【今回の記事】

【記事の概要】
   会社などで、指導する側(上司)が指導される側(部下)に言う「前にも言ったよね」について、“言われる側”の論理(「これを言われるのが怖くなってミスする」「本当に心が折れるし、わからないことを聞きづらくなる」など)と、“言う側”の論理(「何回言っても覚えない場合は言うしかない」「メモも取らずに何度も聞く方が悪い」など)がSNS上で激しくぶつかり合っています。
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 これについて「マナーのプロ」の見解はどのようなものでしょうか。マナーコンサルタント・西出ひろ子さんに聞きました。

お互いの立場を想像し、置き換えてみる
Q.会社などの、指導する側とされる側の関係においては「前にも言ったよね」を使ってもよいのでしょうか
西出さん「『前にも言ったよね』という言葉を使うこと自体は問題ありません。しかし、この言葉を言われることで部下が傷つくのであれば、言わないようにするのが上司としてのマナーと言えるでしょう。
   ただし、ここで大事なことは、上司だけがマナーを実行すればよいわけではありません。マナーは『お互いさま』が大前提にあります。大切なことは、双方が相手の立場に立ち、相手の気持ちを想像し、慮(おもんぱか)ることだと思います」
Q.この場合の相手の「立場」「気持ち」とはどのようなものですか
西出さん「たとえば、新人はいつか自分が上司の立場(指導する側)になった時のことを、上司はかつて自分が部下として指導を受けていた時のことを、経験の有無にかかわらず想像し、状況(立場)を置き換えてみるのです。相手の立場に立つことで、部下は『前にも言ったよね』と言わざるをえない上司の気持ちや状況を、上司は『前にも言ったよね』が決して気持ちのよい言葉ではないことを理解できると思います。職場には
年代や育った環境などが異なる人たちがいます。そういう人たちと一緒に仕事をする時、お互いの立場に立って思いやる心から成るマナーが大切なのです」
Q.「前にも言ったよね」を使いたい時、どのような点に配慮すべきでしょうか
西出さん「悪気なく、つい出てしまうのかもしれませんが、このセリフを発する目的意義を明確にすることです。上司が発する『前にも言ったよね』は、部下に対する嫌味ではなく『同じミスをしないよう成長してほしい』と部下の成長を願う思いやりのある気持ちが前提でなければ、部下に受け入れてもらい結果を出す正しい指導とは言えません。どうしても『前にも言ったよね』と言いたくなったら、一度深呼吸をしてから、まずは『
勘違いだったら悪いんだけど』などのクッション言葉を伝え、その後『このこと前にも伝えていなかったっけ?』と『』をつけて部下に聞く言い方をしてみましょう。このような場合は、強く断定する言い方は控えることをお薦めします。部下が萎縮してしまうからです。上司の言い方一つで部下の感じ方は大きく変わります。このように伝えることで、部下も素直に『申し訳ありません。前にも注意をされました』と言えるかもしれません。これだけでも、お互いのコミュニケーションに良い変化を及ぼし、部下の成長ゴールへの距離も変わります」

【感想】
   この記事は、職場における部下とそれを注意する上司との関係性について指摘したものですが、それらは、問題行動を起こした子供とそれを注意する親の関係性と酷似していると思い、今回取り上げた次第です。

   さて、マナーコンサルタントの西出氏は「双方が相手の立場に立ち、相手の気持ちを想像し、慮ることが大切」と指摘しています。氏の言うところの「部下は『前にも言ったよね』と言わざるをえない上司の気持ちや状況を理解する」とは、「確かに以前に自分が失敗した時に指導されていたが、それでも自分は今回また失敗した」と正直に自覚することであり、「上司は『前にも言ったよね』が決して気持ちのよい言葉ではないことを、そして、相手や場合によっては深く傷つくこともあることを理解する」とは、「私が言ったこの言葉は本当は人を傷つける言葉であり、ベストの言葉ではない」と正直に自覚することであると考えます。

強く断定する言い方は控える」という指摘については全く同感です。
   しかし、明らかに以前に同じ指導をしているにも関わらず、上司が「勘違いだったら悪いんだけど」と前置きまでして、まるで自身の記憶を曖昧にするような“フリ”までする必要があるでしょうか?私は、「強く断定する言い方」にならない、つまり冷静に「諭す(「自立4支援」の一つ)」ように気を付けさえすれば、「前にも言ったよね」と言っても構わないと思います。
   先に述べたように、部下自身が確かに以前に自分が失敗した時に指導されていたが、それでも自分はまた失敗した」という事をわきまえていれば、決して部下の心に傷を残すことにはならないと思います。
   しかし、もしもその事さえわきまえず、「上司は自分を傷つける言い方をした」としか思っていない様子であれば、私なら毅然とした態度で、「あなたは自分が同じ失敗を繰り返したことについてどう思っていますか?」と問いただすでしょう。因みに私は、「部下であっても同じ社会人である」という相手を“尊重する”考えから、部下に対してでも「です」「ます」という話し方をします。その“尊重”の意識があれば、部下の自覚のなさを毅然と問うても構わないと思います。
   しかしもっとも大切な事は、表面的な「言い方」ではなく、西出氏が言う所の「同じミスをしないよう成長してほしい』と部下の成長を願う思いやりのある気持ち」だと思います。その気持ちが根底にあれば、自ずと“断定的・命令的な言い方”にはならないはずですし、何よりも、発する言葉に“想い”がこもります。逆に言えば、その“相手の成長を願う想い”がなく、“表面的な言い方”だけに気をとられているようだと、部下に気持ちの無さを見抜かれ、上司の発する言葉は部下の心に響くことはないでしょう。

   以上のことは、我が子相手であっても同様であると私は考えます。例えば、次のような事です。
強く断定する言い方は控える
冷静に“諭す”
相手に反省の色が無い時は、毅然とした態度で相手の考え方を問いただす
『相手にも相手なりの考えがあるのだ』という“尊重”の意識を持つ
『同じミスをしないよう成長してほしい』と子供の成長を願う気持ちを持つ

   特に、子供が「自我の発達」とも言われる“第二反抗期”に入っている場合は、特に「です」「ます」という相手を尊重した言い方で話す事はある意味必須だと思います。親が、発達してきた我が子の「自我(自分なりの思い)」を尊重した言動をとらず、強く断定的な言い方をすると、その時期の子供には受け入れられないかも知れません。

   人間関係で最も大切なことは、相手を一人の人格として尊重するだと思います。たとえ相手が子供であってもです(もしも「子供は怒鳴られて当然」と考えている大人がいるとすれば、それは大人の“思い上がり”だと私は思います)。その意識があれば、相手の心に傷をつけることは無いと私は信じています。