ひめゆり学徒隊に解散命令が出される
太平洋戦争中の1945(昭和20)年4月、米軍は次々と沖縄県本土に上陸した。
これを受けて日本の敗北が濃厚となった6月18日、看護要員として動員していた女子生徒222人と引率教師18名の計240名からなる「ひめゆり学徒隊」に、突如解散命令が出された。
前線での負傷者が後を絶たない中での解散命令に混乱をきたし、この日を境に多くの犠牲者を出すことに。。
日本国から見放された形となってしまったひめゆり学徒隊の生存者たちは、集団自決を決行した。
のちに、ひめゆり学徒隊の女性徒たちを偲んで“ひめゆりの塔”が建立されました。