これは、私が在職中に神奈川県の横須賀(久里浜)にある国立特別支援教育総合研究所に長期研修に参加していた時の話です。
   ある日の夕方、東京の山手線に乗っていたら、学校の帰りだったのでしょう、制服を着た小学校中学年くらいの二人の男子小学生が乗ってきて、私のすぐ隣に座りました。ところが程なく、その小学生たちはペチャクチャおしゃべりを始めました。それも、周囲の人の存在など全く気にしていないと思われるような声です。周囲の大人たちもその二人をみて迷惑そうな表情をしていました

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(写真はイメージです)

   そこで、私は、私のすぐ隣に座っていた子どもの肩をチョンチョンとつついて、2人の子ども達がこちらを見た時に、「ニコッ」と微笑んで、人差し指を立てて口に当て、「シー。」という合図だけを送りました。“注意”の言葉は何も発していません。すると、二人は私の意図に気が付いたようで、すぐに話す声を小さくしました。
   しかし、しばらくすると私のすぐ隣に座っていた子どもの声がまた大きくなってきました。すると、向こう側に座っていたもう一人の子どもが、私のポーズをまねて「シー。」と友達に合図を送りました。かわいらしかったのは、その瞬間、その子がチラッと私の方を見たのです。ぼく、ちゃんとできてるよ。ともだちにもおしえてるよ。」と私に気付いてもらいたかったのでしょう。

   私は、この二人に注意した時に、始めに「ニコッ」と微笑みました。つまり、その子どもたちの失敗受容したのです。もしも、私が怖い顔をして「静かにしなさい。」と注意していたら、もちろん静かにはしたと思いますが、彼らは沢山の人が乗っている公衆の面前恥ずかしい思いをさせられ、ふさぎ込んでいたことでしょう。場合によっては、逆に反抗的な態度を示していたかもしれません。ましてや、おしゃべりを始めた友達に対して自分から進んで「シー。」と働きかけるようなことはしなかったでしょう。

   子どもは失敗する生き物なのです。子供が失敗する度に叱っていたのでは、子供も親もストレスが溜まってしまいます。叱るのは、一度受容しても直らなかった時で全く遅くはありません
   私が在職中は自閉症スペクトラム障害の子供を担当していたので「仏の顔も3度まで」と言う諺に則って3度の失敗までは許容していました。しかし健常児の場合は、「2度あることは3度ある(同じようなことが二度も起きると、さらにもう一度繰り返されることがあるものだから注意せよ)」という諺もありますから、3度まで待たず、2度までの許容が丁度いいのではないかと思います。

   それにしても、(これまでもお話ししてきましたが)子供は大人手をかけてやらなければ子供のままです。特に大勢の人と一緒になる公共施設での子供の言動は、他者に配慮できる子供かどうかを測る“バロメーター”となり、その子が成人した時の“人間関係能力”の鍵を握る大切な要因となります。その為には、その場にいる大人達が、子供を単に“悪者扱い”せずに、正しい言動をきちんと教えてやれる社会が望まれると思います。