【今回の記事】
無期懲役で万歳三唱 新幹線殺傷犯の父が語った「私が息子を棄てた理由」

【記事の概要】
 201869日に起こった新幹線殺傷事件で、横浜地裁は小島一朗被告に無期懲役を言い渡した。これは皮肉にも被告自身が望んでいた判決であり、言い渡された際に「控訴はいたしません。万歳三唱します」と叫び、両手を上げて万歳したという。

 被告が「一生刑務所に入っていたい」と考え事件を起こすに至るまで、一体何があったのか。事件発生当時、世間の耳目を集めたのは、実の息子を赤の他人のように「一朗君」と呼ぶ被告の父だった。その真意はどこにあるのか、「週刊文春」2018621日号の記事を公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のまま。
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 凶行は、最高時速280キロを超える車内で起きた。逮捕された小島一朗容疑者の外見と惨劇とのギャップをどう理解すればいいのか。取材で浮かび上がったのは、容疑者とその実父との希薄すぎる父子関係だった。実の息子である小島一朗容疑者(22)を「一朗君」と呼ぶ奇妙な実父S氏(52)を直撃した。

放置された「アスペルガー症候群」
   小島容疑者は愛知県一宮市で育った。上に姉が一人いる。幼少の頃の小島容疑者はのんびりした天然キャラだったというが、5歳のころ、児童保育所から発達障害の一種である「アスペルガー症候群(=自閉症スペクトラム障害:ASD)」の疑いを指摘される。
「ところが母親は『そんなの大きくなれば治る』と病院にも通わせずに放置していた。父のS氏の説明だと、『成長は遅いと思っていたけど、学校の先生に“この子は普通ですよ”と言われたので、病院や特殊学級には入れなかった』と言っていました。14歳の時に一朗が自ら病院に行こうとしたときも、薬代が高いからと母親はお金を渡さなかったそうです」(親族)

 地元の公立中学校に進学した小島容疑者は、やがて不登校になってしまう。S家を知る人物が語る。
父親は『男は子供を谷底に突き落して育てるもんだ』という教育方針で息子に厳しかった。共働きのS家では同居している(父方の)祖母が食事の用意をしていたようですが、『姉のご飯は作ったるけど、一朗のは作らん』とよく言っていた。実質的に育児放棄されていた。一朗君と家族の会話はだんだんと少なくなっていったようです。」

 小島容疑者は自室に籠もり、インターネットやテレビアニメに夢中になるなど自分の世界に没頭するようになる。食事も自炊をするか、作り置きのものを一人で食べるだけだった。

深夜、両親の寝室を蹴破り……
 中2のときに、後の凶行に繋がる事件が起きる。
 この事件について、父のS氏は週刊文春に次のように証言している。
「(子供たちが)新学期だから水筒が欲しいと。それで妻が渡したんですが、姉が新品で、彼のが貰い物だった。そうしたら、その日の夜中、彼が障子を蹴破って、私と妻が寝ている寝室に怒鳴りながら入ってきて……。ここが核心に迫るんですけど、ウチにあった包丁と金槌を投げつけてきたんですよ。殺気はなかったですけど、でも刺されるかも、死ぬかもなぁ、と。だけど見当違いのほうに投げたんで、私からヘッドロックのような形で抑えにいって、10分ぐらい揉みあって、(妻に)『おい、はよ警察よべよ!』と」

「お姉ちゃんとの“格差”に腹が立った」
 小島容疑者は、駆けつけた警察官に対して、「新品の水筒を貰ったお姉ちゃんとの“格差”に腹が立った」と語ったという。
 この事件は父子関係に決定的な亀裂を生んだ。父親は息子を避けるようになり、小島容疑者も父親を嫌悪するようになる。

「息子が不登校で、父親との相性も悪く困っている」
中学2年生の終わり頃、母親は、自身が勤務するNPO法人代表に相談を(このように)持ちかけている。相談を受けた三輪憲功氏が振り返る。
「うちは居場所のない人を支援する自立支援NPOで、母親から相談を受け、一朗くんをうちのシェルターで預かることになりました。彼は整理整頓が出来ないところがあったくらいで、手のかからない子でした。定時制高校に入学したのですが、成績はオール54年かかるところを3年で卒業したくらい優秀他の人とトラブルを起こしたこともない。……こんな事件を起こすなんて想像もつきませんでした」

