★ 前説
いちお、自分自身は、信徒使徒職と定義しておきます。
たぶんに、第二バチカン公会議全集と言う書物について
肌で理解した、少数の人間だろうから、です。生活苦と
言う点では、カトリック****教会の信徒、南燎原が、
今・も続けて、いたずら電話を寄越しているし、奴の
嘘言が元となり、敬愛する山口神父を誤解させ、結果・
港教会を追われる者とはなっていくだろう。その事は神様と自身の
友情に、微動だに、しない、です。それよりも大切な事が
あると思います。
★ これから書く物語は、カトリックと言う組織の、土台を
揺り動かしてしまう、何かを突き詰めてみようとする事。
これは決して異端ではなく、聖書の中でイエズス様が
弟子たちを励ましている「もんごん」、あるいは第二バチカンの
結語文において、バチカンの歴史の、失敗や成功から学んだ、
弱者の立場からの、感動!! これに従いたいと言う、肉から
では決して有り得ない、霊魂の叫び。
★ もちろん、筆者は野村純一師の学問体系を支持し、
学んだ実績はあるものの、精神疾患+重度障害 にて、
生活。ほとんど寝たきりの事情。誤解も数々受けていて、
必ずしも、カトリックは宗教的に住み易いとは言えない。
反って、名古屋司教区の中では、孤立させられている。
和田幹男・神学、佐久間彪、中原えみ子、堂々。
彼ら、ソフィア派? の諸君の文献はかなり読みこんではいる。
ネット伝道であるから、神学畑の先生の論は大切では
あるからだ。しかし、中原氏は別として、彼らは神学・学の
大家(たいか)であり、生活の中からの聖書学びとは
かけ離れている。ちなみに中原氏は、カトリック障害者
連絡協議会の会長。筋萎縮患者だ。
★ 福音宣教誌4月号で、英隆一郎氏は、若者に希望は
あるか、と題して、イエズス会メキシコ支部の活躍(暗躍?)を
説明している。私が感じるには、弱くさせられた者の福音、
つまり、所謂(いわゆる)南米で巻き上がった、労働者の神学、
この首謀者たち、ゲリラの拠点。武器も持ち、社会改革する。
大学を閉じたり、修道院を閉じたり、したので、賛否両論。
理想をシンプルに実践しただけなのだが、かまびすしい。当然、
信徒は増える。左翼系知識人だとかカトリックの上層部などより、
自分は、彼らの過激さに、憧れてしまうのは、何故だろうと
自問する。
★ 何処の教会に行っても、神父の説教は、胡散臭いと感じる。
魂の貧しさ、生活の苦しさ、神学の大切さ、彼らの言わんと
することは、体験と学問から、理解できている。しかし、彼らの
出自を考えて見る。金持ちあるいは、文化力のある子弟でないと
私立のカトリック学校には入れない。受験で進んで行く。
神父たちのほとんどは、宗教エリートであり、時には「人は若い時は
自分の足で好きな場所にも行けるけれども、歳を経て行くと
好んでいない場所に連れて行かれて、ベットなどに押さえ込まれる」。
などと、聖書の本髄を語る。説教力には長けているが、こう言う言葉は
神父当たりの口から出ると、いい加減に語りを辞めろと申し上げたくも
なる。しゃべるな、聖書だけを語れと、私は言う。だから、
その筋の人たちから、頭でっかち・と、煙ったがられる。
★ 年金制度は崩壊。若者たちは、ネットカフェ難民。今・わずかな
仕事にはあるけれども、一挙に生活基盤が崩れるかも知れない時、
食えるための、再就職の為の、衣食住だけではなく、その上の、
精神仕事まで、本来の宗教仕事は、多彩。ひょっとしたら、それぞれの
カトリック司教区だけが遣りたがらず、小教区(教会)に、典礼行為だけを
押し付けてそれで良しとしているかの、ようである。
★ カトリック司教団は、中原氏のような、地獄の底から外に出てくる
信徒使徒職の任務者を、もっと、掘り起こすべきではないのか。
もとより、彼らは、現場に強いけれども、神学に弱い。故に、
ゲリラ活動もしてしまう、きらいはある。そこは、高等・神学の教授クラスが
謙遜になって、理論構築に手を貸すべきではないのか?
象牙の塔の中でしゃべっても、福音は広がらないのだ。
★ 現在、amebaブログを原点として、信徒使徒職を実践。
面白い、おかしなプロテスタント信徒氏と、聖公会の若いフルート演奏者が
目下・ 福音仕事を手伝ってくれている。矢鱈目鱈、クリスチャンの
ブログや掲示板は乱立してはいる。片や空想神学の象牙の塔。片や、
教会・不満分子の、毒麦。 悪魔払いなど、結果、いずれにせよ、
異端が忍び寄る。また、自分の仕事は、正当か と自問して見れば、
親愛なる野村純一司教から、???? 符がつけられている。
幸いに、名古屋・聖パウロ書院の、伊集院店長は、筆者の動きを
信頼してくれている。故に、必要な書物は手に入る。
★ 筆者の動きは少数かもしれないし、異端ではないが、
事実上・異端視されている。けれども、第二バチカン公会議で結語された
放送伝道の極意、それは、ブログ伝道に進んで行かざるを得ないと
確信する。 本来、小教区(教会)が、秩序・体系的にやる仕事である。
それは、カトリックだけに留まらない。クリスチャンの教会、牧師や神父の
仕事ではないかと、反芻しているのです。
神様の御命令に従っただけの、異論の賜物を持つ、予言者、
そんなところが、今の主題。それにしても、神経発作の
骨の痛みは、タイプの指を、腱鞘炎にする。