【今回の記事】

【記事の概要】
   神奈川県座間市のアパートから9人の遺体が見つかった事件は、6日で発覚から1週間になる。 
    これまでに身元が浮上して居住地が分かった人は1都4県の7人で、被害者が広範囲に及ぶ恐れが出てきた。白石隆浩容疑者(27)は自殺願望のある人を誘い出していたが、「本当に死にたいと言う人はいなかった」と供述しているという。警視庁捜査1課は殺人容疑での立件を見すえ、全容解明を進める。

【感想】
   自殺願望のある人を誘い出していたのに
本当に死にたいと言う人はいなかった
とはどういう事なのでしょうか?

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   この疑問に答える鍵を、この事件を特集したあるテレビ番組でコメントした心理学に詳しい専門家が握っていました。その専門家の指摘は以下のような旨です。
「今の若者には色々な『死にたい』がある
『仲の良い友達と喧嘩になった』
『テストの成績が良くなかった』
『親から叱られた』
等の様々な辛い気持ちを『死にたいくらい辛い)』という最高レベルの言葉で表現することによって周囲からの“共感”を得ようとする傾向がある」

   私は、この指摘を聞いて思い出したエピソードがあります。
   それは、私が在職中に行なっていた課外の吹奏楽部の定期演奏会の数日前の練習後の事です。演奏会で持ち回りでMC(会の司会)を務めることになっていた子供たち約10人を集めて各自のセリフについての個人毎ミニテストをしました。因みに、そのテストに合格しないとMCになれないということではなく、あくまでも喋り方を鍛えるためのもので、その旨は子供達にも伝えてありました。合格にならなかった時は、また再テストに挑戦して合格になったら帰宅するという約束で行っていました。その中で、ある子供が一度目に不合格になり二度目のテストを受けました。しかし、声に張りがなく「惜しい!もう少し声に張りがあるといいなぁ」と二度目の不合格を伝えました。するとその子は吐き捨てるようにこう言ったのでした。
最悪!
私はその言葉を聞いた瞬間はいささか「ムッ」としましたが、敢えて何も言いませんでした。なぜならその言葉はその子が何か面白くない事があった時に言う“口癖”のようなものだったからです。

   ところで私はなぜこのエピソードを思い出したのでしょう?
   先のテレビ番組での専門家の指摘によれば、最近の子供たちは友達と喧嘩になれば「死にたい」と言い、テストの成績が悪ければ「死にたい」と言い、親から厳しく叱られれば「死にたい」と言う。それによって周囲から「何かあったの?」「大変だね」等の言葉をかけられることで“共感”を得ようとする傾向にあるそうです。
   また、私が紹介したエピソードの子供も、何か嫌なことがあれば口癖のように「最悪!」と不満を露わにしていました。更にその子は、普段から性格が厳しく、ストレスを溜めがちだと担任から聞いていました。あわよくば友達から「どうしたの?」と心配してもらいたいという気持ちがあったのかも知れません。
   つまり、「最近の子供達、若者達は、様々な苦い経験をする度に、辛さや不満のレベルが最も高い言葉を発して不快感情を表に表す傾向がある」という先の専門家の指摘を聞き、在職中に聞いた「最悪!」というあの言葉を思い出したのです。
   以前から、状況の異なる場面でも自分の心情を「マジ」や「ヤバイ」等の同一の言葉で口癖のように表現する若者が多くいることは知っていました。更に今回の事例を通して、その中でも、特に精神状態が不安定な状態にある若者ほど、辛さレベルの高い言葉を発する事で、周囲からの共感を得て、自身が抱えているストレスを緩和しようと、いわば“自己防衛”をしているのではないかと考えました。

   それにしても、インターネット上では、何か辛い事がある度「死にたい」と言葉にはしていても、それは「死んでこの世から消える」という本当の意味での「死にたい」ではなかった筈なのに、なぜ白石隆浩容疑者の自殺願望募集の声に引き寄せられたのでしょう?もしかしたら、いつも何か辛いことがある度に「死にたい」という同じ言葉を使っているうちに、“本当”の「死にたい」と混乱してしまったのでしょうか?それも精神状態が不安定であったが為に“錯乱”した結果だったのかも知れません。但しこれについては想像の域を超えません。専門家の説明を待ちたいと思います。

   さて、まとめです。
「死にたい」「最悪」等のように、高い自虐レベルの言葉を時々吐き捨てるように言う子供はいませんか?周囲からの「共感」を得たいが為に高い自虐レベル言葉を発している子供に対してがしてあげれるのはどんな事でしょう?
   それは親が子供の話に耳を傾け不満ストレス受け止めてあげるではないでしょうか?そうすれば、「死にたい」や「最悪」のような最高レベルの自虐言葉を発してまで「共感」を得ようとする必要が無くなるはずです。
   元来、母親は子供の「安全基地」であり、更に先の「子供の話に耳を傾けて共感する」というサポートは、母子間の「愛着(愛の絆)」を形成するための愛情行為である「愛着7」のうちの一つです。改めて、本来行なうべき「愛着」形成のための愛情行為の大切さを痛感します。
   また、子供の不満やストレスは、「愛着」という「愛の絆」を通して母親に伝わります。子供は「愛の絆」を感じない親に対して、自分の気持ちを語ろうとはしないのです。その為にも、まずは「愛着7」の中の「微笑み」と「穏やかな言葉遣い」から気をつけて、子供が話しかけやすい雰囲気を作るように心がけたいものです。