聖書には、聖書につけ加えてはならないし、
削ってもいけないと書かれている。 所が
誰が考えても解釈は一つのはず。が。
どこの宗教でも、それぞれの神学書を
持っており、創立者の意思が存在する。
でも、利権であるとか政治的な権威を求めて
あえてその書物を捻じ曲げて、雄弁に語る奴が
出てくるもの。こう言う常識の無い奴のことを
異端と言う。現代カトリック・現代プロテスタント
各派の中にも見かける。そう言う奴らの言い分を
頑なに信じている、あほも、いる。
カトリックは、そう言う風潮が出て来た場合、
たびたび、公会議を開催して、聖書に戻ろうと
して来た、歴史を持っている。
時は五世紀、コンスタンチノーブル。ネストリウスが
狂った。総大司教である。位階としては信徒は
逆らえない。キリストとは神の子であり、普通の人間
でもあり、まったく違う二つの本質が、服と体、船長と
船のようにまったくかけ離れた存在。故に、神の子が
私たちのため目に苦しんだことは有り得ないし、マリアが
神の母であると言うことも有り得ない、と、論じたのである。
聖書を齧ったころの情報として入会したばかりの信徒は
ころっ と、騙される。それも弁舌本人だけでなく、その
弟子たる司祭が、教会説教で語り続けたとしたら、
聖書神学は崩壊する。そこで、エペソ公会議が開催
された。
公会議で結語されたのは、聖書のすなおな解釈。
神の子は人間性を自分のものにしたので、キリストは
真の神であり、真の人間でもある。故に、神の子は
私たちの為に苦しみを受けられた。死と復活説です。
と言うことは、聖母マリアはキリストの人間としての母。
同時にキリストは神である。故にマリアは神の母と
呼ばなければならないと、帰納するのです。
ここで、正式にネストリウス派は異端として退けられた。
公会議が終わった時、信徒らは、松明行列をして
公会議に参画した司教たちを住居まで送って、
それを称えたと言います。
聖母マリアが神の母と呼ばれるのは、キリストの神性と
人間性の密接な関係に基づくもの。神は神として永遠。
なので、神として母を持つわけはない。しかし神である
キリストは人間となり下ってくださいました。と言うことは
聖母マリアとキリストとの関係は、他のすべての母子との
それとまったく同じであるはず。ただ、生理的にそうなるとだけ
感じていると、それは行き過ぎ。神のことばを聞き、これを
行う者こそ、私の母であり、私の兄弟。ルカ8章21節。
マリア様はしあわせな御方。神から告げられたことの実現を
信じた、から。ルカ1章15説。主のはしため。ルカ1章38節。
つまり、自分の胎内に御子キリストを宿す前に、マリア様の
心の中に、信仰と従順と愛によって、信じたが故に、
その時点で御子を宿した、と、言えるのです、ね。
★ なぜ、聖母マリアの祝日が、元旦にあるのか。それは
元旦が、クリスマスから数えて、8日目だから。
この信心は、教会の歴史の中で、消滅したのでは
ありますが、第二バチカン公会議の決議の中に
暦として、復活しました。
削ってもいけないと書かれている。 所が
誰が考えても解釈は一つのはず。が。
どこの宗教でも、それぞれの神学書を
持っており、創立者の意思が存在する。
でも、利権であるとか政治的な権威を求めて
あえてその書物を捻じ曲げて、雄弁に語る奴が
出てくるもの。こう言う常識の無い奴のことを
異端と言う。現代カトリック・現代プロテスタント
各派の中にも見かける。そう言う奴らの言い分を
頑なに信じている、あほも、いる。
カトリックは、そう言う風潮が出て来た場合、
たびたび、公会議を開催して、聖書に戻ろうと
して来た、歴史を持っている。
時は五世紀、コンスタンチノーブル。ネストリウスが
狂った。総大司教である。位階としては信徒は
逆らえない。キリストとは神の子であり、普通の人間
でもあり、まったく違う二つの本質が、服と体、船長と
船のようにまったくかけ離れた存在。故に、神の子が
私たちのため目に苦しんだことは有り得ないし、マリアが
神の母であると言うことも有り得ない、と、論じたのである。
聖書を齧ったころの情報として入会したばかりの信徒は
ころっ と、騙される。それも弁舌本人だけでなく、その
弟子たる司祭が、教会説教で語り続けたとしたら、
聖書神学は崩壊する。そこで、エペソ公会議が開催
された。
公会議で結語されたのは、聖書のすなおな解釈。
神の子は人間性を自分のものにしたので、キリストは
真の神であり、真の人間でもある。故に、神の子は
私たちの為に苦しみを受けられた。死と復活説です。
と言うことは、聖母マリアはキリストの人間としての母。
同時にキリストは神である。故にマリアは神の母と
呼ばなければならないと、帰納するのです。
ここで、正式にネストリウス派は異端として退けられた。
公会議が終わった時、信徒らは、松明行列をして
公会議に参画した司教たちを住居まで送って、
それを称えたと言います。
聖母マリアが神の母と呼ばれるのは、キリストの神性と
人間性の密接な関係に基づくもの。神は神として永遠。
なので、神として母を持つわけはない。しかし神である
キリストは人間となり下ってくださいました。と言うことは
聖母マリアとキリストとの関係は、他のすべての母子との
それとまったく同じであるはず。ただ、生理的にそうなるとだけ
感じていると、それは行き過ぎ。神のことばを聞き、これを
行う者こそ、私の母であり、私の兄弟。ルカ8章21節。
マリア様はしあわせな御方。神から告げられたことの実現を
信じた、から。ルカ1章15説。主のはしため。ルカ1章38節。
つまり、自分の胎内に御子キリストを宿す前に、マリア様の
心の中に、信仰と従順と愛によって、信じたが故に、
その時点で御子を宿した、と、言えるのです、ね。
★ なぜ、聖母マリアの祝日が、元旦にあるのか。それは
元旦が、クリスマスから数えて、8日目だから。
この信心は、教会の歴史の中で、消滅したのでは
ありますが、第二バチカン公会議の決議の中に
暦として、復活しました。