とのたまっていた異界の住人。
彼が大学生の頃、バッグパッカーとしてタイなどを旅行し、現地の人達に食事を奢ったとか、家に泊めてもらったとか。
バイクのツーリングで、宿で同じ様な人達と仲良くなったなど、昔の自慢話をいろいろ聞かされていた私は、
『見ず知らずの人達と仲良くなるんだから、
よっぽど人と仲良くなるのが上手くて人の輪の中に入るのが好きなんだろうな』
と思っていた。付き合っていた頃はそんな場面に出くわす事もなかったので、彼のその話を信じていたけれど・・・。
結婚をして家庭を持つと
いろいろな場面で人と関わりを持たなくてはいけない事が増えてくる。
「人間好き」と宣言していた彼の事、
きっといろいろな場面で率先して対応するものだと思っていた。
子供が幼稚園の頃、父親達もいろいろと幼稚園に関わろうという流れになっていて、「おやじの会」という物があった。
父親同士で飲み会などをしながら親睦を図ったり、幼稚園行事の手伝いをしたりと仲間を作れる会だった。
「人間好き」の異界の住人も、もちろん入るものだと思っていたが、
などと言い訳をしては一向に入る気配がない。
と、何回か勧めてはみたが
と言い訳をし続ける。
結局、子供達が在籍した4年の間、1回も参加する事なく他の父親と友達になる事もなかった。
幼稚園行事で、運動会の他に親子でコミュニケーションをとる会があった。
子供と一緒にゲームや運動、体操などをして遊ぶのだが、
体力のいるゲームなどは、他の家族は父親が子供と一緒にやっていたのに、
と、みんなの前で子供とゲームをやる事を拒否した。
そのため私がやらざるを得なかったのだが、母親が子供と一緒にやっていたのは父親が参加できなかった家族で、父親も来ているのに母親がやっているのはウチくらいなものだった。
結局、異界の住人が参加したのは
父親だけが集まってどさくさに紛れて参加できる物ただ1つだけだった。
自治会の班長になった時も、家ではいろいろと自治会のやり方について文句を言っていたので、集まりの時に何かしらの質問や意見を言って来るものだと思っていた。ところが、
と言って結局、1年の任期中(内容を知るため
) 発言する事もなく、ただ会議の場に座っているだけで終わった。
子供の学校関係や、その他諸々の対人対応。
異界の住人は自分から進んで参加する事はしない。
挙げ句の果てには、自分の買い物であっても製品についてわからない事を店員に聞く事もできない。
「別にいいよ。
」と言いながらも「これはどうなんだろう
」と私にしつこく言って、私が店員に聞く様に仕向けてきたり・・・。
(でも自分は頼んでいないから、勝手に私が聞いた事になっている)
「人間が好きって」自慢していたはずじゃないの??
あなたの行動のどこに偉そうに「人間が好き」と宣言できる要素があるって言うの?
これじゃぁ、コミュ障じゃない!話が違う!
(おかげ様で、人への対応はほとんど全てと言っていい位、私がやらざるを得なかった。
)
ずっと彼を観察していた。
彼の言葉と行動を・・・。
彼が「人間が好き」と言ったのは
「(相手の方から自分に好意を示してアプローチしてくれる)人間が好き」
という事だったとわかった。
(そんなの、誰だって当たり前の事だよね)
それとも、動物や植物に比べたらまだマシっていう意味の「好き」だったのかも・・・
彼の言葉は、私達が普通に思う意味とズレている事が多い。私達の感覚で
『あっ!こういう事だな』

と思って話をしたり、行動したり、相手の出方を待っていると
気持ちを踏みにじられ、逆なでされ、傷つけられ、不愉快な思いばかりする。
同じ言葉を使っているにもかかわらず
彼の持つ辞書は、その言葉の意味が私達の辞書とは違うらしい。
彼の世界の辞書を持っていない私達は、どの言葉の意味がどう違うのか知る由もない。
逆に彼も私達の世界の辞書を持っていないため、違いがわからないのかも知れない。
(たとえ持っていたとしても、「そんなの知らないよ」と無視・無関心の可能性の方が高いし、更に、自分の世界の意味が常識だと言い張るだろうけれどね。)
要するに、使う言葉の意味が違うのだから
責任の伴う生活・行動は必ず歪みが生じると言う事。
長くなればなるほど、その歪は大きくなり破綻するのは仕方がない事なのかも知れない。