どうも、
この間マンハッタンに行った時の話をちょっとさせてもらいます
ニューヨークに7年ぶりという友達と8th Streetを歩いていると、
コメディークラブのチケットを売っているおじさんに話しかけられ
普段私だけなら短い"no thanks"だけで通り過ぎるのですが、友達が会話っぽく返事してしまった故に十分ほど絡まれる羽目に・・・
いい勉強になるだろうと、私はあまり干渉せず、友達が困りながら会話から抜け出そうとするのを横で見ていました(こういう人とは会話をし始めたらものすごく抜けにくいのです)
おじさんは40〜50歳ほどで、服はボロボロで頭に残っている少ない量の髪で禿げている頭頂部を隠していました
歯も黄色く、歯並びもガタガタ、そして頭の油から見て、何日もシャワーをしていない様子
それでも一生懸命チケットを売ろうと必死に友達に漬け込もうとしている姿を見て、なんだか目が話せませんでした
忙しい8th St.のど真ん中で会話が数分たった頃、おじさんがポロっと呟いた一言に私の耳が向きました
「頼むから、この売りを俺にくれよ」と
おじさんがどれだけ必死にウザ絡みをしてまで売りを上げを上げようとしているのか伝わりました
その時点でこれ以上の絡み続けはお互いになんのメリットもない(同情してチケットを買うほどの財政的余裕がなかったので)と判断した私は、"sorry, but good luck" とバッサリ会話を切り上げ、友達を引っ張ってその場を去ったのですが、後でこの出会いに感謝しました
私は現在、自分が将来どういう道に進んでいけばいいのか探り中です
心理学という部門は幅が広くて、企業からカウンセリング、クリニカルから人事の仕事、どこに行っても雇われます
しかし、進む道に合わせて勉強していく内容も今仕立てていかなくてはいけない時期なので、少し焦りを感じながら色々とリサーチをしていました
そのおじさんを見て感じたのは、
人はあんなに図々しく、がむしゃらに生きているんだということ
それを見て私の中に火がつきました
リサーチをしながら常に感じていた不安がなくなりました
もちろん、まだ焦りはします
でも、どんな道に進んで、どう失敗し、予想外の方向に躓き転がっても大丈夫だと、
生きてりゃどうとでもなる、という考えを持てるようになりました
多分これは若いから言えることなのかもしれません
家庭を持ち、社会的に尊敬され、収入もいい仕事を持っている人には失敗して転ぶなど恐ろしいことかもしれません
だったら尚更今のうち、まだ身軽なうちに失敗を思う存分したいです
これを書いている間に思い出しました
私が小さい頃からよく母は「歴史的に有名な人の自書伝を読みなさい」と言い続けてました
前はいい本だからという理由以外思いつかず、あまり読書も好きな方ではなかったので言うことを聞きませんでした
でも、今になってやっとわかった気がします
多分母は私に歴史的に有名な人達の成功の話を知って欲しかったのではなく、数えきれない失敗の話を学んで欲しかったんだと思います
まだまだ頑張りが足りないと思います
今までの自分の緩さを反省してます
tl;dr
ウザ絡みをしてまでチケットを販売するおじさんを見て、失敗をしても生きてりゃどうとでもなるからもっとがむしゃらに頑張ろうと思った。