わたしが親しい人が今ちょっとかなりつらそう。


 


話を聞いてあげるしかできないけど、

話を聞く。



ちょっとおやつをあげに行って顔をみせる。




朝の散歩に誘ってみる。




少しでもいいから

顔を見せる時間を意識的に作る。



それは大切な友達だから。




わたしがつらい時は、

全力でわたしの味方をしてくれた。




わたしもその子の痛みがわかる。




でも、助けようと思ってるわけでもないし、

ましてや、

その人の状況や考えを変えるなんてことはできない。




そんなこと望まれてもいないし、

余計なお世話。




わたしができることは、

安心できる自分の状態を保って、

いつもどおり変わらず、いること。



 

その子には、わたしじゃなくてもいいから、

自分が頼れる人に遠慮せず頼ってほしいと思う。





話を聞いていて、

自分でどこまでができるのか、

どこからが我慢なのか、

家族のこと、身の回りのことは当然やるべき、

というその境目がわからない、

って言ってた。




わたしは友達の健康が一番大事だから、

やらなきゃって思うことの中の

やらなくてもいいことは全てやらなくていいって思ってる。




そうは言っても…、 

これくらいはやんなきゃ、

みんなやってるし、

私がやるしかない、



って、なると思うんだけど。





その気持ち、めっちゃわかる、

わたしもそうだった。




やらなきゃいけないことに耐えてる時って、

とっても辛いよね。




とても一人ぼっちになりやすいし、

頼るも体力がいるし、

断られたら昔のわたしは傷ついてしまうから、

頼るのにも勇気がいった。




自分が考える迷惑、がかからない範囲のお願い程度しかできなくて、

本当に困った時は逆に誰にも言えなくて、

外では笑ったりしちゃって、

余計にひとりぼっちに自分からなっていって、

勝手に自分を孤独と思い込んで追いやっていった。




そのしわ寄せは、

こどもにいってしまってた。

思い出すと今でも、

本当に申し訳ない気持ちになるし、

何かあった時には、

そのせいかもと考えてしまうこともある。




でも、誰かに助けてほしい。

でも、誰でもいいわけじゃない。




でも自分がやるしかない、

ってどんどん追い詰められる。




本当にわかるんだよなぁ。




だから、やっぱり

悩んでいる時に問題に取り組むのは

そもそもの気力が落ちているから、

何かをどうにかしようと取りくむと自体、

とても難しいなって感じる。




だからこそ、やっぱり、

ゆっくり休んでほしい。



睡眠をとって、

できるだけ、問題から離れて

自分の頭の中にとめどなく溢れる

自分を責めてしまう思考を止めてほしい。




それができないから、

本当にキツいんだよね。




やらなくていい、

にも罪悪感持っちゃったりするし、

もうすでに身体がつらいって、

はっきりメッセージを送ってる。




だから、

本当にもうすでに

すごくすごく頑張って我慢してきたんだから、

少しでも自分に負担にかかることはしないであげてほしい、って思う。





だからこそやっぱり、

問題がない時に

いかにその状態を保っていられるか、

これは本当に大事だなって、感じてる。




私はとりあえず、

自分が散歩が習慣だから、

散歩に行ける時はまた行こうね、って言って、


行かない時に、

自分から行くって言ったから行かなきゃとか、

申し訳ないとかまぢでないから、

行きたいと思った時は一緒に行こうねって話して。



前から

なんか美味しいもん食べたり、

一人になりたい時は子供預かるよって 

お互いに助け合ってきた。




わたしは

自分を整えて、

いつでもすぐ肩を貸してあげれる自分であろう、



よく、喉が渇いた時の例え話で

井戸の作り方を教えてあげるか、

水をあげるか、

みたいな話があるけど、

とりあえず今は、水飲んで休んで。




自分で歩くのは、今はしんどい。




うん。




元気になったらいくらでも井戸ほれるから、

その時一緒にほろう。



買ったっていいんだよ。




今はある水好きなだけ飲んで休んでね。