 小島容疑者は同施設から中学、定時制高校、職業訓練校に通い、5年間に渡って集団生活を送った。NPOの施設で同じような境遇にある人に囲まれていたこの時が、もしかしたら彼が自らの“居場所”を実感できた唯一の時間だったのかもしれない。
 15年春に職業訓練校を卒業した小島容疑者は、在学中に取得した電気修理技師の資格を活かして、埼玉の機械修理会社に就職。一人暮らしを始める。
彼は理解力が高く仕事は優秀で、人間関係も特に問題はなかった。親会社から発注される機械の修理を担当していましたが、いくつも資格を持っており的確にこなしていた印象です」(機械修理会社の社員)

社内いじめで退社、引き籠り、精神疾患……それでも両親は……
 しかし翌年、小島容疑者は退社してしまう。小島容疑者を知る人物によると、「愛媛工場に転属された後に、“お前には仕事を教えない”といった社内いじめがあったと聞いています」という。

 地元愛知県一宮市に戻った小島容疑者は市内で一人暮らしを始める。
「しかし、すぐに一朗は引き籠り状態になってしまったのです。精神疾患の持病もあったので、母親にも『責任もって面倒を見るように』と言ったのですが、両親は一朗を放置していた」(前出・親族)

 その年の10月に小島容疑者は、最初の家出をする。後に、家出の理由を「親に殺されるから」と語っていた。
「小島容疑者は、その後も何か気に入らないことがあると何回も家出をしては保護をされるということを繰り返していました」(前出・社会部記者)

母方の祖母と養子縁組
 20172月からは、周囲の勧めもあり地元の専門病院に2カ月あまり入院、ここで自閉症と診断されている。
 退院後、小島容疑者の運命は更に流転する。当時彼が身を寄せていた母方の祖母と養子縁組をすることになったのだ。
母親が『おばあちゃんの家にいるなら名前を変えたほうが都合いいんじゃない』と提案した。一朗君と祖母も同意して養子縁組をした。父親はそれについて特に何も話さなかったそうです」(前出・S家を知る人物)
 
あくまで「生物学上の産みの親」
 事件後、世間の耳目を集めたのが実父S氏の存在だった。
 テレビや新聞の取材に応じたS氏は、時折、薄ら笑いを浮かべながら、「私は生物学上のお父さんということでお願いしたい」と語り、小島容疑者のことを赤の他人のように「一朗君」と呼び続けたS氏の真意はどこにあるのか。本誌はS氏の自宅で150分にわたり話を聞いた。

――「一朗君」という呼び方が波紋を呼んだ。
「(昨日の囲み取材で)『元息子』と言ったのも、けしからん父親だと炎上しているみたいで。じゃあどういう言葉が正しいんですか。(記者から)『お父さん』と言われると、最初に出ちゃうのが『生物学上の産みの親です』なんですよ」
――今でも父親であるという思いはありますか。
「はい。じゃあどういう表現をしていいの?」
――虐待やネグレクトがあったのか?
「虐待はありえない。この(夫婦の寝室で暴れた)とき、うちの子がお巡りさんに『虐待を受けている』と言ったんですよ。でも、アザとかケガはないから(警察も信じなかった)。その日が、僕が決断した日ですよ。(息子への)教育を放棄した。彼にやりたいことをやらせましょう。外の空気を吸って自立を証明しろ、と」
――相談所に預けたことは後悔していない?
していないですね
――息子の姓が変わることに苦悩はあった?
ないですね。ないっていったらおかしいですけど、これが最後の手段かな、と。またどこかへ行っちゃうくらいなら、同じところにいてください、と。(戸籍が変わるのは)やっぱり寂しいものはありますよ。でも彼にとって、これが最後の手段なら、難しいんですけど、単純にオッケー
――息子の私物とか、写真は実家にあるのか?
今はもうない。捨てた。(段ボールや物が積み上げられた室内を見渡しながら)見ての通りのゴミ屋敷ですので(笑)、彼の部屋は今は物置になっていて」

なぜ自殺願望が他人に向かうのか
 言うまでもないが、発達障害が直接事件と結びつくものではない。
「発達障害」(文春新書)の著書がある昭和大学医学部・岩波明教授が語る。
「発達障害という病気は実はなくて、精神上におこる障害の総称。日本の場合はアスペルガー症候群を指す場合が多い。アスペルガー症候群は、いまは自閉症スペクトラム障害と呼ばれているのですが、対人関係・社会性の障害で、集団生活で溶け込めないということがしばしば起こり、不登校や引き籠りになるケースが多い。また発達障害の子供が親からのネグレクトや虐待に遭うというケースもかなり多いのです」
 様々なマイナス要因、不幸の連鎖が重なり、最悪のケースに至ってしまう。岩波氏は「彼の精神を荒廃させるような環境が事件に繋がった可能性はある」と指摘する。
「今回の事件を見ていると、必要な時期に適切な愛情を受けて育たなかったということはかなり決定的な気がします。大切に育てると社会的な予後が違う。犯人は、かなり自分に不全感を持っていて、それは親から見捨てられたという感情から来ているものもあったと思います。それが今回は外に向かい暴発したとも言える。今回の事件が発達障害の典型例かというとそうではないが、衝動的な行動パターンを選んでしまうというのは一つの特徴ではあります」

