AMEBA読者の皆様こんにちは。廣田佳子です。エアゼキウリエルのハンドルネームで、下記を記載していたものが、
電子ハラスメントにて、文章が無くなっていました。その為、今一度記載して、アップします。
2023年に、アメリカでのヒューストンでの連邦地裁での集団訴訟にて、「国の嫌がらせ」が「疑いから」だという事で理由がわかり、ある意味、推論付けは当たっていた事になります。つい先日も「勤労してますか?」などと
と初対面の人にいきなりなんの前振りも無くいわれましたし、続いています。「本人」何の気無しだとは言えないですよね。
「下記に記載している」恐らく「勤労の義務違反」だというところからの「ちょこっと嫌味での社会的制裁」の如くに聞こえてきますね。なるほど。以下、再掲載分にちょこっと一部修正して掲載しています。
女性の私から見ても、恋愛でも嫌だけど、それ以外のストーカー(ギャングストーキング)法律が無いのは妙であると思います。
本当に嫌でたまりません。
嫌がる女子を本当に何でここまでやる?ひどすぎますよね。
本当に、もう何十年もしつこすぎ。もういい加減にしてほしいですよね。
今日は、また、集団ストーカーについて、結び目をほどいていこうと思います。
集団ストーカーは、行政方面にも渡るのは、多層構造だからだと考えられる。
社会構図が、多層に絡み合い、そこにCIAの軍事技術のFM33-1-1のような「風説の流布」などが幾重にも多層構造に複雑に絡み合いながら、
その様相が成り立つ部分が形成なされ、その中の一部分に集団ストーカーが、存在すると思われる。
世界においても見られるように、なぜかターゲットになっているということは、
精神疾患という加害者側の都合のよい、シチュエーションを作り出そうとしている、
よって、社会構造を見ないことには、この謎は解けない。
ミクロレベルから、マクロレベルにまで、多層に絡み合う、その社会構造や制度人間関係というものを、
ひとつづつ紐解いていかないといけない。
集団ストーカーは被害者は実は知らない間に、やはりテクノロジー犯罪を受けている可能性はあるのではないのかと、
私も集団ストーカー被害を受けているという認識しかなかったことが、昨年12月よりわかってきたので、
ちょっとだけプラスアルファのテクノロジーでの行動を妨害されたりとの「ちょい悪」、
といったとこでの、自分ではわかっていないぐらいのレベルに「ちょい悪」をかけられ続けていて、
それが、時間泥棒にあっていることに気づき、自分自身への行動妨害になっていたことに、だんだん気づいてきた。
それゆえ、皆さんも洗脳をされていないか、よく考えられた方がよいと思います。
加害、というものがどのような方面から起こっているのかを考えると、その加害方面に不利にならないようなテクノロジー犯罪が魔法のようにかかっていて、加害側に不利にならないように、お茶を濁すような状態に、こちらへの攻撃をされていて、
こちら側が、なんらか、例えば、何らか忘れっぽいだの、手続きを忘れていたり、心身ともに、「あの人具合悪そう」
「なんか大丈夫?」という風に、こちら側を、加害者側が他のものも巻き込み、
正義づらして、表面はこちら側をいかにも優しいふりして見守らないといけない風にするようなテクニックを用いて、
実は他の本当に良い人たちを巻き込んで、ターゲットを追い込む手法です。
それには、医療・福祉・警察・行政なども絡んでいることがよくわかる。
一考察として挙げられる構図として、
一つの行動が、なんらかの疑いをかけられる状態になり、
見守りと称し、監視を行う布陣があるのではないのかと、思われる。
すなわち、虐待疑いなどのなんらかの疑いなどをかけること等によって、
早期の見守りと称するその論理の根本には、
他県にはわかりませんが、私の経験上からの事の考察なので、
皆さんに当てはまるかはわかりませんが、
ある県の条例に、「安心安全の条例」などといったものがあるのですが、
それはもとより、
一つに限らず、何らかの条例が当てはまることに気づいた。
結局、ケリングの「割れ窓理論」から軽微な犯罪を取り締まる目線という、
見守りすなわち見守られる側は被害者であるとの認識からの、
見守り目線というものがあり、
行政・教育・民生委員や地域を含めた福祉系統・警察関係等や、防犯等や更生保護系などが関わっているというのは、
そういう条例があるということからの、
見守り目線、温かくはない、「疑いからの目線からのもの」だからだと思えた為の経験からの一考察である。
加害者側からの、非言語的コミュニケーションからわかるに、
その虐待疑いをかけられた被害者は何らかの疑いイコール容疑者イコールすなわち加害者のような監視対象という名称こそ、
