母を赦して笑顔になるまでの私の軌跡 〜steps to smile -2ページ目
両親が離婚して引っ越し、
小学校に入学した、6歳の私。
思い出してみると
笑顔には遠い、
暗い表情をしている感じがします。
私の息子も6歳になりました。
毎日笑って、遊んで、楽しそうです。

「どうしてみんなは
いつも笑っていられるのだろう?」
クラスメイトたちを見ては
よくそう思っていました。
笑えなかった私。
いつも緊張して、不安で
そしてそんな自分の気持ちを
見ないようにしていました。

6歳の私へ
嫌なことは嫌だと言っていいよ
泣いてもいいよ
誰かに甘えてもいいんだよ
どんなことを思っても考えてもいい
いい子でなくてもいいよ
大丈夫だよ

そう伝えて
安心させてあげたい。
そして大人になった私は
素敵な人と結婚して
可愛い子どもと
幸せに暮らしているよと
教えてあげたいです。
6歳で父と別れました。
それから今まで、
父と会ったのはほんの数回。
同居していたころの父についても
ほとんど覚えていません。
妹はよく父に会いたがって、
幼い頃から今に至るまで
時々会っているようです。
私は会いたいとは
まったく思いませんでした。
父がいなくてさみしいとか
そんな気持ちもありませんでした。

離婚したのは父が悪いから
母と祖母はそんなことを
いつも言っていました。
祖父母が以前から
父を嫌っていたのも知っていたし
妹が父に会いたがると
母と祖母がいやがることも
わかっていました。
だから私はきっと、
父に対する思いに蓋をして
忘れたことにしていたのです。

小さい頃の私は
お父さんが大好きだった
スピリチュアルのセッションで、
そう言われて、とても意外でした。
意外なのに、
そう聞いて
涙が止まらなくなりました。

大好きだったのに
その思いをなかったことにしていた...
お父さんのことを
好きだと思っていいんだよ
会いたいと言っていいんだよ
小さな私にそう伝えて
抱きしめてあげたいです。
私は母とずっと疎遠にしています。
会うのは冠婚葬祭くらい。
母と距離を置くことで
平和な日常を築けているのかもしれません。
何がそんなに嫌なのか…
そこまで拒絶するようになった原因がある
私の幼少期のころを
紐解いていきたいと思います。
幼いころ母に言われていたこと….
うるさい
なんで言うことが聞けないの
我慢しなさい
お姉さんでしょ
などなど…
そんなことばかり言われ続けてきました。
母から褒められた記憶はありません。
祖母も厳しく、
自分も褒められたことはなかったと
母から聞かされたことがあります。
不機嫌なことが多かった母
幼い私は母に対して
いつも緊張していたことを覚えています。

「妹は自分の娘という感じがするけど
あなたは私の子どもとは思えない」
母にそう言われたことがあります。
たしか7〜8歳くらいの頃です。
私の話す言葉や行動が
祖母に似ているから
などと母が言っていたように
記憶しています。
唖然としました。
まだ小さかった私は、
何と言えば良いのか
言葉が出ませんでした。
母の都合で祖母に私を育てさせ
その私が祖母に似てきたから
自分の娘とは思えない
そして、それを小さな娘に
面と向かって言う母…
何か私がいけないことをして
叱られて言われたのでもありませんでした。
母を理解できないし、
母も私を理解してくれない
母は私のことを大切に思っていない
妹だけがあなたの娘なのね
そんな風に受け取り、
私は誰からも愛されない
という思いを強くしていきました。
今になってみると
母は軽い気持ちで言っただけかもしれない
と考えることもできます。
その一方で、
私自身が我が子にそんなことを言うだろうか
そう考えると
冗談だとしても、まずあり得ません。

いつも満たされない気持ちを抱えて
それにも気づかないよう
蓋をしていた幼い私は
母にどうして欲しかったのか?
考えてみました。
安心させて欲しかった
否定しないで認めて欲しかった
一緒にいたかった
甘えたかった…
母を拒絶し続けてきた私には
そう認めることも勇気が要りました。

