武田麟太郎1
大阪文学散歩で、織田作について8まで書いたが、織田作といえば武麟、武田麟太郎の文学散歩をせねばならない。
文学碑は井原西鶴の墓所・誓願寺にある。私は何度か訪れている。
文学碑は寺の正門を入ってすぐ左側に建てられいる。大阪文学散歩1〜ではオダサク(織田作)を8まで書いたが、続いてはタケリン(武田麟太郎)と続きます。
大阪という郷土を代表する作家の文学として忘れてはならない作家である。
概して大阪人は地名や人名を縮めて呼ぶことが多い。オダサクと言っても何を言っているのかわからない。大阪人で文学好きな人はすぐわかる。
地名を呼ぶのも縮めて呼ぶことが多い。
天六(天神橋筋六丁目)、上六(上本町六丁目)、谷四(谷町四丁目)、日本一(日本橋筋一丁目)。
以前、東京から歌舞伎の大部屋役者が大阪へ来て大阪市電に乗って、降りる際、日本橋一丁目の駅で車掌が大きな声で「次は日本一、日本一❗️」と叫んだものだから、赧くなったというエピソードが残っている。
さて、そのタケリン(武田麟太郎)の文学散歩だが、文学碑が井原西鶴の墓のある誓願寺の正門を入ってすぐの左側にある。私は何度か、井原西鶴のお墓にお詣りしたおり、タケリンの文学碑に接している。
大阪が生んだ大作家・井原西鶴のお墓のある誓願寺内にタケリンの文学碑があるのもなかなか楽しい。
タケリンの作品に触れることすら無い現代、その名さえ知る人は少ない。作品を読むことすら出来ない大阪出身の作家だが、オダサクとならびタケリン(武田麟太郎)の文学散歩をしてみよう。
武田麟太郎の作品は筑摩書房刊の「現代文学体系」44巻(武田麟太郎・島木健作・織田作之助)で読むことが出来る。
後に新潮社から「武田麟太郎全集」全三巻が刊行されていて、私はその全集を持っている。
タケリンは、明治37年(一九〇四)、当時の大阪市南区日本橋東1丁目に生まれた。父は岡山県倉敷市出身の巡査(後に警察署長となる)母、すみゑ、麟太郎はその長男で、三弟三妹があり七人兄弟姉妹であった。
大正六年(一九一七)、大阪府立今宮中学(現 府立今宮高校)に進み、そこでは生涯の友となった藤澤桓夫と知り合い、藤澤桓夫の父・藤沢南岳の教えを受けた。藤沢南岳は高名な漢学者で、小豆島の景勝・寒霞渓の名づけの親として有名である。
タケリンの文学散歩は、井原西鶴の墓所・誓願寺の正門を入ったすぐ左側下に文学碑がある。私は何度も訪れている。