見守りまのでしょうが、実際には監視のような見守りになっていたりするために、
その疑っている人の目線が厳しいのだろうと思われます。
そのため、自粛警察などというものもでてくるのではないのでしょうか。
これはだめだという、お触書があるがために、いわゆる罪には当たらないが、疑いがかかっているという、まさしくそういう罪刑法定主義以外、その疑われている者はタイミングよく、地域ケア会議や、小地域ネットワークなどや防犯・自治体、民生委員等の誤解を生み、社会構図から、犯罪の取り締まりの延長線上に福祉が置かれている様相がうかがわれる。
医療方面も、情報のツールに使われ、個人情報は何らかの疑いがかかっていれば、
それは、個人情報は守秘義務違反にはならないために、
福祉も医療方面も、その疑いがかかっていれば、
その被害者の同意を取ることなく、ここがみそなのだが、
その同意を得ることなく、勝手にその何らかのデータは共有される危険性が否めない。
今後は、その見守り対象者や例え、何らかの疑いがかかっているものの情報は、
その人に直接、共有していいのかというしかも、
どこにどういう経緯でどのような情報を流しましたということが疑われている人にもそれが分かることができることが
必要になってくるのではないのでしょうか。
責任の所在を明らかにすることが重要であるにもかかわらず、
虐待疑いなどは、それを通報した人を守るなどと言って、保護するということにも、単なる疑いをかけかねない。
いち早くという通報制度にも疑念が残る。怨恨からそのようなことを行わないとも限らない、
そのような社会制度というものは、適宜の振り返りが必要であるはずなのだが、
単に相談件数が増えているだけで、何の解決にもなっていないのは、フィードバック機能がなく、
検証が適宜なされてないからだと思われる。
理論だけがあるものの、形骸化し、実戦が全くなされてきていない経緯がある。
なので、福祉の現場がたらいまわし状態で、全くの機能不全を起こしているのにもかかわらず、相変わらず、
現場サイドでは、利益重視で、利用者軽視であり、事業所優先で、第三者委員会も機能不全を起こし、全く中身が伴ってなかった。その為、このような澱に気づいても気づかぬふりでそのままにしており、
腐った状態になっている。そして、皆が不幸だと叫んでいるのに、
誰も助けないという構造、そこにインテリヤクザ的な
集団ストーカーといわれる、排除感の構図が垣間見える。
更生保護の保護司の動きにも、地域での活動などもあることから、その辺の防犯面の活動との連携性からの絡みもあるのではないのかと思われます。福祉といえば、地域では
色々な問題がある過程において、老人の一人暮らしや、虞犯少年などや引きこもりなどという、お宅や、
何もしていないのにも関わらず噂だけで、見守り対象のように被害者にとってはいらないおせっかいだったりする。
見守りは本人にいるか直接聞いてみた方がいいですよ。
本当に疑いをかけなければならないような人であってもブラブラしていたりするような輩なども(個人的怨恨や噂なども含め)
社会的排除につながりかねないような、
地域社会でのフリーライダーを許すまじ的やり方では、
ゲートキーパーにもなれませんし、福祉に対極になってしまいかねないでしょう。
私の考え方として、フリーライダー問題も、社会的ジレンマの解消策として、
この集団ストーカーは恣意的判断で、個人をターゲットにしているのではないのかと思われます。
ここはかなり、集団ストーカー問題の根本なのではないのかと、私は個人的には思っています。
フリーライダーをなくすために、アメリカの経済学者オルソンは
①選択的誘引②に規範意識と提唱しました。
廣田佳子の個人的考えでは、
すなわち、集団ストーカーは非協力的行動に対しての①の選択的誘引によるものだと考えられます。
仮説ですが、憲法の「勤労の義務」に違反するということは、一番の上位の法となり、国民の義務なわけです。
①「選択的誘引」とは国民の義務である仕事をしない、ということは、
社会に貢献せずに社会保障費などを支払わないので協力しない、などとみなされ、けしからんということに加害者側は考えるのではないのでしょうか。
社会に協力しないので、集団ストーカーをして制裁を加え、罰をあたえている、ということが一つに考えられるのではないのかと思われます。
そこに法律には引っ掛かりがないけど、「ちょっとこの人何なの?変じゃないのかな」という、
社会保障費などを支払うことをしてなかったりしながらも、
自分一人でちゃっかり、その恩寵は受けているという、
そういったタダ乗りの人たちに働いてなかったりする人などに、
「本当の働けない理由などわからなく」
ても、そういう憲法違反や条例違反はけしからん等の、
恣意的判断や(個人的感情)やだけで、
