【今回の記事】

【記事の概要】
   どれだけ叱っても、まったく言うことを聞かない子どもにお手上げ状態。そんなとき、親は子どもの「した」ことばかりに気を取られている可能性が高いのです。
   学習塾を主宰し、不登校児や学習障害児、非行少年などを積極的に引き受けながら、科学の視点で子育てにかかわる活動を続けている、異色の科学者・篠原信先生が、著書『子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法』(朝日新聞出版)の中で明かした、子どもの問題行動がぴたりと収まる方法を、ここで紹介します。
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 私の息子は、3歳の「イヤイヤ期」に、アンガー(怒り)コントロールが全然できませんでした。気に入らないことがあると、ずっとむくれていました。幼稚園の先生によると、幼稚園でも叱れば叱るほどひどくなるらしく、お手上げ状態だったようです。
 そこで私の嫁さんが、対応を工夫。息子がたまたま怒っていなかったときにほめました
いま怒らなかったね。エライ!
 一日に何度もキレていた、あの息子が、この日からキレなくなりました
 それまで、私たち夫婦は、「キレる」というネガティブな現象ばかり見て、どう止めさせるかばかり考えていました。諭したり、怒鳴ったり、なだめすかしたり。しかし、どれもうまくいきませんでした。
 ところが、「怒らなかった」ことをほめたところ、息子は「怒らずに済ませたほうが楽しい」と気づいたようです。そして、キレるスイッチを入れずに別の方法を探すようになりました。

 もう一つ、エピソードをご紹介します。下の娘が0歳で離乳食を始めたばかりの頃、食べるのに飽きるとゴジラと化してテーブルに上陸、あらゆるものをなぎ倒すことを繰り返していました。
ダメー!」と叫んでも無駄
 ところがたまたま席に戻ったとき「お座りできたね、エライ!」と、みんなで拍手。するとうれしそうに行儀よく座るようになりました。
   娘の場合も、私たちは「ゴジラ化」という問題行動ばかりに目を奪われていました。しかし「イスに座る」という「何もしない状態をほめ、積極的に評価したら、娘は意識的に座るようになりました。息子への言葉掛けも、この一件を応用したものです。

   問題行動を改めさせようとする場合は、その問題行動叱ってやめさせようとしがちです。しかし、その方法は、むしろこじれることのほうが多くなります。特にイヤイヤ期など感情が波立つときは本人も気持ちを抑えられません。
   視点を変えて「できて当たり前とみなしがちな行為、しかし現状ではできていない行為」が偶然できているときにほめてみてください。子どもはたまたま無意識にそうしただけですが、「何でもないこと」に親が喜ぶのを見ると、無意識だった行為に意図的な意味が加わり、「そうしたいそうでありたい」と願うようになります。
 意識というのは、問題と感じたものに観察力を集中させます。いろんな発見を可能にする優れた性質ではあるものの、気をつけないと「アラ探し」になります。ですから子どもは「僕(私)は普段よい子なのに、なんでキライな状態の僕(私)ばかり注目するの?」と、とても寂しい気分になります。だからこそ反抗的になります。
 しかし息子の場合は、「怒らなかった」という「不作為(何もしない)」状態意識的に注目し、それを評価したことで、「怒っているときの僕ではなく、普段の僕を見てくれた」と感じたのでしょう。
「した」よりも「しなかった」を見てあげてください。

【感想】
   私は今回の記事を読んで、以前に投稿した次の記事を思い出しました。
この中では、私も「を褒める」方法について紹介していました。
「小学生であれば、毎日教科書を声に出して読む宿題が出されるかもしれません。普段はあまり自分から進んで読まない子どもであっても、稀に家族から言われる前に読んでいる時もあります。本来なら、その姿が「当たり前」なのですが、その「当たり前」のように思える行為を評価しましょう。その姿を見つけたら、「がんばって読んでるわね」の一言をかけましょう。間違っても「珍しいこともあるもんだ」等と“からかう”言葉は禁句です。他の子にとっては“できて当たり前”の行為でも、普段なかなか取り組まない子その瞬間がんばっていることは十分評価に値するのですから。その「稀に」という“瞬間”は、どの子どもにも必ずやってきます。その時に褒めるか褒めないかが分かれ道です。」

   私は学校現場での経験上、“感覚過敏”で、外部からの不適切な刺激に情緒を乱されやすい自閉症スペクトラム障害(ASD)の子供を指導する事が多かったのですが、そういう子供達が問題行動を起こす時というのは、その時の環境がその子に合っていないために、情緒を乱されて行動も乱れる時でした。環境がその子に合っているときは、至って真面目ないい子なのです。つまりは、「良くない時も多いが、時にはいい時もある。」のです。
   ある年、転勤したばかりの年に担当した特別支援学級の中に、二人のASDの男の子(どちらも6年生)がいました。一人(A男)は知的な遅れがありもう一人(B男)は殆どありませんでした。4月に出会った時、A男の自閉症の症状は深刻で、何も行動できない、何も喋れない、しかし壁に落書きをする、いきなりズボンを下げる、という状態でした。しかしその原因はすぐに分かりました。知的な遅れの無いもう一人のB男が、度々A男を厳しく叱っていたのです。引き継ぎの時に聞いた話では、教師がどんなにB男を止めても、A男に対する注意は止めれないという事でした。それもそのはず、ASDが持つ“こだわり(「…であるべき」)”という先天的な特性がB男の問題行動を許せなかったのです。その為にA男にとっては地獄のような環境の中に身を置かれる毎日でした。
   しかし、そんなB男でも、よく観察していると、稀にA男に優しく接している時もありました。A男自身にとっても滅多にない静かな環境が揃った時は行動も落ち着いていたので、そんなA男に対するB男の接し方が変わった瞬間だったのです。A男が落ち着いて本読みしているような時に、「A君きちんと本を読んでえらいね。」等とA男を褒めてくれました。私はとっさに「A君、B君に褒めてもらったね!よかったね!」とA男に声をかけ、B男に対しても「A君を褒めてくれてありがとう!」とお礼を言いました。
   その年は、そんな”を探し出しては褒める、その繰り返しでした。すると、2学期の中盤頃には、朝の会で歌う「朝の歌」の時等には、B男はいつもA男の背中に優しく手を添えて、歌詞を教えながらサポートしてくれるようになりました。3学期になると、私があることでA男を注意していたら、B男が「先生、A君は……したかったんだと思います。」とA男をかばってくれるようにもなりました。いつのまにか、私以上のA男の良き理解者になっていたのです。

   今回の記事の事例と私が担任した子供の事例、いずれも、普通にできている“稀”を逃さず褒めるという方法は、「イヤイヤ期」だけに限らず、問題行動を起こしがちな子供にとっては、なくてはならないサポート方法だと思います。