【今回の記事】

【今回の記事】
相模原障害者殺傷事件 植松被告に死刑判決 横浜地裁 責任能力認める


【記事の概要】
 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で20167月、利用者ら19人を殺害し、26人を負傷させたとして殺人罪などに問われた元同園職員、植松聖被告(30)に対して、横浜地裁の裁判員裁判は16日、求刑通り死刑を言い渡した。青沼裁判長は19人もの命を奪った結果を「他の事例と比較できないほど甚だしく重大だ」と指摘。「酌量の余地はまったくなく、死刑をもって臨むほかない」と結論付けた。(中略)公判では、被告の責任能力の有無と程度が裁判の争点となった。起訴後に被告を精神鑑定した医師は公判で、被告に大麻中毒や人格障害があるとした上で、大麻が事件に及ぼした影響はなかったか、あっても行動に影響しないほど小さかったと述べた。被告は障害者差別感情を膨らませて事件に及んだとされるものの、鑑定医は、被告が大麻を使っていなくても差別的な考えを維持しており、動機は正常な心理に基づいて形成されたと指摘していた。
 検察側は、被告が「意思疎通できない障害者は殺した方がいい」と考えた末に事件に及んだと指摘。鑑定医の証言も踏まえ、こうした被告の考えは病的な妄想ではなく、単なる特異な考えだと強調した。

【感想】
 記事中の「大麻を使っていなくても差別的な考えを維持していた」「こうした被告の考えは病的な妄想ではなく、単なる特異な考え」とは、被告が既に診断を下されていた「自己愛性パーソナリティー障害」の特性のことを指しているのだと思います。

植松被告はどんな自己愛タイプか
 精神科医の片田珠美氏は、この歪んだ自己愛タイプの(植松被告のような障害域ではない)人のことを「モンスター化する『自分大好き』な人達」と表現し、「傷ついた自己愛を補完しようとするあまり、暴走してモンスターになることもある」と説明しています(https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12207276444.html )
 更に、これらの人達には5つのタイプがあるとして以下を挙げています。
①自己顕示型(セレブ気取りの虚構)
②自己陶酔型(あら探しという復讐)
③特権意識型(特別扱いが当然)
④過大評価型(自慢は過去の栄光)
⑤無価値化型(弱者への八つ当たり)

 これらの中には「自分自身を高めよう」とするタイプもあれば、「相手を低めよう」とするタイプもあります。しかし何れも「相対的にでも自分の位置が高まればよい」とする考え方です。
 植松被告は、この中の「⑤無価値化型(弱者への八つ当たり)」が過度に発症したケースではなかったでしょうか。

 一方では「最初に鼻の形を変え、続いて目を二重にする手術や医療脱毛をした。約150万円を借りて受けた」「記者との面会で植松被告は『ローンで家を買うよりも、先ずは美しさを手に入れるべきだ』と強調した」との報道もあります。これは「①自己顕示型(セレブ気取りの虚構)」の側面も持ち合わせていたと言えるかも知れません。

自己愛不全は植松被告だけの問題ではない
 植松被告と何度も手紙にやりとりをしたという和光大学名誉教授最首悟さん(83)は、あるテレビ番組でのインタビューで、次のように話しています。
「植松青年は『自分には多くの同調者や理解者がいるんだ』と言う。問題はそのところ。それを少しずつでも明らかにしたかった」
「この事件は起こるべくして起きた事件。植松青年の気持ちは『“この人がいると社会は成り立たない”と言う人は排除せざるを得ないと言う思想』。その思想に対して「そんな事は無い」と皆が思うかというとそうではない。それも相当多くの部分にある

 つまり最首氏は、植松被告のような“優生思想”を持っているのは決して彼だけではない、そう考えているのです。
 
 そもそも、先の片田氏が主張する「5類型」は、膨大な被験者の中にそれぞれに属するタイプの人が存在していたために導き出すことができたものであるはずです。つまり、植松氏のような極端なレベルの自己愛人間ではなくとも、他者をねたみ、自分を優位に見せようとするタイプの人間は今の世の中に数多く存在していることは間違いありません。

 そのような意味から、植松被告の行動に大麻以外の要因が関与していると分かったのならば、裁判の中で「それがなぜ生まれたのか」にメスを入れて欲しかったと思います。そうでなければ、いつかまた“第二の植松聖”が生まれかねないのです。
 
この事件が特異なものではないのはなぜか?
 ではなぜ、今の世の中にそれ程多くの歪んだ自己愛の人間が存在しているのでしょうか。
 
 これまでも、このブログ内で度々紹介してきましたが、オーストリアの精神科医コフートによれば、自己愛性の人格不全は、子どもが自分の幼い未熟な自己愛を満たすために、親からの“称賛”や“共感”が十分に得られなかった時に起きるものです。
 この称賛”や“共感”は、子どもとの間に愛着(愛の絆)を形成する為の愛情行為である「安心7支援」の中の、「⑤子どもから話しかけてきた時には子どもの話をうなずきながら聞く」「⑥子どもの中にある良さを探して褒める」に当たる行為です。すなわち、歪んだ自己愛タイプは、安心感や自己肯定感を育む安定した愛着を形成できなかった子どもが陥る道なのです。
 
 さて、戦前には当たり前のように見られた3世代家族の形態が、戦後の高度経済成長期に始まった「核家族化」によって減少したことや、1964年の東京オリンピックを機にカラーテレビが普及した影響などで、家族同士が視線を合わせて笑顔で語り合う機会が減り始め、その後、テレビゲームやスマホなどの個人モバイルの普及によって、家族間の交流は更に減少していきました。この流れを、精神科医の岡田尊司氏は自身の著書の中で「愛着崩壊のスパイラル」と呼んでいます。
今や、SNSを通して家族以外に心の拠り所を求める子どもさえ表れ始めている世の中ですから、その「スパイラル」は、今現在も進行し続けていると言わざるを得ないでしょう。それは同時に、先に歪んだ自己愛の要因として挙げた、親による「称賛」や「共感」の支援機会も一層失われ続けていることを意味しているのです。
 
 この「スパイラル」の進行の波が、片田氏に膨大な被験者から「モンスター自己愛の5類型」をまとめさせ、和光大学最首教授が「優生思想は植松青年だけではない」と意識させたのではないでしょうか。
 つまり、今後も個人モバイルが普及し続ける波にのまれた養育をしていれば、どの家庭から歪んだ自己愛タイプの人間が生まれたとしても不思議ではないのです。その波に対して、愛着を形成する「安心7支援」のような愛情行為によって意図的に抗うことができるかどうか、分かれ道はそこにあると思われます。