この集団ストーカーをする様相があるのではないのかと思われます。
すなわち、外的要因による集団ストーカーを用いて、害罰をあたえ、協力を促す方向づけシステムだと考えられます。
②の規範意識は、道徳意識や倫理観、例えばいろんな教えがありますが、いろんなしつこい信仰するような布教が来るというのは、
この内的要因に働きかけて、その人が、
自分自ら、そのような集団ストーカーの考える方向へと意識付けを行い、社会的協力を促そうとするやり方だと思われます。
しかしながら、規範意識形成には難しさがあり、というのもそれぞれの個人によってや世代間によっても違いがある為に、
規範意識に訴えかけるよりも、どちらかというと、①というものになるのではないのかと推察されます。
個々人によって、集団ストーカーのやり方はカスタマイズされるために、
これも、その人にあったやり方になるのではないのかと思われます。
しかしながら、多層構造のため、そして、ターゲット個人個人の環境や加害者側の思惑などが絡み合っているために、
集団ストーカーはしている者が全員わかってしていないこともある為に、わかりにくいのです。
地域住民にもさまざまで、加害者や善人の入交じりでもあり、そこの環境にもよるのではないのかと思われます。
全員加害者の事もあれば、ほぼ善人であるものの、そこに立場のある加害者による、何らかの影響などがあったりと、様々な様相がうかがえますが、
噂だけがぼんやり伝わっていることがあったりなかったり、
周囲から誤解を受けていることなどの様々な状況環境のために、
地域などの福祉や民生委員や自治会等も、実は把握をきちんとしていない状態なのではないのかと思われ、
噂のネットワークの形成に悪い部分として澱のようになっている部分は、不透明すぎて、被害者は訳が分からないことになっているのではないのかと推測されます。
やはり、民生委員などはこういった活動の中心になるのには、
専門性の問題等や守秘義務の問題等もあり、そのような噂を排除しなければならず、難しいのではないのかと思われます。
やはり、そういう社会構造面や生活のしずらさを調整機能の現代社会の不具合の是正改善が必要不可欠であります。
社会構図の澱の一つとして、
集団ストーカーのようになっている部分も別の勢力でも色々とあるのもまた、否めないのではないかと思われます。
色々考えられるのですが、挨拶運動と称してしている人たちも、
小集団では考えられることもあるのとしても、
それまでに、タイミング合わせてのアンカリングがあれば、善意のアンカリングとみなされるものだとの思いからなさっていることも考えられるために、
その善意のグループは、被害者にとって、悪い加害者にしか見えないでしょう。
そういうことで、被害の個々人をターゲットとして調査をなされていての、多層構造からなされているために、
集団ストーカーは、なされてきていることがその個人個人によって、、カスタマイズなされているので、
その個人個人によって、これまでの経緯をまとめての考察が必要と思われます。
よって、やはり、時系列に沿って自分自身でまとめてみることをお勧めします。
そのことによって、被害を見直し、
信頼できる長期被害者などにまずは相談し、見ていただくことなども、
必要なのではないのかと思いました。
多層構造を見ることのできる社会福祉主事や社会福祉士などでも、被害相談は可能なのではないのでしょうか。
実際としては、地域では民生委員さんは協力機関となっておりますが、
社会福祉主事が補助機関となされており、
生活保護等の相談も、社会福祉主事が本来は、その相談に乗るのが本当なのですが、民生委員さんがまだ根強く、
地域での社会福祉という面においての専門性が不十分であり機能不全面が多々あり、
現場サイドの実践面と、社会福祉の理論面でのずれがかなり生じていて澱がたまりすぎて地域が活性化しなくて、
集団ストーカーだのという一側面が出てきていて、今こそ、このような澱を出すべき時期にきているのだと思われます。
リモートワークの推進とともに、現在は、膿を出し切り、真の意味での社会的排除を失くし、
電磁波兵器との折り合いをつけながら、社会的包摂社会を目指す時期に来ているのだと私は思っております。
私は社会福祉士ではありませんが、
社会福祉主事任用資格だけは持っております。
そうした相談を、人権相談などを多数していく事などによって、その道は開いていくのだと思われます。
参考文献:第三判2018「社会理論と社会システム』中央法規 新社会福祉士養成講座
参考:阿修羅 http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/164.htm
2024年1月29日朝11時07分