【今回の記事】

【記事の概要】
「朝はきちんと起きてほしい」「食事は三食きちんと摂ってほしい」「お風呂には毎日入ってほしい」。こうした「せめて規則正しい生活を送ってほしい」という親の悩みをしばしば聞いてきました。生活態度に関する悩みはご家庭ごとで異なると思いますが、えてして共通する問題として挙げられるのが「テレビゲーム」です。
   最近のテレビゲームは目まぐるしい進化を遂げています。映像はキレイだし、インターネットがあれば見知らぬ人との同時プレイも楽しめるし、メッセージのやりとりだって可能です。ゲームをやらない親御さんからすると、「何がそんなにおもしろいの?」と思われるでしょうし、目が悪くなるなど心身の心配も尽きないかと思います。
子どもにとってゲームは浮き輪
   私がこれまで取材してきたなかで、テレビゲームに熱中する理由については、ふたつに大別できます。ひとつは
本当におもしろくてしかたがない
という場合、もうひとつは
つらさやりすごすため
という場合です。

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   前者については、上述したような最新のテレビゲーム事情を勘案すれば当然の話です。ここで大きな問題となるのは、後者の場合です。ある子どもに話を聞いた際、「学校のことを考えたくなかったから」と語ってくれたことがありました。家でのんびり休んでいるように見えても、子どもは四六時中、学校のこと考えています。その時間が長ければ長いほど、どんどんつらくなる。でも、テレビゲームに没頭している間だけは、そのわずらわしさから離れられる、というわけです。心理カウンセラーの内田良子さんはこれを「命を守る浮き輪」と表現します。不登校を理由にゲーム没収したなんていう話もありますが、不安の海のなかで必死に漂っているとき、その浮き輪取り上げたらどうなるか、言わずもがなです。
   テレビゲームは、親を悩ませる長年の悩みのタネですが、子どもの立場から考えると、テレビゲームをするには子どもなり理由があります。したがって、「頭ごなしに否定しない」、たったそれだけのことでも、子どものしんどさの軽減に大きく寄与することがあると、私は思います。

【感想】
   記事中では、「不登校を理由にゲーム没収した」と言う事例が紹介されました。
   学校に行けない子供は外に出かける事もできません。そんな状況下で、ゲームを没収したら、子供は何をして過ごすことになるのでしょう?一日中勉強しているわけにもいかず、子供にとっては一日が果てしなく長い感覚に陥り、大きなストレスを感じる事になるでしょう。
   いきなり取り上げる行為もそうですが、まるで本人に不登校の原因があるかのような接し方にも首をひねります。一番学校に行きたいと思っているのは子供です。行きたくても行けない“悩み”がある為に家にいるにです。このような接し方は、その“悩み”さえ無視されているかのような印象を子供に与えるでしょう。
   この様な時にするゲームは、子供にとっては正に命を守る浮き輪」に違いありません。それをしている時だけは学校での嫌な事忘れることができるのです。そのゲームを取り上げられたら、子供は、家に居ながらも、いや、家に一人で居るからこそ、一日中、学校での事を思い出してしまうに違いありません。しかも、家でいつも一緒にいる家族は、自分の「浮き輪」を奪い取った、自分の気持ちを理解してくれない人間。これでは子供は“四面楚歌”状態です。いよいよ自分の殻の中に閉じこもっていくことでしょう。
   しかし、この事は不登校の子供に限った事ではありません。毎日学校に通っている子供でも、学校に関する悩みを抱えている子供達は数え切れないほどいるはずです。中には不登校一歩手前の子供もいるかも知れません。そんな子供達もつらさやりすごす」為にゲームをしている場合があるに違いありません。「いつもははしゃぎながらゲームをしているのに、今日は何も言わずゲームに没頭している」というような時には要注意だと思います。
   大切な事は、“頭ごなし”にゲームを全否定するのではなく、ゲームとの上手な付き合い方教える事だと思います(例えば、「ゲームは一度に◯分まで」「ゲームは午前中、午後、夜に一度ずつ」等)。更に、手伝いや読書等、子供が時間を過ごす為の活動設定してやる事も必要でしょう。そうしないと、生活リズムが狂い、昼夜逆転の生活に陥り、長い引きこもり生活に突入してしまう危険もあります。
   先の「命の浮き輪」を奪われた上に、ゲームの他に何をして過ごせばいいのか分からないで時間を持て余しているところに、「ダラダラしていないで、何かしたらどうなの?!」と言われたら、子供のストレスはみるみる膨らんでいくでしょう。

   また、仮に我が子がゲームに熱中している理由が「つらさをやりすごすため」ではなく、「本当におもしろくてしかたがない」という場合はどうでしょう。その場合でも、「何がそんなにおもしろいの?」と突っぱねるのではなく、「楽しそうにやっているね」という「楽しい」と思う子供の気持ちを“受け止める”言葉が大切だと思います。
   子供の価値観親の価値観とは異なることが多いです。親から見れば「くだらない事をいつまでもやっているんだか…」と感じる事でも、子供からすれば真剣楽しんでいるのです。かく言う私も、小学生の頃は、仮面ライダー変身ベルトを腰に締め、顔には自分で作った仮面ライダーマスクをかぶって、「ライダー…へんしん!とぉー!」と言いながら変身ポーズをとってジャンプしたものです。子供だったあの頃は、敵である“ショッカー”の“改造人間”を真剣に倒しているつもりでしたから。決して大人には理解できない世界だったと思いますが…。幸い、私の両親は何も言わずにその様子を微笑ましそう見守っていてくれました
   注意したいことがあれば、子供の気持ちを受け止めた後に言えばいいと思います。その段階を飛ばして、いきなり“注意”から始めると、子供の中では、どうしても親に対する反発心だけが大きくなるでしょう。この事(①子供の気持ちを聞く指導する)は、ゲームに限ったことではなく、子供が問題行動を起こした時の大原則です。
   しかし、「①楽しそうにやっているねでも、やり過ぎると目にも悪いから程々にしようね」と、理由も一緒に言われれば、「そうだな…、そろそろやめようかな」と思い始めるものです。それでも一向にやめる気配がないときは、ちょっとキリッとした顔をして、「もう一度言うよ。やり過ぎると目に悪いからそろそろ止めようね。」と言えば、さすがにバツ悪そうに止めることでしょう。

   しかし、一番大切なことは、「ゲームは1日◯時間まで」というような時間のルールを作ることだと思います。それによって、「もう少ししたら、お母さんから声をかけられるだろう」という見通しを立てる事ができます。逆に、見通し(ルール)がないところに不意に「もうやめなさい」と言われると「えー?!」という驚きと共に不満意識が生まれると思います。「今、子供は真剣に楽しんでいるのだ」と理解してあげることで、それに“水を差す”親の無粋(ぶすい)な行為も減ることでしょう。

   子供を“一個の人格”として認める思いが、子供の気持ちを尊重する親の言動に繋がるのではないでしょうか?