地獄の様な人生の23年間 12より






























『どうしていいのかよくわからない』






























時々こんな事を思う。














小学生の時には行き詰りばかりで自殺も考えた。






死んだらどんなに楽だろうなと。






結局そんな勇気は無かったのだが。














今も常に悩む。





悩みながらもなんとか生活している。そんな状況だ。















さて、状況は中学生に戻るが、苦しい中でも活路を見出しつつあった。

ある日、スクールバス内でクラスメイトᏚと会話していた時に将棋部に誘われた。

ルールは知っていたので、ずっと帰宅部でいるのもなんだかなと思い即座に入部を決心した。


とはいっても部長と2人だけなのだが....



小学生でも部活はパソコン部と科学部は入っていた。科学部はガキ大将率いる派閥が居たので楽しく無かったのだが、パソコン部はひたすらにゲームができたので楽しかった思い出がある。そんな訳で部活には悪いイメージは無く、即決断した訳だ。





人間関係が既に苦手になっていたので、
部活には自ら入ろうとしなかった。それだけである。まさか部員が2人だけの文化系という好都合な部活があろうとは。



かくして、週1日は将棋を何時間か指している日が続いた。
中高一貫校で中学生は受験を気にしなくて良いので大分気が楽だった。
ゆっくり考える時間はあったと思う。ただ、時々クラスメイトO周辺の人物がちょっかいを出す回数が増えてきている事、週2回の小テスト実施にストレスが溜まっていた。








週2回の小テストだが、漢字と英語のテストがあり、30点以下であるとペナルティとしてA4の紙ギッシリに漢字や英語を書かされるのだ。
勉強する猶予といえば3日、4日程度なものでこれが毎週繰り返されるといったものだ。お陰で少し力は付いたような気がするが、勉強が大嫌いであった私はとてもストレスに感じていた。何より、勉強していたのに全く書けない時には憤りさえ覚えた。

今思い返して見れば、勉強の仕方が悪いだけの話なのだが.....


中学校は小学校と全く環境が異なりそれがストレスにもなったりしていた。私が成績も悪く、人とコミュニケーションを積極的に行わない故に先生も躍起になって私を変えようとした。

だが変わらなかった。





唯一良かった点は、また友人ができた事だろう。親が同じ会社という事で親同士中が良く、それに乗じてその子どもも友人になれたという所であろう。また、仲がよくなれそうな雰囲気があれば自分から声をかける事も多少はあった。





僅か2人だけだったのだが、これは大きな心の拠り所となっていたのかもしれない。
















小学生には夢があったのだが、もうこの頃から夢は消えつつあった。社会にでてもこんな奴らしか居ないのか、勉強が難しく、将来の夢など大層なものは描けない。もはや目の前の事に絶望しきっていたのだ。




















地獄の様な人生の23年間 14へ続く