【今回の記事】

【記事の概要】
   今回のテーマはこちら。
Q.人に迷惑をかけない子に育って欲しいのですが
A.人は誰かに迷惑をかけながら、人として育っていきます

「人に迷惑をかけない」は他人目線
   ママに、「どんな風にお子さんが育ってほしいですか?」と質問すると、“人に迷惑をかけない子”“どこへ出しても恥ずかしくない子”などの答えが返ってくることがあります。でも、これらって、裏を返せば軸が他人にある“他人目線”ですよね。他人からどう評価されるかが最優先のように聞こえます。子どもは、本来自己中心的でわがままで人に迷惑をかけながら生きていくものです。この本質を無視して親の方針が過度になると、子どもが生きづらくなることがあるんですよ。
針が振れると生きづらくなる
   耳に心地よい、まっとうな方針も別の見方をすると、将来こんな大人に育ってしまうかもしれません。
・人に迷惑をかけない子……困ったときに人に助けを求められない人
・どこへ出しても恥ずかしくない子……自分が他人からどう見られるかを最優先する人
・我慢ができる子、弱音を吐かない子……「辛い、苦しい」と本心を言えない人
・わがままを言わない子……自己主張しない人、他人の批判を気にして自分の意見を言わない人

   何でも自分1人の力でやり遂げるように育てられた子どもは“人に頼ることは恥ずかしい”と思うようになります
子どもがいじめられていたら
   子ども社会の中では、時にいじめが起こります。もし、友達からいじめられたときすぐに先生に言いつけに行ったり、親にいじめられていることを訴えることができるの場合は、周りの大人もそのSOSで気づくことができます。子どもの間でも「あいつに言うと大人に知られてしまう」となり、その後もいじめのターゲットになり続けることは少なくなるとも言われています。けれども、親から“他人に頼ることや弱音を吐くことは悪いこと”とインプットされすぎている場合は、自分で抱え込み、親にも相談できず悩み、苦しむことがあります。そうなると「あいつをいじめても他言しない」と思われいじめがエスカレートしてしまいます。訴えられない子どもの中には、幼い頃から“我慢すること、弱音を吐かないことは美徳である”と教えられ「いじめを受けている自分をさらけだすことは恥ずかしいことだ」「親を落胆させてはならない、心配をかけてはならない」と極端に思い込んでしまい、親にも先生にも言えずにいます
大切なのはさじ加減
   我慢しなくてもいい、すぐに泣き言を言ってもいい、と言っているわけではありません。あまりにも強くそれを押しつけない“さじ加減”が大事なのです。
・どうしても我慢できなかったら泣く
・努力しても、頑張っても、結果が伴わない場合があることを知る
・どうしても出来なかったら誰かの助けを借りる

   こんな体験が精神的な強さを育てることになるのではないでしょうか。良い方針も過度になるとかえって子どもを苦しめることになることを頭の片隅に入れておきましょうね。(立石美津子)

【感想】
「人に迷惑をかけない子」
「どこへ出しても恥ずかしくない子」
「我慢ができる子」「弱音を吐かない子」
「わがままを言わない子」
育てたい子供像としてよく耳にするものばかりです。
   しかし、「どこへ出しても恥ずかしくない子」だけは腑に落ちません。「出す」のは誰でしょう?「恥ずかしい」と感じるのは誰でしょう?それは、まるで子供を「子供教育コンクール」に出品する自分の作品のように思っている“親”です。こういう親御さんは、自分が恥をかきたくないので、子供に対する鑑賞度が強い方だと思います。
   しかし、それ以外の「人に迷惑をかけない子」「我慢ができる子」「弱音を吐かない子」「わがままを言わない子」は社会集団の中で生きていくうえで大切な人間像であるようにも思えます。しかし、その親の期待の裏では子供は以下のような暗黙のプレッシャーを受けているのですね。

親「人に迷惑をかけない子」→子「人に頼ってはいけない
親「どこに出しても恥ずかしくない子」→子「どの人からもよく見られなくてはいけない
親「我慢が出来る子」「弱音を吐かない子」→子「辛い気持ちを人に漏らしてはいけない
親「わがままを言わない子」→子「自分の気持ちを主張してはいけない

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子供は、これらの“親の期待”を親が思う以上に“生真面目”に受け止めてしまうようです。それだけ子供というのは素直純粋な考え方をするのですね。それ故に、親に何の相談もせずに自らの命を絶つ子供が数多く報道されるのでしょう。
   筆者の立石氏は、「あまりにも強くそれを押しつけない“さじ加減”が大事」と指摘しています。
   私事で恐縮ですが、担任する特別支援学級での指導方針はいつも次のようなものでした。
まずは自分でがんばる
どうしても出来ない時は誰かに手伝ってもらう
必ずこの2つセットにして指導していました。ですから、まずは自分の力で頑張ろうとする姿を褒めましたし、自分の力ではどうしても出来ない時に自分から「手伝ってください」と言えた時も褒めました

   つまり、立石氏が主張する“さじ加減”に配慮すれば、先に挙げた「育てたい子供像」は正しくは、次のような表現が望ましいのではないでしょうか?
出来るだけ人に迷惑をかけないように努力するけれどもどうしても無理な時は自分から人に助けを求めることが出来る子ども
出来るだけ我慢はするけれどもどうしても無理な時は他人に悩みを打ち明けることが出来る子ども
出来るだけわがままは言わないけれどもどうしても無理な時は自分の気持ちを正直に相手に伝えることが出来る子ども

   これら「出来るだけ……するけれども、どうしても無理な時は……出来る子」という子供像は、ぜひ折にふれて子供に話して伝えて欲しいと思います。なぜなら、子供には「あなたには『人に迷惑をかけない子』に育って欲しい」とだけ言い、密かに親の中だけで丁度いい“さじ加減”を工夫していても、それが子供に伝わるとは限らないからです。それよりも、「どうしても無理な時は……出来る子」という子供像までハッキリと子供に伝えておいた方が、子供にとっては遥かに分かりやすいです。そうすれば、子供の中に「いざという時は自分の弱さをさらけ出しても構わないのだ」という意識が根ざすことでしょう。