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思春期に入り、恋愛感情というものを自覚してから異性に対する感情に色々な変化が生まれた。
人を好きになるという事がどういうことかは誰にも教わらない。
自分なりの恋愛観を作っていくしかないため、大人も子供も本当の正しい恋愛が何かを模索する。
中々その真意が見つからなかったが、とある出来事でようやく自分なりの恋愛に辿り着いた。
今までは恋愛の気持ちが生じると楽しい反面辛いという逆の気持ちも生まれた。
そのためストレスになってしまう。
だから好きであるハズの人にイライラしてしまったり短所が目についていつの間にか嫌いになってしまったりする。
恋愛の終わりが何時もケンカ別れになるのは良く有るが、何故にそうなるのか理由が解らなかった。
ただ、ひとつ言えることは恋愛対象もあくまで他人であるということ。
無論自分の都合でその人は存在していない。
好きになると勝手にその対象を自分の恋愛対象像に当て嵌めてしまうからそうなるんだなと思う。
ここまでは理屈では解っていた。
だけど、いざ恋愛が始まると気持ちと理屈が反比例してしまうの何故か?
と葛藤がずっと続いていた。
その内真面目な恋愛自体するのがバカバカしくなり(そのきっかけも有ったが)ここ数年は本当に愛せるという程異性を深く好きになろうとはしなかった。
(結局自分を理解してくれる人なんかいない。居たとしても幼馴染みのアイツ位かな…)
と鬱ぎこんでいた。
※昔書いたブログにまざまざとその感情を意味するものが有った。
ただ、それが去年(2016年)は転機が訪れた。
俺はとある人を好きになった。
その人2年程前別の部署から異動してきた人。
一緒に仕事をするようになった時は仕事上での関わりでありそれ以上の気持ちはなかった。
異動直後は会社内では「美人」と評判だったが仕事が大変過ぎて俺の中でのその人の容姿は関係無かった。
それよりも今の仕事を上手くやって欲しいというビジネス上での期待をしていただけだった。
それから数ヶ月で俺は別業務に移った。
その人とは同じ社内に居る事には変わり無いので時々顔を合わす事は有る。
そんな状況が暫く続いたのだがある時ふと気付いた。(そういやあの人のことを何時も考える様になっているな)
ただ、それは今までも良く有った一過性の気持ちに過ぎないのではと思いもしたので直ぐには行動には移さなかった。
女友達の一人にそこまでの経緯を話すと「じゃあ幼馴染みの子がもし付き合いたいって言ってきたらどうする?」と訊いてきたので「幼馴染み!」と返答したところ「ならその人とを本当に好きじゃないね」「もし、幼馴染み以外の子と付き合うにしてもその人ではないな」と言われた。
(確かにそうかも)
と自分の中でもその人の言葉に納得していた。
それから1ヶ月程過ぎた2016年1月、正月休み明けに出社しその人と顔を合わせた時一度落ち着いていたハズの気持ちに変化が生まれた。
(やっぱり今はこの人が好きなんだな)と。
ただ、好きになったは良いがどうすることも出来ない。
相手に今付き合っている人が居るのかどうかも定かではない。
そんな状況で今出来る事は好きだという気持ちだけでも伝えてみよう。
という事だった。
それならば大丈夫だろう。と。
そして伝えた。
実際それで十分だった。
付き合いたいから好きになったわけではなく、勝手に好きになっただけだから。
それ以後はその人の事を深く考える様になった。
その人にとって幸せはなんだろう。
その人に俺は何が出来るんだろう。
と。
そんな風に考える様になったのはその人が初めての経験だった。
そしてその気持ちのままどんどん好きになったのだけど、以前のような辛さは全く無かった。
好きになった人の幸せを願えることに自分自身幸せを感じていたから。
そして気付いた。
これが愛なんだろうな。と。
俺はその人のお陰で何十年も見つからなかった愛の答えが見つかったと思っている。
出会うきっかけは何であれ、人生経験の中で貴重な体験をしたと思う。
もし、その人が居なければ未だに恋愛は昔のままだっただろう。
その人へのRespectの気持ちは変わらない。
幼馴染みへのRespectも。
しかし別のベクトルでの気持ちなので天秤にかけるようなものではなく、両者を最大限に大切な人だと思っている。
今後新しく人を好きになる時はこんな風に人を好きになろう。
と今は思う。
そしたら幸せな結果だけが生まれるから。
人を好きになるという事がどういうことかは誰にも教わらない。
自分なりの恋愛観を作っていくしかないため、大人も子供も本当の正しい恋愛が何かを模索する。
中々その真意が見つからなかったが、とある出来事でようやく自分なりの恋愛に辿り着いた。
今までは恋愛の気持ちが生じると楽しい反面辛いという逆の気持ちも生まれた。
そのためストレスになってしまう。
だから好きであるハズの人にイライラしてしまったり短所が目についていつの間にか嫌いになってしまったりする。
恋愛の終わりが何時もケンカ別れになるのは良く有るが、何故にそうなるのか理由が解らなかった。
ただ、ひとつ言えることは恋愛対象もあくまで他人であるということ。
無論自分の都合でその人は存在していない。
好きになると勝手にその対象を自分の恋愛対象像に当て嵌めてしまうからそうなるんだなと思う。
ここまでは理屈では解っていた。
だけど、いざ恋愛が始まると気持ちと理屈が反比例してしまうの何故か?
