【今回の記事】

【記事の概要】
   来年度から小学校で必修化されるプログラミング教育。コンピューターを指示通りに動かす体験から「論理的な思考」の習得を目指す。と、しばしばこう説明されるが、実際のところ何をやるのか、いまいちよく分からない。子供たちに身に付けさせようとしている力とは何か、中央大国際情報学部の岡嶋裕史教授に聞いた。

◯相手に伝える話し方
--論理的な思考とは
 簡単にいうと、「筋道を立てて話しましょう」ということ。例えば、料理中にキッチンを離れるとき、私たちは「お鍋を見ておいて」という。言外に「火加減を調節して」という要望などが含まれる。だが、幼児なら吹きこぼれても鍋をただ見続けるかもしれない。それは、大人と子供の経験値の違いから起こる。
   経験値の異なる他者、つまり言葉や文化、知的水準、世代が異なる人とコミュニケーションを円滑に行うには、〝相手に伝わる〟話し方が必要となる。吹きこぼれが起こる火加減や、そうさせないための対策などを分かりやすく伝えられなければならない。そのためには自分自身が問題点を理解するのが前提となる。
 この点を理解していなければ、コミュニケーションが破綻する。上司が部下に「契約を取ってこい」「俺の頃は自分で学んだ」などとやみくもに怒鳴るケースがあるが、社会が複雑化した現代の若者には通じず、生産性は上がらない。

--なぜプログラミングでなければならないのか
 コンピューターは人間のように気が利かない。気合も通じないし、忖度(そんたく)もしてくれない。的確な指示を与えなければ動かない。成功も失敗も目に見え、ゴールへと至る筋道が分かりやすいので、論理的な思考の訓練にぴったりだ。
 どんなに複雑な動きをするロボットのプログラムも、「ボタンを押すと1歩進む」などの単純なパーツに分解できる。その順番や、さまざまな条件に応じた分岐命令(「右に回ったとき、音を出す」など)を試行錯誤し、組み立てていくことで成立している。

【感想】
   今回のテーマである「コンピュータープログラミング学習」。「学校の指導内容に関わる事なのに、なぜこのブログ記事に取り上げられたのだろう?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。実は、親御さんがこのプログラミング学習の目的を理解しておくことで、お子さんが、より「論理的な思考」ができる大人になることも十分できると私は思います。どういうことでしょうか?

   まず、この記事を読むうえで大事なことは、コンピューターを使ったプログラミング学習自体が目的ではなく、「論的思考力を身につけさせるためにたまたまコンピュータープログラミング学習が役に立つというだけ」と考え方に立つことです。つまり、主眼は「論理的な思考力」を身につけさせることであり、コンピュータープログラミング学習ではないということです。

   そもそも、記事中の「お鍋を見ておいて」という例え自体が、家庭内での事例になっています。要するに、「漠然とした伝え方ではなく、具体的で確実に相手に理解される伝え方ができるようになろう」ということなのです。もっと、簡単に言うと「分かりやすく相手に伝えよう」という意味なのです。これなら、家庭でも十分指導は可能です。
   例えば、子どもが家族の誰かに対して何か頼み事をしようという時に、「あの番組録画しておいて」のような、「何の番組か分かるでしょ?」「録画の仕方も分かるでしょ?」「いちいちこっちに面倒をかけさせないで」とでも言わんばかりの“ぶっきらぼう”な伝え方をしている子どもには、この“論理的な思考力”は身につきません。言わば、「できるだけ分かりやすい説明をしてあげよう」という“家族を尊重する態度”こそが「論理的な思考」を生む原動力になるのです。そこで、子どもが言ったことが分かりにくい表現だった時には、穏やかな言い方で「ごめんなさい、もう少し分かりやすく言ってくれる?」と聞き直し、言い直した時には「ありがとう」とお礼を返す、そうすると子どもは、「これからも分かりやすい伝え方をしよう」と思うようになるでしょう。
   また、あるサイトによると、「論理的に話す」とは、話の「結論」、その結論に至った「理由」、結論と理由の「つながり」を示して話すことと指摘されています(例:「備品が減ってきた(理由)。だから(つながり)、発注をします(結論)」)つまり、子どもが何か発言した後に、「どうしてそう思うか“理由”を教えてくれる?」と聞いて、子どもが“理由”を答えたら、「なるほど!」「“理由”を付けてもらうと分かりやすいね!」等と褒めることで、「“理由”をつけて話すことは良いことだ」という認識が子どもに身に付くでしょう。

    更に、家庭外においては、この「論理的な思考」の有無は、子どもの対人関係の成否にも影響します。「今から公園に行こう」等と、“結論”だけを話すと、友達は「◯◯君は、ぶっきらぼうで自分勝手」と、思われるかもしれません。しかし、「午後になると雨がふるそう(理由)だから(つながり)、今のうちに公園に行こう(結論)」等と言えば、「ああ、なるほど」と受け止めてもらえるでしょう。

   ここまで話したところで、少し話を戻しましょう。
   文科省の「小学校プログラミング教育の手引(第二版)」では、プログラミングについて、正三角形を描くプログラムの例を次のように紹介しています。
「『正三角形をかく』という命令は通常は用意されていませんので、 そのままでは実行できません。そこで、コンピュータが理解できる(用意さ れている)命令を組み合わせ、それをコンピュータに命令することを考えます。この場合、『①長さ 100 進む(線を引く)』『②左に 120 度曲がる(鋭角=60度の方向に戻る)』『③(この作業を)3回繰り返す』というコンピュータが理解できる(用意されている)命令を組み合わせることで『正三角形をかく』ことができます。」
この例にそって説明すると、「相手に正三角形を書いてもらいたいという場合、その書き方をどう伝えたらいいか?」を考える際には、相手が正しく理解できるような“確実な説明の道筋”を描く必要があります。その“確実な道筋”こそが、上記の『①長さ 100 進む(線を引く)』『②左に 120 度曲がる』『③(この作業を)3回繰り返す』という命令です。一方で、「正しく正三角形を書いて」というだけの説明は、記事中にあるように、何も分からない新入社員に「契約を取ってこい」と抽象的な説明をすることと同じです。

   また、この力は、子どもが将来仕事に勤務した時に、職務上の何らかの目標を達成するための“確実な道筋”を描く力と同じものです。それを示せた人間こそが、その道筋に従って目標を達成することができるのです。しかも、目標達成のために実際に行動に移すうえでは、一度上司の審査を受けて「GO」サインをもらわなければなりません。そのためには、「確かにそれならできそうだな」と思わせるだけの“確実な道筋”を上司に対して示す必要があるのです。更に、自身が部下に仕事を依頼する立場になった時に、「契約を取ってこい!」「俺の頃は自分で学んだ!」などという漠然とした伝え方をすると、部下には伝わらず、思わず「なぜ出来ないんだ?!」と怒鳴ってしまう“ダメ上司”にもなりかねないのです。


   もちろん、学校では家庭内のことまでは言わないと思いますし、先生方の日常的な意識が変わらない限り、学校での週1時間のコンピューター学習だけでこの“論理的思考力”が身につくとは思えません。その意味でも、各家庭でお子さんの日頃の“話し方”に気を掛けているかどうかが、子どもの将来に渡る幸せの成否のカギを握ると言っても決して過言ではないと思います。