わたしは、

これまでずっとずっと一人だと思って生きてきた。





というのも、

自分で何とかしなきゃいけない、

自分でできないのなら

誰かに助けてもらわないといけない、

そのために誰かに変わってもらわなきゃいけない。



さらに、自分の夢を叶えることは

自分一人ですることだと思ってた。




応援してくれてる人や

支えてくれる人がいてこそなんだけど、

それも分かってるつもりだったけど、

根本的に分かってもらえないから分かってもらうために、

認めてもらえないから認めてもらうために、



自分が掴み取るとか、

自分を光らせないといけないとか、

なんか自力感が強かった。




自力でどうにもならない時は、

自分が無力だと感じて、

誰かに依存するしかなかった。




今思えば、

自分の責任なんだけど

自分は弱い存在だから

誰かに依存しなくては生きていけない、

そう思わされて、


自力か依存か、

ざっくりその二択だった。




自分で頑張るか、

誰かに依存して助けてもらうか。





だから、

わたしは心底、無力感を感じていた。





自分ではどうにもできない、

誰かに恵んでもらうしかない非力な存在だと。




でも、

今日、

こうしたいなぁ、

こうなれたらいいなぁ、って

ふわん、と思っていたことが

急に目の前に大切な人を通して、

向こうからわたしに差し出してくれた。




もっと適切な言葉がある。



 

それはそうと、

こうだったらいいなぁって思ったことが

一番わたしが嬉しい、

そして喜び合える、人と分かち合える

もっともわたしが受け取りやすい人とシチュエーションで、

まさに向こうからやってきた!


(これこそ、もっと愛のある

 もっと喜びと感謝に満ちた表現があるはず)




これまでの、

自分にはそれがないから、

自力で掴み取るか

誰かから恵んでもらうしか知らなかったわたしに、

みんながわたしの夢を

自然にともに叶えてくれる。




こんな世界があったんだぁ。




本当に嬉しい。





エイブラハムは流れは一つしかない、

という。




それは心地よい流れ。





そして、

その流れを邪魔するのは

自分の抵抗する思考だけだと。




その抵抗を手放したら、


本来の流れにのって

川下りのように下流に流れていけば、

そこに望むものが全てあって、


それを受け取るためには

頑張って上流に漕ぐのをやめるだけだと。





この半年、

その漕ぐことをやめるために、

流れに乗れる、

受け取れる状態をつくることに

とにかく全力を向けきた。




そうしたら、

みんながわたしの夢を叶えてくれる、

みんながたまに喜び合える

支え合える幸せな愛と喜びと感謝の流れを

乗ることが自然だったんだと知る。




本当にありがとう。




大切なのは、何よりも


それを望む自分との一致。




そうしたら、

その心地よい流れを自然に楽しめる

安心と幸せが土台の愛と感謝と喜びで繋がれる豊かな世界があった。



そして、

きっとそれはこれまでもあったんだと思う。





それを受け取れる状態になってきたんだという

確信が深まる。





夢は一人で見るものでも

誰かに何かを証明するためでも

誰かに認めされるためでも

誰かに受け入れてもらうためでも

自分の価値を高めるためものでもない。





確信がどんどん強まっていく。





これが本来の流れだったんだなぁ。




ありがとう。




流れはどんどん早くなっていく。




どうせ生きるなら、


悩みをなくす人生、

問題のない人生、

幸せを探す人生から



喜び、成長、拡大、

調和の世界をもっともっと求めていこう。




もっともっと受け取れる。




そして、きっとそれが誰かの希望になる。


 


そう信じてる。




熱いが、冷静にっこり