【今回の記事】

【記事の概要】
   虐待を受けた子どもは、そのトラウマ(心の傷)を示す物質的特徴が細胞の中に刻み込まれている可能性があるとする研究論文が2日、発表された。研究は、過去の虐待歴を調査する犯罪捜査の助けとなる可能性を秘めている他、トラウマが世代間で受け継がれるのか否かをめぐる長年の疑問解明への一歩ともなり得る。


。カナダ・ブリティッシュコロンビア大学などの研究チームは今回の研究で、児童虐待の被害者を含む成人男性34人の精子細胞を詳しく調べた。その結果、精神的、身体的、性的な虐待を受けたことのある男性のDNAの12の領域に、トラウマによる影響の痕跡がしっかりと残されていることが分かった。研究チームは、未来の児童虐待容疑の捜査において、「メチル化」として知られるこのトラウマによるDNAの改変を捜査当局は調べることになるだろうと予想する。
   ブリティッシュコロンビア大遺伝医学部の博士号取得候補者のニコル・グラディシュ氏は「遺伝子を電球とみなすと、DNAメチル化はそれぞれの光の強度を制御する調光スイッチのようなものだ。そしてこれは細胞がどのように機能するかに影響を及ぼす可能性がある」と語った。

■予想以上だった「調光スイッチ」の影響
   精神医学専門誌「トランスレーショナル・サイキアトリー」で論文を発表した研究チームは、メチル化が個人の長期的な健康にどのような影響を与えるかについてはまだ不明だとしている。
   統計的に見ると、女性は児童虐待の被害者となる確率が男性に比べてはるかに高いが、卵細胞の抽出が困難なため、今回の実験を女性で再現する予定はない。
   今回の研究結果によると、子どもの時に虐待を受けた男性のゲノム(全遺伝情報)の一部は、虐待を受けていない男性と比較して29%異なっていた。これについて研究チームは、DNA領域における「調光スイッチ(トラウマによるDNAのメチル化)」の影響は予想以上に高かったとコメントしている。
   なお、メチル化の度合いには経時変化がみられるため、被験者の男性の細胞を調べることにより、虐待が行われた大まかな“時期”について知ることができた。論文の筆頭執筆者のアンドレア・ロバーツ氏は、精子細胞内に含まれる虐待の痕跡が、受精後も元の状態のままかどうかについてはまだほとんど明らかになっていないが、今回の研究により、トラウマが次の世代に伝えられるかどうかの解明に向けて少なくとも一歩近づいている」と述べた。

【感想】
   今回の記事の中で最も注目される記述は以下のものです。
児童虐待の被害者を含む成人男性34人の精子細胞を詳しく調べた結果、精神的、身体的、性的な虐待を受けたことのある男性のDNAの12の領域に、トラウマによる影響の痕跡がしっかりと残されていることが分かった。
つまり、トラウマによってDNAに明らかな影響が及ぼされるていることが科学的に明らかになったのです。しかも、「子どもの時に虐待を受けた男性の全遺伝子(DNA)情報の一部は、虐待を受けていない男性と比較して29%異なっていた。(女性に関しては調査が難しい)」つまり、子どもの時に虐待を受けた男性のDNAは、虐待を受けていない男性と比較して30%もの改悪を受けるというのです。

   更に「被験者の男性の細胞を調べることにより、虐待が行われた大まかな“時期”について知ることができた。」と言います。このことは、細胞に与える改変がそれほど明確で信頼性の高いものであると言うことを物語っています。

   これまでは子供が幼児期に受けた虐待が成人後にまで影響を及ぼすかどうかについては、例えば、大勢の人間を集めて質問紙による調査をしたり直接面談したりするなどして集めた多くのデータの集積による“推論”の域を出ていませんでした。しかし、今回の記事は、そのことが科学的に明らかになったことを示しています。
   少なくとも男性について言えば、幼児期に虐待を受けた子どものDNAは、虐待を受けなかった子どもと比べて30%近くもの改悪を受け、成人後もその人間の人格に悪影響を及ぼすのです。

   更には、これまでは、「乳幼児期の虐待などの過度に厳しい養育を受けた子どもは、『第二の遺伝子』とも呼ばれる「愛着(愛の絆)」に傷がつき、一生に渡って人格形成に悪影響を及ぼす」と紹介してきました。しかし、今回の記事によって、虐待が与える影響は、“観念的”な「第二の遺伝子」どころか、本来の遺伝子(DNA)そのものに傷をつける“物理的”なものであることが分かりました。改めて、虐待の恐ろしさを痛感します。