【今回の記事】
   教団元幹部7人の死刑が執行されたオウム真理教事件。この教団には高学歴の若者が多く入信していることが知られています。長年、教育という仕事に携わってきた私は、以前から、「なぜ高学歴の人間があのようなカルト教団に入るのか?」という事について関心を持っていました。“高学歴”という肩書きの裏に、何らかの社会的な欠陥が潜んでいるのではないか?と考えていたのです。そこで、今回はこの記事を取り上げることにしました。

特にこの記事の筆者は、友人にオウム信者がいたり、井上嘉浩元死刑囚と実際に交流を持っていたりしたので、信頼性が高いと思ったのです。

【記事の概要】
   受験エリートの一つの末路だった――。教団元幹部7人の死刑が執行されたオウム真理教事件。当時、信徒には高学歴の若者が多く、事件にも関与していた。現役の医師で、東京大学医科学研究所を経て、医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏は、自身の経験をもとに「背景にあったのはリアリティーの乏しさ。私と入信した友人を分けたのはわずかな差」と振り返った。
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   実は、私(上昌広氏)もオウム真理教事件に少しだけ関わった。高校(神戸市の灘高校)、大学(東京大学)の同級生の中に幹部になった人がいたためだ。特にI君とは仲が良かった。真面目で信頼できる人物だった。
   医学部の学生時代や研修医のころ、I君からはしばしば電話がかかってきた。夜中に私のマンションまで車で迎えにきてくれて、南青山の教団の道場にお邪魔したこともあった。カレーとジュースをごちそうになり勧誘された。担当は井上さん(死刑が執行された井上嘉浩元死刑囚)だった。I君と井上さんは一緒に行動することが多かった。井上さんは少しやんちゃで、行動力があるという雰囲気だった。
    当時、NHKスペシャルでチベット密教が取り上げられていた。私も関心があったので番組を観て、その後出版された本も読んだ。I君らの主張は、基本的に、そのようなドキュメンタリー番組で報じられている内容と同じだった。私はチベット密教という権威に抗いがたい雰囲気を感じた。
   2人からは、富士山の裾野で修行しようと何度も言われた。「信頼する友人がいるのだから、一度だけ行ってみようか」と何度も思った。しかしながら、最終的に私はいかなかった。その理由は、彼らが「剣の達人になれば、気のエネルギーで接触しなくても切れる」と言ったためだった。
   私は剣道で挫折を経験した。高校時代に最も情熱を注いだのは剣道だった。それなりに自信もあった。ところが、大学進学で神戸から東京に出てきて、全国から集まる剣道の有名選手を目の当たりにし、自分の実力のなさを痛感した。この頃、私は剣はしょせん“膂力(「りょりょく(筋肉の力)」)”と考えていた。(それだけに)オウムの主張はリアリティーのない机上の空論に感じられた。
   その後、1994年の年末には浅草で、NHKに就職した高校の同級生とIくんと3人で飲んだ。この時I君が「ハルマゲドンが起こる」と言ったことを覚えている。2人で「何を言っているんだ」とからかった。
   次に、私がオウム真理教と絡むのは、95年3月のテロ事件(地下鉄サリン事件)の後だった。ほどなく、警視庁公安部から職場に電話がかかってきた。更にその年の夏には、新宿署の刑事がやってきた。もう1人の同級生であるT君が、東京都庁に爆弾を郵送し、被害者が出たためだ。
   そして、刑事らは帰り際に「先生(筆者上昌広氏)が無理やり連れて行かれなかった理由がよくわかります」と言った。おそらくそれは「リアリティー」だと思う。私は、受験の世界ではエリートだったかもしれないが、剣道の世界では三流だった。挫折し、コンプレックスを抱いていた。オウムのいうことは、剣の修行については所詮きれい事だった。チベット密教の権威を持ち出されても、絶対に受けいれられない話だった。
   エリートは権威に弱い。権威の名前を出されると、そのことを知らない自分の無知をさらけ出すのが恥ずかしく思い、迎合しようとする。決して「分からない」とは言わない。私を含め当時の東京大学の学生が、オウム真理教に引きずられていたのは、このような背景があるのではなかろうか。挫折を知らない、真面目で優秀な学生だからこそ引き込まれる。
   あれから23年が経過して、事件は大きな節目を迎えた。だが、当時の受験エリート達に欠けていたものを、今の社会は埋めることができているだろうか。ネット社会になって、ますますリアリティーがなくなっていると私は感じる。ますます、カルトへの免疫がなくなる、と危惧している。