 凶行の最中、薄ら笑いを浮かべていたという小島容疑者、その胸に去来していた思いとは何だったのか。
 
【感想】
ASD児島被告の本当の姿
「彼の精神を荒廃させるような環境が事件に繋がった可能性はある」
「必要な時期に適切な愛情を受けて育たなかったということはかなり決定的な気がします。大切に育てると社会的な予後が違う。犯人は、かなり自分に不全感を持っていて、それは親から見捨てられたという感情から来ているものもあったと思います」
という岩波氏の指摘。
   つまり、「発達障害=犯罪」ではなく、今回の事件も「必要な時期に適切な愛情を受けて育たなかった」という養育条件が重なったことで、二次的症状として小島被告の犯罪行為が生まれたということです。
 
 では、二次的症状ではない、本来の小島被告の姿とはどんなものだったのでしょう?
   そのことが分かる記述があります。それは、小島被告が5年間に渡って集団生活を送った自立支援施設の三輪憲功氏の次の言葉です。
「うちは居場所のない人を支援する自立支援NPOで、母親から相談を受け、一朗くんをうちのシェルターで預かることになりました。彼は整理整頓が出来ないところがあったくらいで、手のかからない子でした。定時制高校に入学したのですが、成績はオール54年かかるところを3年で卒業したくらい優秀他の人とトラブルを起こしたこともない。……こんな事件を起こすなんて想像もつきませんでした」
   この時の小島被告は、後の犯罪行為を犯した同じ人物とは到底思えないほど、成績も優秀でとても落ち着いた生活態度を見せていました。おそらく、居場所のない人を支援する“プロ”による適切な支援の賜物だったのではないでしょうか?
   このように、ASDの人は、他者からきちんとした接し方をされていれば、これほど素直まじめな生活ができるのです。

   その安定した状態で職業訓練校を卒業し、在学中に取得した電気修理技師の資格を活かして機械修理会社に就職した小島被告。そこで待っていたのは「お前には仕事を教えない」という理不尽な社内いじめでした。彼は、それを契機に引きこもり状態になってしまいます。
   彼本来の姿を無残にも変えてしまったのは、“職場いじめ”という外部環境だったのです。両親をはじめとして彼の周りにいた大人達がもっとまともな人間であれば、引きこもりにも陥らず、もっと別の生き方ができたかもしれません。
   子どもは誰でも幸せに生きるために生まれてくるのです。

両親の愛情の欠落が小島被告にもたらしたもの
   因みに、記事中のアンダーライン部は、私が記したもので、主に、小島被告の両親の我が子に対する意識が表れている個所を示しています。
   健常の子どもであっても、この両親のような養育では、愛着不全に陥ってしまうところですが、感覚過敏が障害特性であるASDであった小島被告であればなお更ショックだったことと思います。
 
   また、感覚過敏であるASDの人は、「人は……と言ったり行動したりするはずだ」という“正しい規範意識”を見通しにして、それを頼りに生きています。しかし、周囲の人が規範意識が欠けていると、その見通しが裏切られることになり、心に強い動揺が走ります。時にはそれがパニックにまで発展することもあるのです。
   そんな小島被告の中では、「両親と言うものは、我が子に対して愛情を注いで可愛がるはずだ」という見通しがあったはずですが、その見通しは両親によって儚くも破り去られることになったのではないでしょうか。「親に殺されるから家出した」という一見オーバーにも思える小島被告の訴えが、その“見通しの裏切り”によるショックの大きさを物語っているようです。

   彼が法廷の場で彼が見せた誰の目にも不謹慎に映る万歳三唱が、その“針の筵状態”の毎日から、余計な外部刺激が遮断される刑務所へ移ることができると分かった際の心の叫びであったか、周囲の空気を読めないというASDの障害特性によるものだったか、それとも自己否定感の連続から生まれた極度の自暴自棄行動であったか…。
 何れにせよ、実の親からさえまともな愛情を受けることができなかった、感覚過敏のASDであった小島一朗被告のこれまでの生活は、私達の想像をはるかに超えるものであることは言うまでもありません。