだけじゃないから。

そこを紹介したいです。

 

4代目は、芸術に理解がありました。特に音楽が好きだったんです。

モーツァルトをプロイセン専属の宮廷音楽家に招聘したほどなんですって。

断られはしたんだけど・・・

大王は、ドイツ的であれ!というスローガンは発してたんだけど、自分はドイツ語の本は読まず、フランス語で読み書きしていたし、ドイツの芸術よりはフランスやイギリスの方に傾倒してたらしい。

そこを4代目はドイツ人をアカデミー会員に任命したり(それまでは全員フランス人)、ベルリン劇場の監督にドイツ人を加えたり、ドイツ芸術を保護するために助成金を出したりしたらしいです。

 

たしかに、莫大な浪費もしたのは事実だけど、国内の道路拡張・運河建設・首都の整備・ブランデンブルグ門の建造もしています。

第二次ポーランド分割でも、大王と同じようにプロイセンの為に奪うものは奪うよの姿勢を見せ、領土を広げます。

(ポーランド側からしたらたまったもんじゃないけどね、人の国を何だと思ってんだ。しかし、それが帝国主義時代の恐ろしいところ)

 

結構、手腕を発揮してる面も大きいのに、かたや≪大王≫かたや≪デブの女好き≫って評価がずいぶんだね。

 

中野京子さんの意見では、もしも彼がフランス人だったら、女好きで享楽主義的な人への評価はそこまで低くなかったかもね、ドイツ気質はやはり大王みたいな硬派が好まれるからとのことです。

 

まぁ、やはり上に立つもの(英雄)は、見た目も大切だよね・・・というのはわたしの意見です。

 

余談だけど、英雄と言えばのナポレオン。

この絵とか・・・

 

この絵とかで超有名だけども。

 

実際は、小太りですよね。。