【今回の記事】

【記事の概要】
   神戸市垂水区で平成28(2016)年に市立中学3年の女子生徒=当時(14)=が自殺し、いじめの内容などを記した学校側の聞き取り調査のメモが市教育委員会の首席指導主事の指示で隠蔽されていた問題で、文部科学省の幹部が5日、同市役所で川田容三市教委教育次長と面談し、組織体制の見直しなど再発防止策をまとめるよう指導した。同省の幹部は面談後、記者団に「不適切で極めて遺憾。教育行政への信頼を失墜させた。重大事態への組織的対応が不十分だった」と断罪した。

「今さら出せない」「先生、腹くくってください」
   隠蔽されたメモは女子生徒の自殺から5日後の28年10月11日、教員が生徒から聞き取って作成。いじめの内容や、いじめを行ったとされる生徒の名前などが記載されていた。自殺直後に教員が同級生らから聞き取り調査をしていたことを知った遺族からその内容を知りたいという要望を受けた当時の校長は、自殺から数カ月後にメモの存在が明らかになることで遺族から反発を受けることを懸念。昨年3月1日、市教委の首席指導主事に対応を相談したところ、「(遺族への)情報開示が終わっているので今さら出せない。出せば(再度、情報開示請求が出され)マスキング作業などの事務処理が増える」としてメモは存在しないと伝えるよう指示されたため、校長は同3月6日、遺族側に「メモは残していない」と回答した。同主事は課長級だが、校長を指導する立場だった。


また、遺族の申し立てで同月末に行われた神戸地裁による証拠保全手続きでも、メモは対象として明記されていたにもかかわらず、同主事から「先生、腹をくくってください」と促されたため、校長はメモを裁判所に提出しなかった。

隠蔽発覚後も上層部には伝えず
   自殺直後の28年10月20日に市教委が設置した有識者らによる第三者委員会も聞き取り調査を実施。市教委からメモは破棄されて存在しないとの報告を受けており、いじめがあったことは認定する一方、自殺との因果関係は不明とする報告書を昨年8月にまとめた。
   報告書を読んだ後任の現校長が同月下旬にメモが校内に保管されていると連絡し問題が発覚した。市教委は8月末ごろ、同主事から聞き取りをしたが、同主事が「メモは存在しないはずだ」と虚偽の説明をしたため、市教委は前校長への調査を指示。同主事自らが同僚職員と2人で同9月に調査したところ、前校長は主事の指示による隠蔽を告白したが、その内容は教育長ら市教委の上層部には報告しなかった。これらの結果、メモは遺族、裁判所、第三者委のいずれにも明らかにされなかった上、今年3月に遺族が「調査は不十分」との所見を市教委に提出し、現校長がメモを提出するまで市教委は対応を放置していた。メモが見つかったことを受け、久元喜造市長は今年4月26日、「市教委の一連の対応に不適切な点があった」と遺族側に謝罪。市教委とは別に、独自の再調査委員会を立ち上げる方針を明らかにした。


【用語解説】
神戸中3女子自殺問題平成28年10月6日、神戸市垂水区の川で市立中学3年の女子生徒=当時(14)=が倒れているのが見つかった。橋から首をつって自殺したとみられ、遺書のようなものが見つかったが、いじめをほのめかすような内容はなかったとされる。遺族から「いじめが原因ではないか」との指摘を受け、市教委は同月20日に第三者委員会を設置。第三者委は29年8月、いじめを認定した一方、自殺との因果関係は不明とする報告書をまとめた。

【感想】
   またもや、お決まりの教育委員会と学校側の隠蔽体質が明らかになりました。今回は、いじめの事実を記した“あるメモ”の存在を意図的に隠蔽していたのです。

   ちなみに、市教委の首席指導主事が「事務処理が増えるため」として隠蔽行為の要因となった「マスキング作業」とは、資料の中で公開できない部分を黒塗りにする作業のことだと思われます。この事務作業が億劫(おっくう)だった、それだけのために隠蔽を指示したという判断は、余りにも自殺した生徒のご遺族の気持ちを蔑ろにする許されざるものです。

   更に、市教委は前校長への調査を指示しましたが、前校長が首席指導主事の指示によって隠蔽したことが明らかになった調査結果を、首席指導主事は、教育長ら市教委の上層部には報告していませんでした。また、調査を指示した市教委の上層部も、その後の結果を確認することはありませんでした。極めて重大な問題を“放ったらかし”にしたのです。何と不誠実な対応でしょうか。

   しかし、そのようなことは、これまでも他の自治体においても報道されてきました。ただ、私は個人的に、今回の事例でどうしても許せないことがありました。
   平成28年10月6日に女子生徒が自殺した5日後に、学校教員が生徒6人から聞き取り調査をしていました。これは、別テレビ報道によると、生徒達の方から「いじめを見た事実について先生に知らせたいことがある」と自ら名乗り出て行われたものだった。おそらくこの生徒達は、かなりの勇気を振り絞って名乗り出たはずです。それを受けて、対応した教員はメモを取りながら聞いていたそうです。そのことについては、教員の目の前で話した生徒達が「確かに先生はメモを取りながら私達の話を聞いていた」と証言しているそうです。
   しかし驚くべきは、その後、隠蔽にかかった学校側の発言でした。何と学校は当時の聞き取りについて、「いじめの事実を聞き取っていたのではなく、単にカウンセリングをしていただけだった」と釈明したというのです。勇気を持って自分達から名のり出た生徒達の行為を真っ向から否定した形になりました。聞き取りに臨んだ生徒達はその釈明をどんな思いで聞いたのでしょうか?
   この「カウンセリング」発言の性質からして、おそらく教育委員会からの指示があったと思われます。教育委員会の人間と言えば、その多くが、自ら教師として学校現場で働いていた頃に  子どもへの指導が顕著に優れていたと言う評価の下に今の立場にいる人達です。つまり、自らの“教育者”としての魂をゴミ箱に捨てるにも等しい行為のなです。同じ教師だった人間として非常に残念です。教師にとって、子ども達を裏切ること以上に辛いことなど無いはずなのですが…。