問題の所在は、父親と母親の子育てへの関わり方という“子育ての形態”にあるということは分かりました。 
 次の関心は、父母が関わる子育て形態と、「回避型」愛着不全や「不安型」愛着不全との関わりです。それらを確かめると、今私達が日本の過去から何を学ばなければならないかが見えてきます。
(前回はここまでお話ししました。今回はその続きです)

 先ず「不安型」についてです。
 専業主婦となった母親一人に育児や子育てが押し付けられることによって、同時に生じるのが、母親の精神不安定状態だと考えられます。「自分一人にこの子の人生がかかっている」という重圧と、思うようにいかない育児や子育てとに挟まれた母親は、一貫して母親の愛情を注ぐ「無条件の愛」を施すことができなくなり、子どもが自分の思い通りにできた時には褒める一方で、そうでない時には過度に叱るという自己中心的で両極端な接し方をするようになることが考えられます。このような親の養育を受けた子どもが陥るのが「不安型」愛着不全です。
 そもそも「不安型」の子どもは「アンビバレント(相反する二つの価値観)型」とも呼ばれていますが、これは母親の気分による一貫性のない接し方を反映した症状(しばらく留守にしていた母親が戻ってきた時に、過度にベッタリくっつく一方で、普段から気分次第で怒ったり居なくなったりする母親への不安感や怒りから大泣きしたり叩いたりする、という両極端な反応)なのです。
 つまり、日本社会の工業化に伴って核家族化が進み、父親が仕事一辺倒になり子育てに関わらなくなったこと(父性の不足)によって、母親が一人で子育てに当たるようになったこと(過度な母性)が「不安型」愛着不全を生み出したと考えられます。

 次に、「回避型」についてです。
 このことについては、岡田氏自らが前回記事の同文献の中で「保育所利用の増加」と「映像メディアの普及」によって「回避型」の子どもが急増したと指摘しています。

 まず「保育所利用の増加」についてです。これは、オイルショック時の物価の高騰や、「自給自足経済」から「商品経済(他人が作った商品を買う生計形態)」への移行によって各家庭で商品購入資金が必要になり、女性が社会進出したことが背景になっています。
 同著で岡田氏は次のように述べています。
「保育所に預けられた子どもでは、『回避型』愛着パターンを示す割合が、預けられなかった子どもに比べて高いと報告されている。(中略)これは、個々のスタッフの熱意や力量の問題というよりも、集団保育という制約による点が大きいと考えられる。(中略)ある研究によれば、幼い頃から長期にわたって保育を受けていた子どもほど、母親に対する攻撃的な傾向や気が散りやすく課題に集中できない傾向が認められ、母親との愛着も不安定になりやすいとされる。

 次に「映像メディアの普及」についてです。やはり同著から引用します。
「テレビの爆発的な普及が起きたのが東京オリンピックのあった1964年を境としてである。テレビは、われわれの余暇の過ごし方や家族との団らんの姿を大きく変えた。互いの顔を見て過ごす家族の在り方は、皆がテレビを向いて座り、テレビに注目するという在り方に変わった。家族同士のコミュニケーションやスキンシップよりも、一方向に流されてくる放送に耳目を傾け、会話をしながらも、その注意の半分はテレビに向けられることが多くなった。向き合うのではなく、そっぽを向いた上の空な関係が普通になったのである。(中略)現代人は、画面を介したコミュニケーションにどっぷりつかることによって、知らず知らず回避的な対人関係の持ち方を身に付け、やがて愛着スタイルとしても回避的な傾向を強めつつある。」

 これらの記述から、「保育所利用の増加」によって明らかに子どもに対する直接的な母親の関わり、すなわち母性の不足が起きたことが分かります。特に、よく見聞きする0歳児保育」のように、愛着形成にとって最も重要な1歳半の前から、長期にわたって子どもを母親の保護から放し保育所に預けてしまうことが、子どもを「回避型」へと追いやっていると言えるでしょう。
 一方、「映像メディアの普及」については、テレビがもたらした「画面を介したコミュニケーション」が、「スキンシップを図る」「見る」「微笑む」「頷きながら聞く」等の“双方向性のコミュニケーション機能”と定義した「安心7支援」(母性)の働きの欠如そのものを表しています。特に昨今は、テレビに止まらず、親も子どももスマートフォンやテレビゲーム等のパーソナルメディア機器に関心を奪われ、家族間のコミュニケーションの機会がますます奪われてしまっています。

 さて、これまでのことを整理すると、私達が日本の過去から学ばなければならない事実は、年代順に以下の点であると考えます。
①工業化に伴う核家族化と、父親が仕事で留守にする一方で子育てが母親に押し付けられた子育て形態が背景となって、父親は子育てから離れて母親だけに子育てを押し付け、母親を精神不安定状態に陥らせたために、子どもを「不安型」愛着不全にしてしまった。
②東京オリンピックをきっかけとしたカラーテレビの普及や、技術進歩に伴うパーソナルメディア機器の普及が背景となって、親自身がメディア機器に関心を奪われ、子どもに対する「安心7支援」のような母性の働きを意識しなかったために、子どもを「回避型」愛着不全にしてしまった。
③オイルショック時の物価の高騰や、「自給自足経済」から「商品経済」への移行によって商品購入資金が必要になったことに伴う女性の社会進出が背景となって、「0歳児保育」のように早々に保育所に預け、愛着形成にとって最も重要な1歳半までの間に子どもを十分に母親の保護の下におかなかったために、子どもを「回避型」愛着不全にしてしまった。

 以上のことから、次の2点が確認できました。①「保育所利用の増加」と「映像メディアの普及」という母性の働きの欠如によって「回避型」の子どもが急増したこと。
②核家族化に伴う父親の不在という父性の働きの欠如によって、子育てが母親一人に押しつけられ、結果的に母親が精神不安定状態に陥り、褒める時と叱る時との両極端な子育てをすることで「不安型」の子どもが増加していったこと。

 つまりは、父親と母親という父母両性の働きが十分に機能しなくなったことが、「回避型」愛着不全と「不安型」愛着不全を生じさせた、ということが改めて確認されたことになります。


 2回にわたって、周りくどく、堅苦しい内容にお付き合いさせてしまい、申し訳ありませんでした。

 ただ、お陰様で、今後私が多くの方々に情報発信をするうえでの信頼性がより高まったと考えています。ありがとうございました。