と葛藤がずっと続いていた。
その内真面目な恋愛自体するのがバカバカしくなり(そのきっかけも有ったが)ここ数年は本当に愛せるという程異性を深く好きになろうとはしなかった。
(結局自分を理解してくれる人なんかいない。居たとしても幼馴染みのアイツ位かな…)
と鬱ぎこんでいた。
※昔書いたブログにまざまざとその感情を意味するものが有った。
ただ、それが去年(2016年)は転機が訪れた。
俺はとある人を好きになった。
その人2年程前別の部署から異動してきた人。
一緒に仕事をするようになった時は仕事上での関わりでありそれ以上の気持ちはなかった。
異動直後は会社内では「美人」と評判だったが仕事が大変過ぎて俺の中でのその人の容姿は関係無かった。
それよりも今の仕事を上手くやって欲しいというビジネス上での期待をしていただけだった。
それから数ヶ月で俺は別業務に移った。
その人とは同じ社内に居る事には変わり無いので時々顔を合わす事は有る。
そんな状況が暫く続いたのだがある時ふと気付いた。(そういやあの人のことを何時も考える様になっているな)
ただ、それは今までも良く有った一過性の気持ちに過ぎないのではと思いもしたので直ぐには行動には移さなかった。
女友達の一人にそこまでの経緯を話すと「じゃあ幼馴染みの子がもし付き合いたいって言ってきたらどうする?」と訊いてきたので「幼馴染み!」と返答したところ「ならその人とを本当に好きじゃないね」「もし、幼馴染み以外の子と付き合うにしてもその人ではないな」と言われた。
(確かにそうかも)
と自分の中でもその人の言葉に納得していた。
それから1ヶ月程過ぎた2016年1月、正月休み明けに出社しその人と顔を合わせた時一度落ち着いていたハズの気持ちに変化が生まれた。
(やっぱり今はこの人が好きなんだな)と。
ただ、好きになったは良いがどうすることも出来ない。
相手に今付き合っている人が居るのかどうかも定かではない。
そんな状況で今出来る事は好きだという気持ちだけでも伝えてみよう。
という事だった。
それならば大丈夫だろう。と。
そして伝えた。
実際それで十分だった。
付き合いたいから好きになったわけではなく、勝手に好きになっただけだから。
それ以後はその人の事を深く考える様になった。
その人にとって幸せはなんだろう。
その人に俺は何が出来るんだろう。
と。
そんな風に考える様になったのはその人が初めての経験だった。
そしてその気持ちのままどんどん好きになったのだけど、以前のような辛さは全く無かった。
好きになった人の幸せを願えることに自分自身幸せを感じていたから。
そして気付いた。
これが愛なんだろうな。と。
俺はその人のお陰で何十年も見つからなかった愛の答えが見つかったと思っている。
出会うきっかけは何であれ、人生経験の中で貴重な体験をしたと思う。
もし、その人が居なければ未だに恋愛は昔のままだっただろう。
その人へのRespectの気持ちは変わらない。
幼馴染みへのRespectも。
しかし別のベクトルでの気持ちなので天秤にかけるようなものではなく、両者を最大限に大切な人だと思っている。
今後新しく人を好きになる時はこんな風に人を好きになろう。
と今は思う。
そしたら幸せな結果だけが生まれるから。