【感想】

   さて、今回の記事で私が特に注目したのは以下の記述でした。

エリートは権威に弱い。権威の名前を出されると、そのことを知らない自分の無知をさらけ出すのが恥ずかしく思い、迎合しようとする。決して『分からない』とは言わない。挫折を知らない真面目で優秀な学生だからこそ引き込まれる。


「自分に分からない事はない」という“エリート意識”がもたらすプライドのために、「チベット密教」等、自分の知らない権威の名前を出された時に、「分かりますと見栄を張り迎合するエリートでなければ「自分は知らない、興味がない」と関係を断ち切ることができるのだが、虚栄心を持つエリート意識がそれを邪魔すると言うのだ。

   その一方で、「挫折」を経験している人は、へんなプライドもなく、自分の未熟さを認めることができる。つまり、オウムの高学歴信者に必要だったのは 皮肉にも「挫折」だったのだ。

   ところで、なぜ彼らは「挫折」を経験できなかったのでしょうか?彼らは、自分の得意な「勉強」と言う世界の道だけを歩いてきました。その一方で、この筆者は、自身でも自覚しているように、「受験の世界ではエリートだったかもしれないが、剣道の世界では三流だった」のです。「文武両道」という言葉がありますが、この筆者も、勉強一本ではなく、剣道というスポーツにも取り組んだおかげで、世の中には自分よりも強い才能豊かな人間がいることを知り、「自分の剣道は三流」と言う「挫折」を経験することができました。
   それに比べて、「勉強」は努力しただけ成果が上がる傾向が強い活動です。特に、記事中のI君のように真面目な性格の子どもは、ひたすらに勉強に取り組むでしょう。つまり、勉強以外の時間を排除して「東大一直線のような世界で生きてきた人間は、「文武両道」の人間に比べて失敗が少なくエリート街道から外れにくいのではないでしょうか?

   更にこの筆者は、「世の中には、どんなに頑張っても届かない人間がいる」「自分の剣など所詮、無力な人間の“膂力(「りょりょく(筋肉の力)」)”に過ぎないのだ」という現実、つまり「リアリティー」を経験することができました。だからこそ、「ハルマゲドンが起こる」と言ったI君に対して「何を言っているんだ」と返すことができたのです。
   方や、「東大一直線」のような世界で生きてきた人間は、勉強以外の世界をほとんど知らずに生活してきたために、世の中の「リアリティーにふれることが少なかったのでしょう。そのために「剣の達人になれば、気のエネルギーで接触しなくても切れる」「ハルマゲドンが起こる」等と言うようなリアリティーに欠けた空虚な世界に引きずり込まれ洗脳されていったのではないでしょうか?

   筆者は最後に次のように問いかけています。
当時の受験エリートたちに欠けていたものを、今の社会は埋めることができているだろうか?
今もなお、より偏差値の高い名門学校を目指し、お受験戦争に生きている子ども達が数多くいる現代の社会にあって、私達は、この問いに自信を持って「YES」と答えることができるでしょうか?
   できればこの筆者のように、勉強以外の活動にも取り組ませ、“人間としての視野”を広げて、いい意味での「挫折」や「現実リアリティー)」を経験させてあげたいものです。そのためには、絶えず子どもに“転ばぬ先の杖”を差し出す過干渉な養育は避け、多少の失敗なら子どもに任せ、「この事態に対して、この子はどう対処するだろう」くらいに見守る意識が必要だと思います。つまり、ここでもやはり「自立4支援」によるサポートが大切になるのです。