幼い私の息子は
ママ、見て
ママ、こっちに来て
ママ、これやって
ママ、できたよ〜
などとまとわりついてきます。
可愛いです^^
私は子どもの頃にそんな経験がないので、
自分はおかしかったのかな
と思っていました。
私も息子のように
母親に甘えて、安心したかった
でもできなかった
そう認めることができて
涙が出ました。
いつも笑っている息子
ありがたいことに
見ているだけで癒やされます。
私には1つ年下の妹がいます。
妹が生まれてすぐ、
彼女を私の膝にのせて
もらったのを覚えています。
可愛いな〜と思いました。
そのときに姉としての自覚が
生まれたのかもしれません。

母は心身ともに不安定で
妹を妊娠している頃から、
私は祖母に預けられることが
とても多かったです。
母と妹はふたりいつも一緒で、
私は疎外感を感じていました。
私が5〜6歳のころ
両親が離婚することになり
父と母のどちらと暮らすのか
選ぶように言われました。
妹は即座に母を選びました。
私はどうしたらいいのか分からず、
すぐには答えられませんでした。
その後、母と妹とともに
母方の祖父母の家に引っ越し、
私は妹の面倒を見るように
言われていました。
厳しい祖母に言われたことを守る私と、
まったく言うことを聞かない妹
ことあるごとに父親に会いたいと言い、
母と祖母を困らせる妹
私は理解できませんでした。
「お姉さんなんだから我慢しなさい」
私はいつもそう言われて
すごく嫌でした。
その頃からずっと
自分の思いに蓋をし続けて
きたように思います。

幼い私は、妹が生まれて、
母を取られたと思ったはずです。
自覚はなかったのですが、
きっと母に甘えたかったし
それができる妹がうらやましく
そして憎らしかったことでしょう。
第一子長女というだけで、
たくさんの我慢を強いられ
さらに我が家の環境が
それに輪をかけていたように感じています。
私がふたりめの子どもを
今まで授かっていないのは
こうした経験が深く影を落とし、
「長男につらい思いをさせたくない」
そんな気持ちがあるからなのかもしれません。
幼い自分の気持ちを思い出し
抑えてきた感情を認めることが
できるようになってきました。
初めのうちは、
思い出すことすら
できませんでした。
蓋をして感じないようにして
自分を守ってきた
我慢して抑えてきた
小さな頃の私の気持ち
これを解放して、
これからも癒していきたいです。
そしてこの経験があるからこそ
自分の子どもに寄り添うことが
できるように感じています。
妹が生まれて辛かったけれど
私がまたさらに授かっても
子どもには自分のような
苦しい思いはさせない
今はそう思っています^^
子どもは親を選んで生まれてくる
そんな風に
聞いたことはありませんか?
そしてそう聞いて
あなたはどう思いましたか?
どうしてこの母親を選んできたのだろう?
もっと優しい母親の元で、
幸せに安心して育ちたかったのに。
私はそう思っていました。

息子に聞いてみました。
「どうしてママを選んだの?」
「ママが可愛くて、一緒にいたかったから」
私は生まれる前の記憶は無いけれど、
息子のように思って
私が母を選んだとは、
どうしても思えません。
ずっと苦しくて
生きづらくて
そんな自分と向き合っていくと、
母との関係に原因があると
わかりました。
母についてたくさん考え
母はなぜ私を苦しめるような
行動をしてきたのか
理解はできるようになりました。
それでも
小さな私が今も怒っています。
その怒りを手放し
母を赦したい。
そのために10日間に渡って
このブログを書いてみます。
どんな境地にたどり着くのか
怖くもあり
そしてとても楽しみです。

幼少の頃、両親が離婚し、
母の実家で育ちました。
母は精神的に不安定な人です。
幼い私は母に対して
いつも緊張していたことを覚えています。
同居していた祖母は
とても厳しかった。
誰にも甘えることができず、
妹の面倒も見るように言われ、
苦しい子ども時代でした。
思い出すのもつらいのですが、
なんとか振り返り、
タイトル通り笑顔になれるよう
綴っていきたいと思います。

